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写真と映像でつづる上野動物園のパンダ史

1972年に日中国交回復を記念して中国から贈られたジャイアントパンダのカンカンとランラン。2011年に来園したリーリーとシンシン、その赤ちゃんまで、当時の様子を写真と映像(動画)で振り返ります。

更新日: 2018年12月03日

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1972年10月28日

ジャイアントパンダ初来日

今でこそ有名なジャイアントパンダパンダですが、日本では存在そのものがあまり知られていませんでした。しかし、報道などで紹介された愛くるしいすがたはたちまち国民をとりことし、大変なパンダブームが到来したのです。初公開には夜を徹して一番乗りを目指す青年が現われ、開園を待つ人の列は2キロメートルにも達しました。

1972年、当時の田中角栄首相が中華人民共和国を訪問し、周恩来首相との首脳会談により、日中国交正常化の道が開かれました。これを記念して、中国人民から日本国民に、2頭のジャイアントパンダ「カンカン」(オス)と「ランラン」(メス)が贈られることになったのです。そして同年10月28日、待望の初来日がかないました。

1979年9月4日

ランラン死亡

妊娠中毒による急性腎不全。体内からは胎児が発見されました。

1980年1月29日

ホァンホァン来園

当時推定7歳。カンカンとのペアリングが望まれていました。

1980年6月30日

カンカン死亡

急性心不全。

1982年11月9日

フェイフェイ来園

当時推定15歳。日中国交正常化10周年を記念。

1985年春

人工授精の試み

ホァンホァンとフェイフェイの同居を試みたが、ホァンホァンはフェイフェイを受け入れず。

1985年6月27日

ホァンホァンが第1子出産

オスと判明し、チュチュと名付けられたが、43時間の短い命だった。日本で生まれた初めてのジャイアントパンダ。

1986年6月1日

ホァンホァンが第2子出産

名前を公募し、26万通を超える応募の中から「トントン」と命名。

1986年12月17日

トントン初公開

国内で初めて無事に育った上野動物園の生後6カ月のパンダ、トントンが公開2日目にようやく展示室に姿を見せた。母ホアンホアンの陰に恥ずかしそうに隠れる。父フェイフェイ(右)は同じ部屋に入れず寂しそう。

1988年6月23日

ホァンホァンが第3子出産

公募により「ユウユウ」と命名。
【写真】ユウユウとホアンホアン=1988年12月24日
http://mainichi.jp/graph/2012/05/18/20120518org00m040036000c/034.html

1992年秋

ユウユウとリンリン交換

日中国交正常化20周年を記念して、ユウユウと北京動物園にいたリンリン(オス、当時7歳)の交換が決定。11月5日にリンリンが上野に到着、11月13日にユウユウが北京動物園へ旅立った。

1994年12月14日

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