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jgaさん

病むというのは簡単に言うと心が慢性的に、嫌な気持ちで満たされる状態です

病むというのは簡単に言うと心が、嫌な気持ちで満たされる状態です。
不快感や苦しみの感情例えば不安とか、恐怖とか、そういうもので心が満たされている状態を病みの状態といいます。これはなかなか辛いことですよね。

自分は自分でしか救うことはできない

結論から言ってしまうと、メンヘラと言うか、病んでいる方に関しては外部から救うということは不可能で自分で自分を変えようという風に決意しない限りは難しい。人に頼って外的要因に責任を求めて行くところに原因があるので、それは一歩間違うと共依存状態に陥っていきます。
救っている気になって、実は相手が「病んでる」ことをそのままにしていることがある。

その人がご自身で変わっていくという方向性をしっかりと示してしていく必要がございます。そうでなければいくら周りが助けようとしても助けることはできないです。自分で強く変革を起こして行かない限りは、何も現状は変化することはありません。現在こういう状況が自分の前に展開しているのは外的要因とか自分以外のところに何か責任があるのではなくて、自分の責任であるという風に価値観を変えていく必要があります。

自分の責任であるという風に認知できれば自分の行動によって変えていくことができます。口を開けば外的要因ばかりを口にされますので外的要因ではないところに実は問題があってご自身の問題であるという風な認知をされていない方がいます。

これはとても面白いのですが、彼らは人のことはよくわかるのに、自分のことはよく理解できてない。こういう人は自分を変えるのではなくて周りを変えて行くことにすごくエネルギーを費やしていきますし、それを強く周りに要求していていくわけです。それが叶わないと今度は拗ねて、自己憐憫を始める。結局、自己憐憫の根源にあるのは、怒りです。簡単に言えば自己中心的な考え方が今の悪い元凶を呼び作り上げている、という風に理解する必要があります。

彼らに対しては「自分の力で自分の人生ぐらい変えて行きなさい。」これ以外はなくて、「自分の人生なんだから、いつまでも人に依存し甘えて頼る生き方はもうやめなさい。」とこれ以外にはないです。こう言うと冷たいかもしれませんが、それが優しさです。人間は自分で思っているよりもずっと強いのです。

外的環境を変えていくというのは実は近道のようで、すごく難しいことです。
「自分の考え方に誤りがあります。」ということを認知できるかどうかが第一歩になります。基本的に外的要因に責任転嫁をしていった場合には、その延長線上には周囲を攻撃したり非難したりすることしかできなくなります。こういう人が社会において高く評価されていくことは、なくて厄介者になっていきます。

いつまでも自己憐憫に陥ってめそめそするのは自由ですけども、それが本当にあなたの心からの望みなんですかということは聞いていきたいと思います。
ですからこういう方に対しては、あなたは本当に幸福になりたいのかどうか?ということを質問しないといけない。結局どこかで不幸に酔いしれている自分がいませんか。

多少の逆境とか苦しみとかはありふれていて、星の数ほどあります。でもそれを特別なことであるかのように思い込んで、自分を悲劇のヒロインにしているだけの人もいるんです。タンスに小指をぶつけることくらい誰でもありますが、タンスに小指をぶつけた私はなんてかわいそうなのだ。と思っている人がいるのです。

病みが長く続くと慢性的病みになり、修復が難しくなります。

そしてあんまり長いこと病みの状態でいると、病みの状態でいることが標準になってしまうのです。
こうなるとなかなか明るい気持ちにはなれなくて病みがかなり固定化されてしまいます。
こうなるとずっと病んでいる状態になるのです。毎日気分が暗いままの状態です。そしてもともと明るい状態というものがどうだったかということすら思い出せなくなるので、再起が難しくなります。
だから今高校生とか中学生でやんでいる人達は早いうちに手を打たないと、50になっても60になっても病んだままになりますので早めに病みの状態から抜け出しましょう。

向上心の強い人、頭のいい人、繊細な人はストレスを感じやすい

繊細な人ほど病みやすいのです。あんまり物事を深く考えない人の方がやまないのです。また向上心が強い人の方が病みやすいのです。とにかく美味いメシが食えればいいじゃん。という人はまだ病みにくいのです。向上心というのは、強くなりすぎると自責の念になるのです。「自分はなんと情けないのですか!」と思いがちなのです。ぼーっとしている人の方が病みにくいのです。繊細な人はちょっとしたことも感じ取ってしまうのです。ちょっとした嫌味とかそういうことも読み取ってしまうのです。ある程度自己の頭の良さを自覚している人の方が病みやすいのです。自分が頭がいいと気づいている人は当然自分に求めるものも強くなりますよね。
「私馬鹿だからさぁー」と言っている人はあんまりやまないのです。それから頭の回転が速いといろいろ考えすぎてしまうこともあるのです。ああいう失敗もありえるな未来のシナリオを山ほど想定してしまうのです。
例えばあまり物事を考えない人だと想定は2パータンくらいしかありません。悪く言えば危機を予測する能力が低いのです。ところが頭の回転が速いと10パターンも20パターンも考えて寝れなくなったりするのです。
例えば、明日仕事でこういうふうに失敗するんじゃないかとか、そういうことを10パターンも考えたら寝れなくなりますよね。

物を持ちすぎると維持だけで疲れるようになる。

人間は何かを手に入れれば幸せになれると思っていますが、一歩間違うと手に入れたものを維持することだけで疲れてしまうことがあるのです。捨ててもいいものを持ちすぎているから、その維持費で息苦しくなるのです。

具体的方法① 人から理解されたいと思うことをやめる。

人から理解されたいと思っても理解されないことはとても多いのです。
後輩から馬鹿にされた、同僚が、上司が頭ごなしに否定する。見下す。
家族が自分を理解してくれない。わかってもらえない。

こういうことで、人は傷ついたと感じますが、相手を変えることは不可能なのです。
少なくとも自分が変わらず、相手を変えることはできないのです。
自分の受け取り方に、間違いがないかを考えてみる必要があります。
人が自分を理解してくれなくてもいい。それもその人の自由。自分を馬鹿にしても攻撃しても
陥れてもすべて許そう。すべてを際限なく許そうと思えば、
精神が乱れることは減ります。

雨の日に雨が降ることを呪えば、つらいです。
しかし傘を差せばいいだけだし、濡れたら乾かせばいいだけです。
殆ど実害はないのです。人から心無いことを言われてもそれを、小さくとらえていれば、
ダメージはないのです。

ですから、あなたを傷つける人に対して、抵抗するのではなく、それをあるがままに受け入れて
「まぁ、いいや。」と思えばいいのです。
その中にはもちろん、正当な批判もあるでしょうからそれを謙虚に聞くことは大切です。
しかし、自分を批判されたからと言って批判した人を憎むようでは少し心が狭いと思います。
そのくらいのことでいちいち動揺していては生きていけません。

キリスト教には、「右の頬をぶたれたら、左の頬を差しだしなさい」と言う言葉がありますが、
際限なく赦すことで、憎しみを受け流すことができるのです。
際限なく、何をされても全てを許し、受け流すことで、人からの批判や悪意に対して心が乱れなくなるのです。

多くの人は人から害されないように盾を用意したり、剣でやり返しますが、そんなことをしても、苦しみが増えるだけなのです。すべて許すこと、際限なく心から許し水に流すこと。これが最も賢明な方法です。

具体的方法② 最悪の場合を考える。

別に最悪の場合でも死ぬことは無いのです。死ぬほどのことは殆ど一つもないものです。
小さなあなたのプライドが消える。それくらいなのです。
例えば、いじめられているときに人は、とても苦しみます。
しかし、いじめられすぎて心が折れたら別の学校に行くか、家にいればいいだけです。
それができないのはプライドです。最後には、自分の意地です。

これは子供の話だけでなくて、大人でもそうです。
もうどう見てもこの会社は続かないと思うのに相談できない。
負けを認められない。そして、自殺してしまう人もいます。
しかし、会社を何社も倒産させても成功する人もいます。
そういうものなのです。最後は、小さなプライドを守ろうとして、プライドを抱いたまま
沈んでいくのです。
こういう方は多くの場合は「人に迷惑はかけられない」と言いますが、
最終的には、それ以上にプライドの問題があるのです。
最後には「敗北を認める」ことも大切です。

具体的方法③ 期待しない。

これは割と大切なことで、多くの場合人は、過剰に期待をします。
自分がした以上に、人からしてもらえることを期待します。
例えば、残業して、一生懸命仕事をした次の日に
「こんな質の低いものを作って。いい加減な仕事をするな!」と怒られた場合、
「せっかく残業までしたのに、どうして自分の気持ちをわかってくれないのか?」
と思うことはあるでしょう。
しかし、そういうものなのです。
人から罵倒されて、価値が下がるような仕事ならば、それは
自己満足的な仕事なのです。
本当に価値のある仕事をしているならば、上司や同僚が一時的に理解できないことが
あったとしても必ず長期的に価値を生んでくるものなのです。

ですから、そのくらいの信念を持って仕事には打ち込むことが必要ですし、
それくらい信念をもった仕事ならば、例え人に理解されなくとも
殆ど傷つかないものです。人からの賞賛や労いを期待しない。
淡々とベストを尽くすことだけに集中することが大切です。
人は往々にして人から与えられることばかりを求めて、自分が与えることが少ないのです。

具体的方法④ 短期的な楽を求めず、長期的な成功を考えること。

巷に出れば、短期的に楽をしている人は多いのです。
皆さんの周りでも、殆ど生産性のないことをやっているのに、高収入を得ている人や、
大して魅力もないのに、美人と付き合っている友人もいるでしょう。
こういう人に対して羨ましいと思ってはなりません。
なぜかといえば、短期的な楽や短期的な成功はいつでもだれでも手に入れることができるからです。
これは誰でもいつでもできるのです。しかしこれは短期的なものです。1年とか、5年とかそういうものです。
10年も20年も続かないのです。
そこを長期的に見極める必要があります。

本当の意味で長期的な成功を考えるならば、「人間性の向上」、これ以外にはないのです。
人間としての向上をせずに、何かを得ることが出来たとしてもそれは蜃気楼です。
これは断言しますが、人間性の向上が成功の王道であり、近道です。
人間性の向上を伴わない成功はないのです。
人生の若いうちは、「努力少なく、快楽を得ている人」を羨望するものです。
しかし、それは5年とか、10年とか人生の序盤の話であり、人生が中盤に差し掛かってくると
少なくとも20代の後半にもなるとかなり変わってきます。一変します。
今の成功が正当な努力の土台に上に積み重ったものか、偶々手に入れたものなのか。
これを問われるようになるのです。
「お金とか、名誉とか、快楽とか、そういうものを超えたところに本当に価値のあるものがある。」
ということは少しずつ分かるようになってきます。

その時に「その人がどう生きてきたか、何ができるか。人間としてどうか。」
が深く問われてきます。これが、人生においての成功の決め手となりますので、刹那的なものを
追い求めず、ひたすら自分を磨くことが最も大切です。

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