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【料理の鉄人】 坂井宏行のトリビア 【アイアンシェフ】

旧・料理の鉄人で二代目フレンチの鉄人を長きに渡って担当した坂井宏行さん。料理の鉄人・アイアンシェフを100倍楽しむためのトリビアです

更新日: 2012年11月10日

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■料理の鉄人・坂井宏行とは

1942年 当時、併合により日本だった朝鮮半島で3人兄弟の長男として生まれる。
3歳の頃父親が戦死。

1945年 終戦により母親の実家があった鹿児島県出水市に一家で引き揚げる。

17歳でフランス料理の世界に入り、ホテル新大阪で修行を始める。
19歳の時、単身オーストラリアに渡り「ホテルオリエンタル」にて1年半ほど修行し、帰国。

1963年 銀座「四季」にて、フランス料理の先駆者的存在だった志度藤雄に3年間師事。

1980年 南青山に「ラ・ロシェル」オープン。

■鉄人の城「ラ・ロシェル」とは

フランス料理に日本の懐石の手法を取り入れたことで有名。

石鍋とは旧知の間柄で、石鍋と同じく「クラブ・デトラント」のメンバー。

鉄人デビューは1994年2月。KIHACHIの熊谷喜八シェフの推薦によって出演することになる。

■そして“料理の鉄人”へ・・・

コスチューム(コックコート)カラーはレッド、登場時には先代の石鍋とは異なり洋梨を手に甦る。

番組では「フランス料理界のドラクロワ」と称されている。

テーマ食材にフランス料理によく使われるオマールがくると3連敗を喫したこともあったために、スタッフからは「負け犬オマール」や「そんなにオマールに弱いの?」と言われ悔しかった時期があったという。しかし、オマール以外の魚介類の対決では圧倒的な強さを見せた。

番組初期では「1時間という時間ではちゃんとした料理を作ろうとすれば3品が限界。」と語り、3品しか作っていなかったが、後期にはそのポリシーを自ら破り、4品(多いときでは5品)作るようになっていった。

■鉄人としての戦績は 87戦70勝16敗1分

当初は4月で番組が終わると聞いていて、2~3回の出演だろうと思っていたという。
後述の道場・陳とともに番組を長く支えた鉄人のひとりでもある。
番組の全期間を通して安定した成績を残した。

番組出演中でも常に勉強の姿勢を忘れず、挑戦者サイドの試食後の皿を味見したり、相手方の助手に味付けを尋ねたりすることもあったという。

軟体動物が大の苦手。
そのせいか「料理の鉄人」でも、タコをテーマ食材とした対決(1995年12月8日放送)に敗れている。

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