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jgaさん

「明日、家が火事になるんじゃないか」

つまらない理由で自殺している人が多くいます。そんな理由で死んだの?と閻魔大王様に馬鹿にされるような理由がほとんどなのです。自殺してしまう人というのはつまらないことで悩むすぎるのです。こう言う人は「明日、家が火事になるんじゃないか」というようなことをいつも思い続けているのです。明日家に火事になるかもというのは世界中の誰にでもありうることだし、現に火事になったらとても困るでしょう。でも多くの人はそんなことを気に留めて悩んだりしません。そういう普通の人が気にしないようなことを重箱の隅をつつくようにして掘り出して「欝」になっていく人がいるのです。

例えば仕事で死んでしまう人

自殺をしてしまうような人というのは、どちらも守ろうとする

仕事のストレスから自殺してしまう人もいます。例えば高い給与をもらっていたり、高い地位にあって世の中から羨ましいと思われるように人でさえも自殺してしまうのです。なぜでしょう?例えば自分が責任を持っている工場で事故が起きてしまったとします。その時にはもう、腹をくくって全ての責任を取るしかないのです。その時は責任をとって退社するしかないのですから退社すればよいのです。なのにそのことを上司にも言えず、家族にも言えず、そのまま自殺してしまうような人もいるのです。勝手に上司に言ったらひどく怒られるだろうとか、家族からは見放されるだろうとか、根拠のない悪い空想をふくらませていきます。自殺しないような人はすぐに上司と家族に伝えて、責任を取ることに邁進するのです。ところが自殺をしてしまうような人というのは、どちらも守ろうとするのです。自殺するような人は、できないことをできるのではないかという風に考えてしまうのです。物事を悪い方向へそして大げさに考えてしまって、自分で壁を巨大化させてしまうのです。

いじめで死んでしまう子供達。

子供にとっては学校というのは「ほとんど全て」

日本の子供たちがいじめを苦に自殺してしまうことは多くあります。残念ながらそれが世の中の現状です。いじめにあって死ぬくらいならば、学校を転校するか、やめるかしたほうがよいのです。死ぬ必要はないというのが世論の意見かと思います。「死ぬほど辛くても我慢して学校へ行け、今日もいじめられてこい。自殺してもいいから学校をやめるな。」などという親はいないのです。けれども親にも言えずに学校へ通い続けてしまうのです。なぜこのような現象が起きてしまうのかといえば、ひとつは無駄なプライドを持とうとしてしまうからなのです。「学校でいじめられるような奴は、社会に不適合な人間だ。」とか「いじめられるのがダサい。」とか考えてしまって「いじめられています!」と親にも言えないのです。「親に心配をかけたくない。」というのもあるかもしれません。子供にとっては学校というのは「ほとんど全て」なのです。ですから学校にいけないということで、小さいうちから「人生の脱落者」(そのように子供は考えてしまう)にはなりたくないのです。そうして誰にも言えずどうすることもできないと思い込んで自殺してしまうのです。
ですからいじめられている子供に対しては、「あぁいじめられたのか、俺も小学校のころいじめられたから、学校辞めて塾で勉強して大学行ったよ。」などと気軽に言ってくれるお兄さんがいれば一番良いのです。その一言で救われると思います。
逆に「いじめられているの。どうしようかしら、困ったわね・・」と言われるのが一番子供心を傷つけてしまうのです。
自尊心が傷つけられることが最も人間には辛いことなのです。

自殺してしまう人の特徴1 事実に基づいて考えない

「いままで宝くじをかって当たらなかった」→「これから当たることはない」

「今まで生きてきて楽しいことはなかった。だからこれからも楽しいことはないだろう。楽しいことはないのだから人生を生きているのはもう嫌なので死にます。」
自殺する人の論理としてこれがよく使われます。
「今まで生きてきて楽しいことはなかった」→ 「これからも楽しいことはない」
という論理は破綻しています。これは
「いままで宝くじをかって当たらなかった」→「これから当たることはない」
と同じようなものです。これは論理的にはおかしいのです。
「今まで生きてきて楽しいことはなかった」→ 「これからも楽しいことはない」となってしまうのは少し悲観的すぎるのです。未来に対して根拠なく悲観的になる人はそれだけで疲れてしまいます。必要以上に悪い未来を空想して悩みを拡大して苦しんでいる人はいます。これはとても無駄なことです。

自殺してしまう人の特徴2 自分は特別だと思っている。

自殺してしまう人は「自分がいかに自分が特別に不幸か」を力説します。

自殺してしまう人は「自分がいかに自分が特別に不幸か」を力説します。ですが、聞いている人にとっては「よくある話だよね」というくらいにしか感じられないことが多くあります。
自殺する人というのは、「自分と同じような悩みを抱えている人は世の中に100万人くらいいるのだ。」ということを知ることが必要です。そして100万人くらいの人たちのほとんどは「まぁ、そんなこともあるけど、楽しくやろうぜ」と思って生きているのです。ですから世界中で一人だけが特別な悩みで悩んでいるということはないのです。似たような悩みを世界中の人が抱えているのです。

自殺してしまう人の特徴3 欲張り

自殺してしまうような人は、どれか捨ててないといけない時になってもどれも捨てたくありませんと言って悩んで死んでしまうことがあるのです。

あれも欲しい。これも欲しい。と思って手に入れると今度は維持費が高くつきます。大きな家であれば、掃除にだってその分時間がかかるのと同じことです。例えば人の評価というものは手に入れると同じくらい維持するのは大変なのです。オリンピックで一度優勝したら今度は2連覇しないといけない。2連覇したら3連覇しないといけない。負けたら名声は失われるのです。世の中にはいらないものを維持するために高いコストをかけている人がいます。車を1台しか使わないのに、自慢するために10台ももって高い維持費を毎月払っているようなものです。こういう金銭的なコストカットには人間はシビアなのですが、無意識の維持費(精神的維持費)にはあまり気がつかないことがあるのです。上司の評価、部下の評価、取引先の評価、掃除のおばちゃんの評価、友人の評価、家族の評価、となり近所の評価、親戚の評価、子供友達の評価、通っているジムのインストラクターの評価、などこういうものを維持するために日々苦しんでいる人がいるのです。すでにたくさんのものを手に入れている人に陥りがちなものです。例えば東大を卒業したら、「東大なのに馬鹿ね」と言われないように必死に努力をすることになるのです。そうして維持費に苦しむのです。会社の忘年会で、たまたま芸をしたらうけたため「宴会部長」と言われるようになり毎回の忘年会でその「宴会部長の評判」を維持するために維持費で苦しむこともあります。毎回部長の横に座るより「あいつは芸のひとつもできないやつだ」と思われても端っこの席で事務の姉ちゃんとちょびちょび飲んでいたほうがよかったかもなぁと思うこともあるのです。
このように、何かを手に入れたときはそれが本当に必要なものなのかを考えたほうが良いのです。維持費がかかりすぎて、コストパフォーマンスが悪いものは捨てていったほうが良いのです。自殺してしまうような人は、どれか捨ててないといけない時になっても「どれも捨てたくありません」と言って悩んで死んでしまうことがあるのです。

自殺してしまう人の特徴4 自尊心を自家生産できない。

例えば世界中の人から「お前はつまらん人間だな。死んでしまえ」と言われても、

先の3番とも似ていると思います。「自尊心:自分は素晴らしい価値のある人間だ」という気持ちはとても大切です。これがないと生きてなどいけなくなります。空気や水と同じくらい大切なものです。自尊心を誰かに貰っている人は非常に不自由です。自尊心は自家生産しなければなりません。自尊心を自家生産出来ている人はとても自由なのです。例えば世界中の人から「お前はつまらん人間だな。死んでしまえ」と言われた時に自尊心を外部依存していた人は「えっ、そうなんですか!そんなこと言わないでください。嘘だといってください。」とすぐに病んでしまいます。外部から自尊心の供給を止められるとひとつも心の中に自尊心がなくなってしまうからです。こういう人はとても不自由です。自尊心を供給してもらうために常に自分を売り込まなければなりません。常に他者に目に縛られるのです。
自尊心を外部から輸入している人は、自尊心の供給が止まりそうになると心配になって病んでしまうのです。例えば世界中の人から「お前はつまらん人間だな。死んでしまえ」と言われても、「そんなことはありません。私は生きている価値のある素晴らしい人間です。絶対にあなたがたの方が間違っています。」と主張できるようになる必要があります。こういう人は自尊心の自家生産が出来ている人です。

現代人の多くは不自由です。不自由なのは、自分の足で地面に立っておらず常に誰かの肩を借りようとしているからです。

現代人の多くは不自由です。不自由なのは、自分の足で地面に立っておらず常に誰かの肩を借りようとしているからです。現代人は、生まれた時からずっと「自分の足では立つことができないのだ」と常に言い聞かされて育っているため、(また教える方も常に誰かの肩に寄りかかって教えているため)本当のことを知らないのです。本当のところ、自分の2足の足で地面に立つ、誰にも頼らない。という自立心をもっている人間が一番自由なのです。こういう自由にどこかで憧れながらもその憧れを押し込めて蔑視する人があまりに多いのです。決まったレールの上に乗っていることが正しいと思い込んで、一度もそのレールから外れてみようとはしたことがないのです。しかし実際のところ一人ひとりにあったレールがあるのです。誰にでも適したレールなど存在しないのです。レールにしがみついてそのレールから外れたらおしまいだと思っているような人は自殺してしまう可能性があります。レールから外れても大丈夫。また戻ってくればいいと思っている方が良いのです。

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このまとめへのコメント1

  • meikyousisuiさん|2013.10.22

    ひどく拙い意見に感じます。
    少なくとも、これでは「自殺願望」を持った人は余計にそれを強めるだけですし、そうでない場合はそもそもその人は「自殺願望」を持ってはいないとなるでしょう。

    自殺願望そのものに苛まされつつ、なんとかやらずに済ませている当人である私にしてみても、このまとめの記事内にある文章郡は単に「あんたは結局ダメだから自殺なんてするんだ」と言ってるようにしか観えませんでしたよ。

    勿論、自分自身がダメである事は重々承知ですが、そもそもそれ以前に「何がダメで何がダメではないか」ってほとんどの場合は「世間」とか「他人」が決めていますね。
    そして、それをそっくりそのまんま自分自身の価値基準にしてしまった人とか特に「自殺に追いやられる傾向」が強まるように想っています。

    つまり「私が私をダメである、ただのゴミである、よって消えねばならない」と考えるに至る根源的な線引は「他人のモノ」でしかなく、他人など一切どうなろうが知ったことではない、私は私だけが良ければそれで良い、って人は自殺には至らないようにも想います。

    よって私は「自殺願望」が出た時にはそれをまず疑います。
    死にたい死にたいといくら望んでみたところで、実は本音では「死にたくなどない、生きていたい」のを知っていますのでとっくのとうに。

    なのに「死にたくなる」から困るのです。

    死にたくない、なのに「死にたくなる」んです、下手すると本当にやりかねない恐怖や不安をいかに制御するかだけで己の体力精神力時間のほぼすべてを使い果たしてしまいます。

    ならば、いっその事「他人など所詮は「自分」ではない、よって自分自身よりは大切ではないし、大切にすべきではない」とせねば自殺しかねない。私は。

    しかも「自殺」って読んで字の如く、自らが自らを殺す「他殺」だからこそ「自殺」って言うんです。
    自死ではないんです。

    他人に殺される方がよほどマシってもんです。

    なのに自殺する、自殺したくなる。
    それが困るんです。

    上っ面だけで何か解ったように分析し、講釈垂れるだなんて、なんてシアワセなんでしょう。
    もしくは、自分で気がついていないだけで、実は私とあまり変わらないのでしょうか。

    そうなら嬉しい、が、その反面、解って貰えない方がよっぽど「良いこと」だなぁとも想います。
    仲間であるって事それつまり、あなたもまた「自殺する可能性が非常に高い」と言う事をだけ示唆しますので。

    仲間ではない方が良いのは当然。
    わからないのが良いのです。

    ですが深淵を覗くのはおやめなさい、引きずり込まれる場合も多々あります。
    脅しとかではなくって、真面目に。

    てかこれ文字数制限とかあるのかしら。

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