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moratoriumさん

●未解決事件の概要

未解決事件が存在することは犯人が社会的に裁かれるのを不当に免れることになり、被害者と遺族の苦しみが続き、犯罪を犯した者は法によって裁かれ、罪を償わせる目的を達成させることができない。また犯人による再犯の恐れもあり、社会にとって重大な不利益となる。また、犯罪捜査を責務とする捜査当局(警察)にしても、犯人を取り逃がすことで公訴時効を迎えてしまう場合もままあるため、警察の信用も損ねる、由々しき事態となる。

広義では捜査当局によってある程度犯人を特定され、指名手配されている場合があるものの、国外へ逃亡している場合も多いため刑事裁判が開けない事件も未解決事件として扱われる場合がある。

足利事件のように、民間の調査機関やジャーナリストの手で真相を捜査されて真犯人が特定したと主張して警察へもその捜査の要請がなされているケースも社会的に真犯人特定とされない場合は未解決事件と認識されてしまう事がある。

一部には人間の故意による事件ではなく、事故に過ぎないものが事件とされて未解決事件と扱われることもある。また、公訴時効が過ぎた未解決事件について、自ら犯人を名乗り出る者もいる。

一度は犯人が特定された被疑者が裁判や再審で無罪となり、冤罪事件となって真犯人が検挙されていない事件も未解決事件として扱われる。冤罪事件の場合、被疑者が長期裁判や再審無罪になった時には長い年月が経っていて、公訴時効を迎えていたり、証拠が集められなくなるなどの理由で未解決事件となりやすい。

●グリコ・森永事件

1984年3月の江崎グリコ社長を誘拐して身代金を要求した事件を皮切りに、江崎グリコに対して脅迫や放火を起こす。その後、丸大食品、森永製菓、ハウス食品、不二家、駿河屋など食品企業を次々と脅迫。現金の引き渡しにおいては次々と指定場所を変えたが、犯人は一度も現金の引き渡し場所に現れなかった。犯人と思しき人物が何度か目撃されたが逃げられてしまったため、結局正体は分からなかった。

その他、1984年5月と9月、1985年2月に小売店で青酸入り菓子を置き、日本全国を不安に陥れた。

1984年4月12日に警察庁広域重要指定事件に指定された。

2000年2月13日に東京・愛知青酸入り菓子ばら撒き事件の殺人未遂罪が時効を迎え、全ての事件の公訴時効が成立。警察庁広域重要指定事件としては初めて犯人を検挙出来なかった未解決事件となった。

2005年3月に除斥期間(民法724条)が経過し、民法上の損害賠償請求権が消滅した。

企業への脅迫状とは別に報道機関や週刊誌などに挑戦状を送りつけ、毒入り菓子をばらまいて社会一般を騒ぎに巻き込んだことで、評論家の赤塚行雄から劇場型犯罪と名付けられた。同時期に世間を騒がせた三浦和義のロス疑惑とともに当時の世相として振り返られることも多い。

●赤城神社主婦失踪事件

1998年5月3日、千葉県白井市の主婦志塚法子さん(当時48歳)は、
家族(夫・娘・孫・叔父・叔母・義母)と群馬県宮城村三夜沢(現前橋市三夜沢町)
の赤城神社へツツジ見物に訪れていた。
 あいにくの雨のため、神社へ行く夫と叔父以外は駐車場に停めた車の中で待つことに。
しかししばらくして法子さんは「折角だから、賽銭をあげてくる」と、
財布からお賽銭用に101円だけを取り出し、神社への参道を登っていった。
その時の格好は赤い傘を差し、ピンクのシャツに黒のスカートという目立つもの。
娘は駐車場から法子さんが境内とは別方向への場所でただずむ姿を目にしている。
これが家族が見た法子さんの最後の姿となってしまった…
 戻らない法子さんを心配した家族はあたりを捜すも見つからず、警察へ通報。
10日間で延べ100人あまりで付近一帯を捜索するも見つからなかった…
参道は山道ながらもよく整備され、崖などの危険な場所や道に迷う箇所もない。
また、ゴールデンウィーク中で神社には沢山の人が訪れていたが、
不審な人物や物音を聞いた人はいなかった。
群馬県警にも20件ほどの情報提供があったが、発見に結びつく有力なものはないという。

 失踪から7か月後、失踪当日の同じ頃の赤城神社で偶然撮影されたホームビデオが
撮影者によってテレビ局に提供された。そこには法子さんとおぼしき人物が、
何者かに傘を差しだすような姿が小さく写りこんでいた。
しかしその人物からの申し出が出ることはなかった。。
 また失踪後、数回無言電話が自宅にかかってきている。
その局番は「大阪」と「米子」であった。
家族は必死に法子さんの行方を捜し、テレビ番組「奇跡の扉 TVのチカラ」等にも
出演したものの、解決にはいたらなかった。
 失踪から10年後の2008年には、群馬県警が顔写真等を掲載したビラを500枚配布。
情報提供を呼びかけた。

 尚、2008年6月、法子さんの失踪宣告がなされている。

●名古屋妊婦切り裂き殺人事件

1988年(昭和63年)3月18日、愛知県名古屋市中川区のアパートに会社員(当時31歳)の男性が帰宅。室内で、妻である臨月の妊婦(当時27歳)が殺され、赤ちゃんが泣き叫んでいるのを発見した。

妻は両手を縛り上げられており、首に電気コードを巻かれ、絞殺されていた。死体は、薄い鋭利な刃物で、みぞおちから下腹部にかけて縦38センチにわたって切り裂かれていた。彼女の足元には、赤ん坊が、へその緒をつけたまま泣き叫んでいた。犯人は妊婦を絞殺後、胎児を生きたまま取り出してへその緒を刃物で切断し、子宮にコードを切り離したプッシュホン式の電話の受話器と、キャラクター人形のついたキーホルダーを入れた後、妻の財布を奪って逃走した。

取り出された胎児は男の子で、太ももの裏、ひざの裏、睾丸の3箇所を刃物で切りつけられていたが、病院で約1時間の手術を受け一命を取り留めた。

なお、絞殺の凶器は別の物であり、首に電気コタツのコードが巻かれたのは死後とされている(コンセントが刺さっていた状態で発見された)。

有効な手がかりがないまま2003年(平成15年)3月18日に公訴時効が成立し、未解決事件となった。世間の好奇の目にさらされ続けた夫と子供は1999年(平成11年)に日本国外に移住している。

●田畑作之介ちゃん轢き逃げ連れ去り事件

1978年(昭和53年)3月3日大阪、自宅近くで田畑作之介ちゃん(3歳)が自動車に撥ねられた。
作之介ちゃんは重態だったため、救急車を待っている余裕がなく、轢いた本人が「自分の車でこの子を病院に連れて行く」と言い、作之介ちゃんを車に乗せ走っていった。

四日になっても作之介ちゃんが病院などで手当てを受けた形跡がないことから、
誘拐容疑事件とみて、住吉署に合同捜査本部を置く一方、
目撃者の証言から犯人は「中年の男」と断定。
モンタージュ写真づくりなど本格的な捜査を始めた。

Nシステムもなく、防犯カメラも未整備の時代。
車を特定することはできず・・・作之介ちゃん(当時3)が自宅付近から行方不明になっている「作之介ちゃん事件」は三日午前零時で、業務上過失致傷、略取誘拐罪など5年の時効が成立した。

大阪府警交通指導課の捜査本部では現在でも連日、捜査情報が寄せられていることから、
捜査本部は専従捜査員15人のFBI方式で引き続き捜査を進める。

●山梨19歳女性行方不明

東京都江戸川区に住む無職女性(19)の行方が5日夜から分からなくなっていることがわかった。
女性が6日、家族らに「助けて」などと電話をしていたことから、警視庁は事件に巻き込まれた可能性が高いとみて捜査。
女性を車中に監禁したとして、11日に青梅市に住む男を逮捕監禁などの容疑で逮捕し、女性の行方を知るとみて追及している。
男はこれまでの調べに「女性に覚せい剤を打ったら暴れたので、山梨県内の山中に捨ててきた」などと供述しているという。

捜査1課などの調べでは、女性は5日夜、知人女性に「JR亀戸駅で男の人に会う。会うのは初めて」と告げて行方が分からなくなった。
6日昼ごろに家族や友人に「覚せい剤を打たれた。殺される。助けて」などと電話。以降、携帯電話がつながらない状態となった。
同日には山梨県警にも同様の内容の110番通報が2回あったという。

女性が男の車のナンバーを告げたことから、同課などは男の行方を捜査。11日夜に男を発見、事情を聴いたところ、女性を車中に監禁したことを認めたため逮捕した。
男は逮捕時に下着の中に覚せい剤を隠し持っていたため、覚せい剤取締法違反容疑でも逮捕した。

同庁などが男の車を調べたところ、助手席から尿の成分を検出。
また車内からはタオルも見つかり、血液反応が出たという。

スキャンダラスな事件に報道も過熱、石田さんの家族は取材自粛を求めたが、その後、塩野容疑者が薬物の隠語で何人もの女性を誘い出し「行方不明になっても責任は問いません」と誓約書を書かせていたことが判明。

●名古屋ホストクラブ経営者拉致殺害事件

この事件は、9月1日午後11時に名古屋市中区富士見町の路上で発生した。作業着とヘルメットで工事作業員に変装した10人前後の集団が、帰宅途中の風俗店経営者男性(当時54歳)を銃撃した。現場の隣に位置するマンションに住んでいた知人の女性が事件に気づき、大声で助けを求めるが、女性に気付いた犯人らは女性にも銃撃を加えそのうち一発が首を貫通し負傷した。数発の銃撃を受けて倒れた男性を暴行し、車のトランクに無理やり押し込め、トランクの中の男性に向けて至近距離で2・3発発砲した後自動車2台に別れて逃走した。

拉致された経営者男性はトランクの中で死亡しており、犯人らは所持金と貴金属類を奪い、男性の遺体を損壊した上で、ドラム缶にコンクリート詰めにして滋賀県彦根市の川に沈められた。その後、犯行グループはメンバーの一人が現場に落とした携帯電話から身元が割り出され逮捕された。グループの構成は、指揮をしていた主犯格の元山口組系暴力団員男性(当時33歳)と人材派遣業男性(当時43歳)、無職の女性(当時30歳)。実行役は人材派遣業で働いていたと思われる日系ブラジル人の男性数名(うち二人は逮捕監禁容疑で指名手配)である。

以前から、被害者男性と加害者男性が金銭トラブルがあり、路上で言い争っている姿を目撃されている他、本事件の前の5月にも被害者男性が集団に襲われ警察沙汰になっていたことがわかった。

●佐久間奈々さん誘拐事件

佐久間奈々さんと3人の同級生が約4キロ離れたコンビニエンスストアまで、 夜食を買いに自転車で出かけたのは、10月27日午前零時すぎ。買い物を終えた帰り道4人は国道126号を渡り、午前1時ごろ、多部田町付近まで来たときに、「こんなところで何をしているんだ」。見知らぬ中年の男はそう言いながら近づいてきた。
男は巧みに補導員を装い、「16歳未満の者が11時すぎに歩いていると、犯罪になる。
普通なら警察ざただが、話を聞くだけで許してやる。お前が代表でついて来い」と言い、 佐久間奈々を指名した。残る3人には「お前たちは帰れ」。男は佐久間奈々さんを近くの細い道の方に連れて行った。
そのまま奈々さんは行方不明。
奈々さんが連れ去られた27日の午前1時20-30分に、現場付近の交差点で、 奈々さんと男らしい2人連れを、通りがかった車の運転手が目撃していた。
午前4時過ぎにも、隣接の住宅地、千城台の方を歩いている2人連れを目撃したとの証言もあった。
しかし、それ以降の情報はぷっつり切れたままの状態。

1991年10月27日に起きた事件であり、奈々さんは生きていればすでに30才を超えている。

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