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日本史上の美男・美女たち

伝説の美男美女ではなくて、写真の残っている(ほぼ幕末以降)日本史に登場する美男美女を集めました。五代さまに、大正三美人。メーテルのモデルとなった楠本高子、絶世の美女と名高い陸奥亮子も網羅。

更新日: 2016年10月03日

SophiaESLさん

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まずは美女編

鹿鳴館の華と呼ばれた美人中の美人

陸奥 亮子(むつ りょうこ、安政3年(1856年)11月 - 明治33年(1900年)8月)は、明治時代の政治家で外交官でもあった伯爵・陸奥宗光の夫人。日本赤十字社正社員。その美貌と聡明さによって「ワシントン社交界の華」と呼ばれた。

父:陸奥宗光
母:陸奥亮子
長男:陸奥広吉
長男もイケメン。

ありすがわのみやひ ただこ

1855-1923 明治-大正時代,後述の有栖川宮熾仁親王(超イケメン)の妃。
安政2年5月12日生まれ。越後(えちご)(新潟県)新発田(しばた)藩主溝口直溥(なおひろ)の7女。病死した貞子妃のあと,明治6年熾仁親王と結婚。親王とともに佐野常民(つねたみ)らをたすけ博愛社(のちの日本赤十字社)創設につくし,東京慈恵医院幹事長を10年間つとめた。大正12年2月7日死去。69歳。幼名は栄姫。

イケメン編にも登場する北白川宮成久王の妹。
旧宮家の美しい女王

のちに二荒 芳徳(伊達家)に嫁ぎました。

シーボルトのお孫さん。メーテル(銀河鉄道999)のモデルでもあります。

フィリップ・フランツ・フォン・シーボルト
長崎の出島のオランダ商館医。出島内において開業の後、1824年には出島外に鳴滝塾を開設し、日本国内での西洋医学(蘭学)教育を推進した。

佐賀藩最後の藩主、11代鍋島直大公夫人。
ローマで結婚式を挙げ、イタリア社交界で活躍。帰国後は鹿鳴館の華として注目された。
帰国後の明治20年以来、日本赤十字社篤志看護婦人会長として活躍、また東洋婦人会・大日本婦人教育会など数々の婦人団体を主宰した。

NHKの朝の連ドラ、「あさが来た」のヒロイン、あさのモデル。
京都、油小路通出水の小石川三井家六代当主・三井高益の四女。
明治を代表する女性実業家であり、豪気・英明な天性から「一代の女傑」と称えられた。

ご存知、坂本龍馬の奥様。龍馬が一目惚れしただけあってさすがの美人です。

楢崎龍 (ならさきりょう)坂本龍馬の妻。一家離散後、各地を放浪するなかで坂本龍馬と出会う。龍馬によって寺田屋に預けられたお龍は、慶応2 年(1866)、入浴中に捕り方の気配に気づき、裸のまま2階に駆け上がって龍馬に襲撃を知らせた(寺田屋襲撃事件)。九死に一生を得た龍馬を支えたお龍と龍馬は直後に正式に結婚。龍馬は姉・乙女への手紙で「まことにおもしろき女」とお龍について記している。龍馬の死後は土佐の坂本家を頼ったが、龍馬の姉・乙女との折り合いが悪くやがて各地を転々。明治18 年(1885)、西村松兵衛と再婚したが、晩年はアルコール依存症で、「私は坂本龍馬の妻だ」とたびたび口にしたという。享年67 歳。

五代目中村歌右衛門をして「こんな芸妓、生涯二度とお目にかかるまい。」と言わしめた京都祇園の芸妓・江良加代 (Era Kayo)

西園寺公望が家訓を無視してまで妻にしようと愛し、桂小五郎(木戸孝允) に愛され、伊藤博文にも入れ込まれたが相手にせず、最後は豪商・三井松坂家の三井源右衛門の妾となり幸せに生涯を送ったという伝説の女性です。

薩摩千代子 (薩摩治郎八の妻)

山田英夫伯爵の令嬢、フランスでバロン薩摩と呼ばれた富豪、薩摩治郎八の妻。藤田嗣治が「ドーリー(お人形の意)」と呼んでかわいがった美人で、カンヌの美人コンクールでも優勝、フランスのファッション誌『ヴォーグ』にも何度も登場したという国際派の美人。洋画家の佐伯祐三にも愛されていたとかいないとか。

徳川家最後の将軍、徳川慶喜の長女。
田安家第9代当主、徳川達孝に嫁ぎ4人の娘を産むも、21歳(数え年)で夭逝。

左に写っているおばあさまは、鏡子の祖母、徳川吉子で、慶喜の生母。

島津斉彬みずから撮影したものと伝えられるこの3人の少女の写真は、斉彬公の娘たちの肖像で、左より典姫(のりひめ)、暐姫(てるひめ)、寧姫(やすひめ)。

大倉財閥2代目総帥、大倉喜七郎男爵の夫人。伯爵・溝口家で育った生っ粋の旧山乃手人。

当時新聞記者だった作家の子母澤寛が「当時の美人と言えば九条武子、江木欣々が有名であるし、わたしも皆お会いしたが、この方(大倉久美子さん)の美しさもそれに並ぶかそれ以上で、インタビューの間しばしば見惚れてしまった」というようなことが著書「味覚極楽」に書いてありました。

大正三美人 - 柳原白蓮、九条武子、江木欣々

柳原 白蓮(やなぎわら びゃくれん、1885年(明治18年)10月15日 - 1967年(昭和42年)2月22日)。歌人。本名は柳原燁子(あきこ)。大正三美人の1人。
大正天皇の生母である柳原愛子の姪で、大正天皇の従妹にあたる。

華族の令嬢にして楚々とした和風美人ですが、うちには熱いものを秘めていた女性のようです。

「白蓮事件」
大正10年10月、大阪朝日新聞に、夫、九州一の炭坑王・伊藤伝右衛門へ突きつけた絶縁状を公開し、7歳年下の帝大生・宮崎龍介の許へと走った。

朝日新聞デジタルより
柳原白蓮の「失跡」を伝える記事。下の写真が後の夫となる宮崎龍介。翌日付の紙面に、夫への別れの手紙が載った(1921〈大正10〉年10月22日付紙面から)

URL: http://www.asahi.com/information/db/130/20081129_1.html

出典jpdo.com

前出の白蓮とはともに歌人で親友。お互いを「たあさん」「あきさん」と呼び合う仲だったとか。家柄や愁いをふくんだ美貌もあって「孤閨を守って十年の哀愁美人」「才色薄幸の歌人」といわれましたが、素顔はずいぶんとさっぱりしたお転婆な女性だったらしいです。

九条 武子(くじょう たけこ、1887年(明治20年)10月20日 - 1928年(昭和3年)2月7日)
教育者・歌人、後年には社会運動活動家としても活躍した。仏教主義に基づく京都女子専門学校(現・京都女子学園、京都女子大学)を設立、関東大震災で全壊した築地本願寺の再建、震災による負傷者・孤児の救援活動(「あそか病院」などの設立)などさまざまな事業を推進した。
私生活では1909年(明治42年)、公爵家出身で正金銀行勤務・九条良致(くじょう・よしむね)に嫁いだ。

九条武子の実兄、大谷光端もイケメンです。イケメン編でご紹介しておきました。

現代の美人の定義とは少し違う気もしますが、女流小説家の長谷川時雨に
「黒目がちの大きな目(中略)色んな面を見せて複雑に輝く切子の壺のような女性」といわしめた、素敵な女性です。

江木 欣々(えぎ きんきん、1877年(明治10年)1月30日 - 1930年(昭和5年)2月20日)。
明治期の法律学者・江木衷の妻。本名は栄子。号を欣々、または欣々栄と称した。生年は1879年(明治12年)説(墓誌)がある。

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在豪10数年。本職はCPAですが、料理・英語教育関係にも興味があります。英語に関して、詳しくは運営サイトをご参照くださいませ。

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