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新潟でおこなわれていた「どぶね農業」って知っている?

新潟市は戦前、大河の河口にちかい野は潟であった。そこでは肩まで水につかりながら、農業がおこなわれていたのである。それを「どぶね農業」と呼んでいた

更新日: 2012年11月30日

Gavi_labさん

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食を得るというただ一つの目的のためにこれほどはげしく肉体をいじめる作業というのは、さらにはそれを生涯繰り返すという生産は、世界でも類がないのではないか。

司馬遼太郎「街道をゆく―潟のみち」より

地図にない湖と「どぶね農業」

戦前の話から始めたい。
上越線に乗って新潟へ来ると、新潟へ着く直前に巨大な湖が現れる。
しかし、どう探しても地図には載っていない。
あれほど大きな湖なのに・・・。
多くの人が不思議に思ったという。

湖の大きさは東西11キロ、南北10キロ、約1万ヘクタール。
東京23区の約4区分に匹敵する広さである。
現在のJR新潟駅や周辺の繁華街まで含む亀田郷一帯が、その“地図にない湖”であった。

なぜ地図に湖と記載されていなかったのか?

人には湖に見えたその一帯は、新潟農民のなけなしの“農地”だったからである。

写真の光景は、釣ではない。
舟に積まれた獲物は“土”。
農民は、その肩まで沈む湖のような農地を1ミリでも高くするため、毎年、川の底から舟でわずかな土を浚[さら]ってきては、自分の農地に撒[ま]き続けた(客土という)。
収穫を終えた晩秋から雪が積もり始めるまでの、農家総出の重労働であった。

舟を使う農業も珍しくはない。車が登場するまで、舟は移動や運搬の主力であった。
しかし、土を乗せる舟、つまり、“どぶね農業”の存在は、ここ、新潟平野だけではなかろうか。

亀田郷では、昭和三十年ごろまで、淡水の潟にわずかな土をほうりこんで苗を植え(とういより浮かせ)、田植えの作業には背まで水に浸かりながら背泳のような姿勢

雪解け水に肩までつかる田植え作業。
いったいこれが農業と呼べるものなのであろうか。

泥のような深田では、もとより生産力は低くなります。加えてその少ない実りがすべて二、三年に生ずる大洪水によって流されてしまいます。濁流は家屋を襲い、人畜を殺傷し、何日も水は引かず、新潟平野は一大泥海と化しました。多雨と豊かな土壌に恵まれた日本にあって、「三年一作」と言われた土地が、新潟平野でした。

明治から昭和 20 年代にかけて、治水や排水対策が完備されていなかった亀田郷の
稲作農民は、洪水におびえながら一粒でも多くの米を得ようと、身を粉にして働きつ
づけた。所によっては胸まで浸かる深田での田植や稲刈り、海抜ゼロ㍍以下の水田で
は日夜排水作業に追われた。

ジョレン掻かき

低湿地の農地をわずかでも高くするため、寸暇を惜しんでは続くジョレン掻き。満載した泥のために舟が転覆し、川や潟で水死した農民もいたという。

田植えのようす

腰まで水に浸かりながら苗を植えている(正確には浮いている)。

稲刈りのようす

水の中へカマをさして稲を刈り、刈られた稲を集めて小舟(きっそう)で押す。多くの人が神経痛、胃痛に悩まされていた。

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Gavi_labさん

初心者ですが、ゆるゆるとまとめていきまーす。

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