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リストカットをする意味

なぜ人は自傷行為をしてしまうのでしょうか。そして自傷行為はどうすればやめることができるのでしょうか

更新日: 2016年09月22日

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この記事は私がまとめました

jgaさん

リストカットは生きるため。

一度に過度のストレスを感じると自暴自棄になってしまうのは誰もで経験があると思います。それが特に自分への自責に向かった場合、なんとか自分を痛めつけないと自責の念の方に自分の心が潰されてしまいます。そのため、自傷行為にいたるのです。

一種の思考停止状態になって、とにかく腕を切ってしまうのです。やめろと言われてもやめることができないのです

リストカットしてしばらくのあいだは自責の念が緩和されるので精神的には少し楽になることもあります。ところがあとでリストカットしたことを後悔することもあります。

リストカットをするな=死ねというようなもの

リストカットをするのは死ぬためではありません。死ぬためではなく、心のバランスを保ち生きるために行われるのです。

ですから、リストカットをしている人にリストカットをやめろというと、他に解消方法を失った自責の念が発散されなくなってしまいます。本人もそれが正しいことではないとわかっている場合が多くありますので、リストカットをやめされるのは逆効果になります。

遠因 心を病むとは?

親から愛情をもらえない場合、その場合は誰かにその愛情を補填してもらいたいと思うものです。悩みを相談できる人がいる人はあまり止むことはありません。何でも話せる、何でもわかってくれる人がいる場合は止むことはあんまりありません。逆に誰にも、自分の心を見せることができない人は危険度が高くなってきます。

辛いことがあった時に、誰かと悲しみを共有できない状態が続いて心の中だけの悲しみがた待ってしまうと、とにかく「誰かに悲しみをわかってもらいたい→甘えたい」という状態になります。

ところが、そんなに深く愛してくれる人はなかなかいませんよね。誰とも心を共有できない状態が長く続くと誰でも辛くなってきます。

こうして愛情を渇望するようになると更に愛情が得にくくなります。「愛情をください」というのが真っ先に出てきてしまうようになって人に愛情を与えるという余裕すらなくなってしまいます。こうなると迷宮入りしてしまいます。

病みにつながる危険な考え方1 人間存在を否定して、拒絶する

まず人間不信をやめましょう。広い意味で人間存在そのものを信頼してください。人間は良いものだ。いいものだと人間を肯定してください。世の中の人はいい人だと信用しましょう。これがなかなか難しいものだと思います。人にひどく傷つけられると、人間なんてみんな卑劣で恐ろしいものだと思ってしまいがちです。そういう気持ちになるのはわかります。けれどもみんながみんなそうではありません。いろんな性格の人間がいるのです。本当に色々な人間がいるのです。ですから一面的に世の中の人間というものをひとくくりにしてはいけません。世の中にはあなたをどうやって痛めつけてやろうかと考えている人もいれば、あなたと仲良くしたいと思っている人もいるし、あなたを見て嫌いだなと思う人も確かにいるし、同時にあなたを見てなんかいい人だなーと思う人もいるのです。本当にそこは千差万別です。ですから人間というものを一括りにして「人間なんて」という言い方をしてはいけません。確かに世の中にはあなたを支援してくれる人たちがいるのですからそういう人たちからしっかりと支援をしてもらったほうがいいのです。最初からあなたが拒絶をしてはいけません。世の中には地獄のような人もいますが、天国のようなに親切な人もいるのです。あなたが「愛をくれませんか?」といったら「ふざけるな!ころすぞ!」という人もいれば、「喜んで!」という人もいるのです。そしてそれは世界中に様々なところにまんべんなく散らばっているのです。「ああいう人たちは冷たい人だとか」「DQNは自分を理解してくれるはずがないとか」そういう固定概念は捨てましょう!他人を肯定しないと自分を肯定することはできないのです。あなたも人間ですから人間を信用しましょう

病みにつながる危険な考え方2 自分に厳しすぎる

それから自分に厳しすぎるのもよくありません。自分に厳しい人間というのは往々にして他人にも厳しくなるものです。自分と他人を図るものさしはひとつだけなのです。ですから人に対しても完璧を求めていくと誰もかも「不十分な人間」になってしまいます。親切だけで言葉遣いが悪いから嫌だとか、いい人だけど意気地なしだから嫌だとか、言いだしたら誰も信じれなくなってしまいます。ですから人に厳しくしないこと。それはとても大切です。そのためには人の醜さを受け入れることも大切です。人間は醜くてエゴだって強いんです。地震がおきたら、どんな親切な人だって人を押しのけてでも逃げようとするんです。それは仕方ないのことなのです。人は自分が一番大事なのです。これはあなただってそうでしょう。それは悪いことじゃなくて当たり前のことなんです。そしてズボラで場当たり的で、自分に甘くて、何かあったら人のせいにするのが人間なのです。こういう人間を受け入れましょう。みんなどんぐりの背比べでほとんどみんな「クズ人間」なのです。でも「クズ人間」であることを認めて許し、あいしあうことはとても大切なのです。そんなのやだ!人間はもっと完璧だと思い込んでいると疲れてしまいます。そんなはずはないんです。あなただってあなたが自分でおもっているよりずっとカッコ悪く周りには見られているのですよ。

病みにつながる危険な考え方3 愛情の形を細かく指定する。

その実人間を支えてくれるのは、全ての人々の小さな愛情です。それは家族の愛情や友人の愛情や、また近所の人の愛情やすれ違った人の些細な親切だったりします。恋人だけが自分をわかってくれるとか、恋人じゃないと自分を理解してくれないというのは危険な考え方です。メンヘラは愛情の指定をしたがるのです。「こういう形の愛情がほしい」とか欲張りなことをいうのです。これは例えると「お腹がすいた時にパスタしか食べたくない」と言っていると同じです。そこらじゅうにご飯もパンもあるのにパスタじゃないと嫌だと駄々をこねるのと同じです。そんなこと欲張りなことを言っていたら飢えてしまいます。
でも愛情は様々な形をしているのです。指定した通りの形ではすぐそばにはないかもしれないけれども、そこらじゅうに愛はあるのです。世界中には様々な愛の形があります。そして人を支えてくれる人は様々な場所にいます。それは近所のおじさんかもしれないし、職場の上司かもしれません。もしかすると、時々行くペットショップの店員かもしれません。あの人が自分を理解してくれるはずがないと思い込まないでください。少しずつ様々な人に対して自分の感情を吐露していくようにしましょう。少しずつですよ。少しずつで構いませんから。最初からこの人は分かってくれないという固定観念は捨てましょう。その時に人間不信が邪魔をするでしょうが、世の中に冷たい人と同じくらい親切な人がいるのです。世界の半分はあなたを理解しないとしたらもう半分はあなたを理解してくれるものです。あなたが思う以上にあなたを理解してくれる人というのは多いものです。

病みにつながる危険な考え方4 甘える対象と甘えない対象を極端に分ける

メンヘラというのは甘えるのがとても下手くそな人たちなのです。人間は適度に人に自分の弱さを見せて頼ることで、精神のバランスを維持しているのです。それが全くできないのがメンヘラです。人間への不信感が強いので、滅多に人に何かを相談しません。頼ることはありません。頼りたくても人間不信が邪魔をして頼れないのです。メンヘラに最初あったときは、しっかりしているように見えるものです。それは意識的に彼らが自分を強く見せよう、よく見せようとしているからです。「甘えたい」感情は誰もが持ち合わせているものです。この感情が過剰に溜まりすぎてしまっているのがメンヘラで、これが、一部の甘える対象に対しては洪水のごとく溢れ出てしまうのです。信頼できる人だと思うと、際限なく甘えてしまうのです。けれども、一気に甘えられると対応できないものです。そしてその「信頼できる人」に入る条件がとても厳しい。メンヘラが信頼できる人は数える程しかいません。場合によっては1人もいないかもしれません。多分ひとりもいないのでしょうね。その一人を恋人にしようとするのです。少しずつ色々な人に甘えるのが一番いいのです。一気に一人に頼っては困らせてしまうだけなのです。

考え方を変えてみる。愛されなくともよい。

リストカットなどをしてしまう人は多くの場合、視野が狭いのです。
そして自分のことを考えすぎる傾向があります。
そして自分が愛されないということでその深みにはまっていくのです。
愛と欲望を勘違いしていることもあります。愛されることは人生においてそれほど重要なことではありません。しかしそれがわからないで苦しんでいることが多いのです。

誰かに愛されたいというのも確かにこれはしがらみです。人は生まれた時から人の愛を求め続けます。愛されたいと叫び続けて愛されないと悲しいものです。寂しいものです。しかし、人の本当の性質は愛を与えることにあるはずです。人に愛されるためにうまれたのでしょうか、人に愛されることに価値があるのでしょうか。いいえ、そうではありません。人は人を愛するために生まれたのです。この世界に一つでも多くのものを与えるためい生まれたのであり、そこにこそ、人間の本当の価値があるのだと気づくことが大切です。

これは逆転の発想でもあるでしょう。しかし世の中には愛されないということで心を痛め、人生を破滅させていくものが多いのです。これは何とも悲しいことです。人に愛される、愛されないということ、たったそれだけのことで心を痛めるのはかなしいことです。人に愛されると喜び、愛されないと悲しむ。
こういう生き方は人生を他人にゆだねる生き方です。自分一人の幸福くらいは自分で支配するべきでしょう。
人に愛されたか、愛されなかったか、これは本当に些細なことなのです。この世の人は他人からいかに恵まれるかということを考えすぎているのです。

「人に愛されることは大きな価値ではない。人をいかに愛したか、世のため、人のためにどれだけ尽くしたか、ここにこそ、本当の価値がある。」
こういう価値観に変えることが出来れば随分と楽になるのです。

どんなに優れた人間であってもその力を世のために使えないのでれば、それは何の意味もない

日々の生活で、どれほど世の中に貢献しましたか?どれほど社会のために尽くしましたか?
こういう価値観で自分自身を評価すべきですし、世の中の人も評価するべきなのです。
頭がいい、容姿がいい、様々な才能に恵まれている。仕事で評価される、有名な大学に合格する。
やはりこれはそれだけでは意味がないのです。そういう優れた才能や地位を持っていたとしても、それをただ一人自分のために使うのであれば、これは対して意味がないのです。ですからそういう点で人を羨み、劣等感を感じるのは残念なことです。
どんなに優れた人間であってもその力を世のために使えないのでれば、それは何の意味もないのです。
優れていればこそ、その力を世のため、人のために使うべきですし、それでこそ初めて価値が生まれてくるのです。
人間の偉さというものがあるのならば、その一点でのみ人の価値を測るべきでしょう。

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