1. まとめトップ
  2. 雑学

地図から消されていた広島県 大久野島の忘れてはいけない過去

瀬戸内海に位置する 大久野島。野生のウサギが多数生息する観光地として知られる一方、「地図から消された島」とも呼ばれています。一体何があったのか?忘れてはいけない過去をまとめました。

更新日: 2012年12月11日

nekofunkさん

  • このまとめをはてなブックマークに追加
596 お気に入り 729344 view
お気に入り追加

広島県 大久野島とは

大久野島は広島県竹原市忠海町の沖合い3kmに位置し,数戸の農家が耕作を続ける島でした。

昭和2年には,島全体が陸軍の毒ガス製造を目的として管理下となりました。

昭和2年(1927年)は太平洋戦争が始まる14年前。毒ガスの使用はジュネーブ条約によって禁止されていました。

毒ガス兵器という国際的に禁止された兵器をつくっていたので、戦争中はこの島は地図からも消されていました。

周辺の島々もろとも地図から末梢されました。海岸線を走る列車の窓は鎧戸が下ろされていたそうです。

従事者たちの実態(第二次世界大戦中)

(毒ガス工場には)地元の農民や漁民、勤労動員学生ら6500人が一定の養成期間を経て従事していた。

毒ガス工場へは希望入所ではなく国家総動員法の徴用令状により、ほとんどが16-17歳という未成年のまま、強制的に大久野島行かされた徴用者。

強制力のある徴用礼状は、「赤紙(軍隊への召集令状)」に対して、「青紙」と呼ばれていました。

元従事者たちは、戦争中は憲兵から島で見聞きしたことを外部に話すことを禁じられた。戦後は、毒ガス工場で働いた事実が明るみに出て、自身や子どもらが差別されることを恐れた。心はずっと縛られていた。

その事実が初めて報道されて明るみになったのは、なんと戦後約40年が経過した1984年。

元従事者たちの証言

<勤労奉仕していた元女学生>
大久野島で何を製造しているかは知らされていませんでした。黒く焼けた鉄の色をした顔、目の縁が黒くなった顔、ガラガラ声の工員さんの姿を見て、何とも言えぬ不安を感じ、何か良くないものが製造されていると思った。

多くの従事者達は何を製造しているのか知らされていませんでした。ただしみんな「ただならぬ雰囲気」に危険を察していた様です。

<元徴用工>
帽子に浸透したルイサイト(毒ガス)が、ほんのちょっとだけ頭に触れた。2時間後、頭痛がはじまり、三日三晩にわたり七転八倒した。かなづちで頭を殴られ続けているような痛みだった。こんな激しい痛みに襲われ、初めて自分がつくっている毒ガスの恐ろしさを知った。

その時、医務室にいた軍医から「手当はできない。手当ができるようでは兵器ではない」と言われたそうです。

※写真はイメージです。

<元中学動員学徒>
顔は黒く、目は赤く、肺はただれ、集会の折、駆け足で来る第2工場(イペリット)の人達は咳が止まらず、血を吐いていた。

従事者である多くの未成年者たちに、この光景はどう映ったのでしょうか。

<元工員>
退職を願った人には、憲兵がやってきて、責め立て、殴打するので、毎日、泣き泣き自転車を工場に走らせていた。

大久野島での仕事の内容や起きたことは一切外部に喋らない様、誓約書を書かされていました。

実際に使われていた防護服

戦後の大久野島

戦争が終わって不要となった毒ガスや化学兵器は、大久野島の島内の地中に埋め込んで処分されたり、上記の毒ガス貯蔵庫などで火炎放射器を使った焼却、周辺海域への海洋投棄といった方法で処理し、除毒措置も施された。

それでも、未だに地下からヒ素が検出されることがあるそうです。

大久野島に今も残されている毒ガス工場の廃墟

近年では多数のウサギが生息することでも知られ、ウサギ島とも呼ばれる。現在は年間約10万人の観光客が訪れる「ウサギの楽園」として知られ、一部のウサギ好きの聖地ともなっている。

国民休暇村として多くの人の憩いの場になっています。

関連リンク

1





このまとめへのコメント2

  • nekofunkさん|2012.12.10

    >pommerさん コメントありがとうございます。色々な説があるみたいですね。ただただ毒ガス製造の悲惨さを忘れないで、平和が続いて欲しいですね。

  • pommerさん|2012.12.10

    よく、日本軍の毒ガスや化学兵器の話は聞くものの実際に戦争で使われた形跡が一切ないのが不思議なんですよね。実際に使う目的ではなく、使われた場合の対処法を研究してたのかもしれません。

1

生活、雑学、健康、旅行、音楽などなど、思いついたことをまとめます。