1. まとめトップ
  2. ニュース・ゴシップ

【繰り返される歴史】大分トリニータを去っていった選手たちが豪華すぎて泣ける

サッカーには移籍はつきもの。特に地方クラブのそれは激しい。J2に降格しようものなら身ぐるみをはがされるように主力選手がいなくなってしまう。今季大逆転でJ1昇格を決めた大分トリニータの選手放出をまとめました。

更新日: 2015年06月10日

83 お気に入り 163013 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

lincoln41さん

主力選手を大幅放出し続けた大分トリニータの事情

2009年、大分トリニータは延長戦が廃止された2003年以降のJ1ではワーストなる14連敗を記録。
J2に降格した。

また同年、累積赤字が11億円、債務超過額が5億5,800万円となり、チームの運営が困難となった。

これら2つの事情により、大分トリニータからは多くの主力選手が去った。
もし、大分トリニータに選手を引き止める力があれば、すばらしい攻撃陣を擁するチームが完成していたと考えられる。

大分トリニータを去って行った豪華すぎる選手たち

2004年から大分トリニータに所属。
絶対的な決定力を有する万能FWとして活躍したが、2006年にガンバ大阪に移籍。
移籍後はJリーグ、AFCチャンピオンズリーグで得点王に輝く。
2008/2009シーズンにはカタールリーグでも得点王を獲得した名選手。

2004年時点で大分トリニータの財政難のため移籍話があがったが、サポーターの横断幕に感動し移籍を延ばした経緯もあり、いまなお大分トリニータサポーターから愛される選手の一人。

3兄弟の次男として生まれ、小学生時代は、父親が監督を務める大分市立明治北小学校サッカークラブでプレーし、大分トリニータのU-15、U-18チームを経てトップチームに昇格した純生え抜き選手。

2010年にセレッソ大阪に完全移籍。
香川真司の退団後はその穴を埋める存在としてW杯中断明けからは家長、乾貴士とともに3シャドーを形成してレギュラーに定着した。

2011年の韓国戦で前半36分に岡崎慎司に代わりA代表デビュー。
2アシストを挙げ、日本代表の勝利に貢献した。

2012年ドイツ・ブンデスリーガの1.FCニュルンベルクへの完全移籍。

その後のクラブ・代表での活躍は御存じのとおり。

大分トリニータのユースから2005年にトップチームへ昇格した生え抜き選手。

2006年8月31日、アジアカップ2007の最終予選に向けたA代表メンバーに当時のチームメイトであった西川周作と共に選出され、これによりクラブ初のA代表選手となった。

2007年1月26日にフランス2部のグルノーブル・フット38へレンタル移籍。

同年12月26日、浦和レッドダイヤモンズへの完全移籍が発表された。

鋭いドリブルと思い切りの良いシュートが武器の中盤アタッカー。

2009年に大分トリニータU-18よりトップチームに昇格。
主にトップ下やウイングなどの攻撃的なポジションで、高卒ルーキーながら23試合に出場した。

U-21日本代表のメンバーとして2010年アジア競技大会にも出場し、日本の金メダル獲得に大きく貢献した。

ロンドン五輪では日本代表の背番号10を背負い、海外からの評価も高い。

2007年、大分トリニータに加入。

2008年ヤマザキナビスコカップではチームを優勝に導き、自身もニューヒーロー賞を獲得した。

リーグ戦もチーム最高の4位で終え、これらの活躍を評価されて複数の移籍オファーを受けたが、大分への残留を決めた。

2009年1月に日本代表に初選出され、AFCアジアカップ2011予選の対イエメン戦で初キャップを記録した。

同年、大分トリニータがJ2降格が決定したことに加えて、チームが深刻な経営難にあることが発覚。

国内5クラブからオファーを受け、その中から前年もオファーを送っていた名古屋グランパスに移籍した。

大分スカウトの片野坂知宏から誘いを受け、2006年に大分トリニータへ入団。

2008年には北京オリンピックに臨むメンバーに選出され、グループリーグ全3試合に出場。

日本サッカー協会アドバイザーのイビチャ・オシムは、守備面での能力(身体能力、精神力、ユーティリティー性)を高評価していた。

9月29日に森島康仁と共にA代表に選出。
岡田武史日本代表監督からは「球出しのセンスがあり、ボール際もかなり戦える」と評された。

また大分のナピスコカップ優勝にも貢献した。

2009年のシーズン終了後チームのJ2降格や深刻な経営難が表面化したためFC東京に移籍。

U-15から大分の下部組織で育ち、頭角をあらわす。
2003年にはU-18日本代表に初選出され、年代別代表の正GKに定着。

2005年からは大分のトップに昇格。
高卒1年目から正ゴールキーパーの座を奪取した。

2006年のアジアカップ最終予選メンバーとしてA代表に初選出。
初出場は叶わなかったものの、川口能活や楢崎正剛の後継者として注目度は高まった。

2009年、大分J2降格が決定。
同年オフ、いくつかのオファーの中から、サンフレッチェ広島へ移籍金7000万円で完全移籍。

現在は広島の絶対的守護神としてリーグ優勝に貢献している。

しかし・・・チームの崩壊は再生へのスタートでもある

J2最終節を終えての順位は6位。
J1昇格プレーオフ進出圏内だが、大分の場合は融資約3億円を完済しない限り、そのJ1への昇格権はなかった。

トリニータは市民・団体などから寄付を募る「J1昇格支援金」の募集を開始。
支援金は、8月17日に目標の1億円に到達した。
地元経済界、大分県等の行政からの支出を合わせて、総額約3億3,300万円となり、融資を完済。2013年度からのJ1昇格が可能となった

大分トリニータはプレーオフ進出圏内で最下位だったため、引き分けも許されない厳しい戦いだったが、見事全試合で勝利をおさめ、2009年以来、4年ぶりにJ1復帰を果たした。

県民(サポーター)・企業・行政が一致団結し、三位一体(トリニティ)となりJ1昇格を決めた大分トリニータ。
日本のスポーツ界には財政難が渦巻く中、多くの地方クラブを勇気づけることになったのは間違いないでしょう。

からの即年降格決定・・・。

大分トリニータ関連まとめ

1