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行列の掛け算は可換ではないからという人たちは、順番を変えると同時に転置すればいいことを思い出すべきで、スカラーは転置で不変なので、この区別はない。本質はここにはないけれど、行列の非可換性がなんの理由にもならないことはわかる。繰り返すけど、問題の本質はここにはありません

@kikumaco 私はあれは「数学の理解」を問うているんじゃなくて「文章の理解を数式に転換する手続き」を問うているんだと思います。いわば「国語の問題」あるいは「翻訳の問題」。

ええ、そうなんです。そして、それは式をどう書いたかでは判断できない “@ynabe39: @kikumaco 私はあれは「数学の理解」を問うているんじゃなくて「文章の理解を数式に転換する手続き」を問うているんだと思います。いわば「国語の問題」あるいは「翻訳の問題」。”

@kikumaco 先生方はまず「文法」を教えて、次に文法通り書けているかを試すわけです。それは数学とは別の事柄でしょうね。

ひとりにつき3個のみかんを10人に配るから3と10を掛ければいい、ということが理解できていれば、式は3×10でも10×3でもいい “@ynabe39: @kikumaco 先生方はまず「文法」を教えて、次に文法通り書けているかを試すわけです。それは数学とは別の事柄でしょうね。”

@kikumaco 「数の操作」としてはそうですが「問題の文章の流れに沿った理解」としてはそれではいけないわけです。私は小学校の算数というのは「文系の教科」なんだろうと思っています。

式の書き方では問えないことを式の書き方で問おうとしているのがいけない “@ynabe39: @kikumaco 「数の操作」としてはそうですが「問題の文章の流れに沿った理解」としてはそれではいけないわけです。私は小学校の算数というのは「文系の教科」なんだろうと思っています。”

@kikumaco それは「学校の先生が教えている内容」ではなくて「そのことを教えるための教え方」を批判しているわけで,ややメタな視点になりますね。

黒木先生の私のツイートの引用のしかたはとても不快です。私は「順序をつける教え方が正しい」と言っているのではなくて「数学者と小学校の算数の先生とでは教えようとしていることが違う」ということを言っているだけです。

黒木先生やその立場の方々は「小学校の算数は数学(の基礎)を教えるもの」だと考えておられる。それに対して私は「小学校の算数では必ずしも数学の基礎だけを教えてはいない」ということを言っている。そういう問題なんです。

同じことは他の教科でもいえるわけで,たとえば小学校の国語で伝記などを読ませることには「日本語の教育」以外の意図や目的があるわけです。それを「国語教育は日本語の文法や読解以外のことを教えている」といって批判するかどうか。

では渡辺先生はそれについてどういう価値判断を持っておられるのでしょう?私は小学校といえども数学の基礎であるべきと思うのです。 @ynabe39 『小学校の算数では必ずしも数学の基礎だけを教えてはいない』

@ynabe39 100円のもの2つで200円なら「100円×2=200円」というように単位を付けて書かせればよいような気もします。もちろん「2×100円=200円」でも可。本質的には単位合わせの問題なのに、乗法の可換性の問題とごっちゃにするから訳がわからなくなるんだと思います。

掛け算に順序をつけさせることが「数学的に間違っている」ことなど最初から自明で、じゃあどうして、一体なんの目的や意図で順序をつけて教えるのか、その意図や目的は合理的なのか、というのが本質的な問題です。

それを「数学的に間違っているから間違いだ」「そういう教え方をする先生はバカだ」とだけ言い続けることに何の意味があるのかわかりません。

それこそ「先生に言われた通りの道筋でものを考える訓練」が目的なんだったらどうですか。

この問題には偏執的な人がいるからこれまでも触れなかったのですが,菊池先生となら大事なところの話ができるかと思ってすこし話してみました。

この問題について私は2つ考えるところがあります。ひとつはここで起きている「数学者」と「算数の先生」との対立はまさに「科学コミュニケーション」の問題だろう,ということ。

もうひとつは,ここでも教育,とくに初等教育では「何を目的に何を教えているのか」ということが肝心のところで言語化されておらず,当の教師にもわかっていないことが多いということ。

@ynabe39 伝記筆者が対象人物の何を取り上げ(切り捨て)何を強調するか(無視するか)。対象を語りなすときの編集行為を読みの対象にするとホットな読解教材になります。

@bonpata 個々にリプライできなくてすみませんが,まさにそういう「自分が何を教えるのかについての言語化と明示」が必要なんだと思います。

私は数学的な正誤だけからこれを批判するのも無意味だと思いますが,いっぽうで数多く見られる「かけ算に順序をつけることに数学的あるいは算術的な根拠を与えようとする学校の先生」の営みも無意味だと思います。そんなことできるわけがない。

学校教育の歴史の中で何らかの理由や目的があって選ばれた内容や方法が伝承されていくうちに,伝承からその「理由や目的」についての情報が欠落していく,教師たちはただ「これまでそうしていたから」という理由だけでそれを続けている,ということはたくさんあります。

学校教育というのはその起源や経緯からいって「正しい知識を子どもに与える」こと以前に「統治行為」であるわけで,良くも悪くも教育の内容にはそのことが色濃く反映されています。学校教育の問題を「教えられる知識の学問的な正誤」だけで考えることはできません。

@ynabe39 どっちでもいいですよ、と教えて欲しいです。あえて…。

@mulberry_rose27 むしろ「統治行為としての教育」がもっとも憎むものが「どっちでもいい」なんですよね。

当の子どもは「文章題のときの掛け算はこうすると正解になる」とだけ覚えてさっさと解いてゲームで遊ぶ。

・2012/12/21

べつに「かけ算の順序を逆に書いて×をつけられる」こと以外にも「算数を嫌いになるリスク要因」は無数にあると思うんだけど,それらの「リスク」より「かけ算の順序」のリスクがとくに大きいということもないと思う。

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suyakata1970さん

NAVERに来たきっかけはハンゲームでした。※NAVERまとめ364円寄付(2012/3)