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★野人岡野雅行伝説 洗濯係で入部→数年後には日本代表【40歳契約更新】 野人は死なない!!★

サッカー選手岡野雅行さんの伝説をまとめてみました。

更新日: 2013年12月28日

yudofuさん

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岡野雅行

サッカー選手
岡野 雅行(おかの まさゆき、1972年7月25日 - )は、神奈川県出身サッカー選手。Jリーグ ディビジョン2(J2)・ガイナーレ鳥取所属。元日本代表。ポジションはミッドフィールダー、フォワード。ニックネームは「野人」。 祖父は、書家で文化功労者の手島右卿、叔父は崇教真光総裁の岡田晃弥。 Wikipedia

野人誕生〜高校時代編

誕生秘話

のちに「野人」とよばれるその逆子は、胎内で暴れるので、
へその緒が首にからまり窒息死しかけていた。
母体も出血多量で危険になり、残酷にも「母子のどちらをとるか」ととわれ、
父は病院の廊下で泣きながら決断をくだす。
妻をたすけよう。
そのころ分娩室で、胎児がするりとオフサイドラインをぬけた。
ワールドカップ出場者、岡野雅行の誕生だ。

野人誕生秘話

島根県のとっても強烈な全寮制高校に入学

教育熱心な両親は、家庭教師までつけて勉強させたが、
野人に学業成績をもとめるのは無謀だつた。
高校進学にあたり、地元横浜の底辺校でヤンキーになるよりはと、
親戚がすすめる、島根県の全寮制の学校に息子をおくりこむ。
どうも彼らは、松江日大高について事前にしらべなかつたらしい。
理事長の岡崎功は、死者一名をだした松江騒擾事件の首謀者で、
無期懲役刑(のちに恩赦)をうけた、ホンモノの右翼。
新入生に教育勅語をわたして暗記させ、
授業では、三島由紀夫の生首の写真をみせて、
教師が落涙しながら愛国心を説く学校だつた。
そして入学式で、特攻服にマスク姿のまわりの生徒をみて、
野人はそこが、兇悪な不良をあつめた更生施設だときづいた。
校舎では教師が竹刀を、寮では先輩がチェーンをふりまわし襲いかかる。
六時の門限をまもらなかつたという理由で、野人は前歯四本をおられた。
寮のトイレの窓をあけただけでブザーがなるなど、
脱走者がでない様に厳重な警戒態勢がしかれる。
覚悟をきめた野人は、『魁!!男塾』の元種と噂されるこの高校で、
理事長にかけあつてサッカー部を創設した。

野人実質的な監督になる!

部員は二十人以上あつまつたが、サッカー経験者はほとんどいない。
地元にかえれば単車数千台が出迎える様な、
暴走族のもとヘッドなどがチームメイトだ。
顧問になつた教師は陸上が専門。
野人が実質的な監督になり、練習メニューから戦術までお膳立てした。
厄介なのは、対外試合がくめないこと。
「淞南学園」の名をきくだけで震えあがり、即座にことわられる。
ようやくみつけた対戦相手は、島根の片隅の水産高校。
バスで遠征すると、挑戦がうけいれられた理由がわかつた。
校舎の窓は全部われて、壁は落書きだらけ。
キックオフ。
勿論、ボールではなく人間をける。
校舎からヤンキーの援軍がなだれこむ。
顧問の教師同士まで取つ組みあつている。
創部したてでも、ケンカに関しては全国選りすぐりのエリートなので、
スコアは「0-0」で、淞南学園が「初勝利」をかざつた。
そんなこんなで、野人はこの個性ゆたかな集団をまとめ、
三年の冬には地区大会決勝までみちびいた。
『スクール☆ウォーズ』をこえる物語が実在した。

部員2人の状態から結成されたサッカー部ではキャプテン兼監督となり、高校からサッカーを始めた部員たちを指導し、最高で島根県3位になるまでのチームに育てた。

野人伝説 大学〜プロ編

意外にも、
自分が「足が速い」ということに気がついたのは、
大学時代ということだ。
体育の授業で、100Mのタイムトライアルを
陸上部の選手と一緒に走った。
そして、見事に勝ってしまった。
そのときのタイムは、「10秒8」。
陸上部の選手は、「スパイク」を履いて走っていたが、
岡野は、「バッシュ」を履いて走っていた。

、パッと壁を見たら『サッカー部募集、テストがあります』って張り紙があって、ダメ元で1回受けてみようと思ったんです。それで行ってみたら60人くらい来てて。僕、無名だし、島根の高校だし、『これは無理だ…』って思いましたね。テストは試合だったんですけど、4点ぐらい取ったんです。それが目立ったのか入部できました。60人受けて2人しか入れないんですよ。その後、先輩に呼び出されて『おめでとう』と言って下さったので、『ありがとうございます』と喜んでいたら、『じゃあマネージャーと洗濯係どっちがいい?』って言われて。結局そのために入れられたようなものですよね。なんとなく『洗濯係がいいです』って答えて1年生の時、本当に洗濯係しましたよ。」

大学のサッカー部には、サッカー推薦でもなければ入部出来ない。
当初は、サークルのサッカー部へ入るつもりだったそうだ。
どのサークルへ入ろうかと、掲示板を眺めている時だった。
「ハッ、と気がついて顔を上げたら、
サッカー部員2名募集の掲示があった。」という。
当時、サッカー部員の一般募集など、まず無い。
ところが、その掲示を岡野は、「ハッ、と気がついた。」
そこが、運命なのだろうか。
そして、サッカー部の門を叩くと、
先輩は、「マネージャー」か「洗濯係り」なら、という。
岡野は、迷わず「洗濯係」を選び、入部を認められたそうだ。

大学のスタートは洗濯係から

部員募集の掲示に気がつかなければ、
そして、「洗濯係」を選んでいなかったならば、
今の岡野はなかった。

練習はできたが、試合などには出場させてもらえなかった。スコア係や試合中の荷物番をしていることがほとんどだったという。

放し飼いの大きな犬に襲われたときは走つてにげて、
金網によじのぼつてから振り返ると、犬は舌をだしてへたりこんでいた。

「途中から元社会人の方がコーチとして入ってきて、毎日練習を見てくれるようになって、実力の世界に変わりましたね。大学の2部ってけっこう遊びに走る人が多くて、僕も遊んでいましたけど、それでもサッカーだけは一生懸命でした。やっぱり自分が無名なのもあって、真面目にサッカーしていたら、コーチが初めて天皇杯初戦からのサブに入れてくれたんですよ。そしたら試合開始5分で4年生だったエースの先輩がいきなり骨折して、僕が交代で出なきゃいけなくなった。先輩達から『何でお前なんだよ』と野次られながらの出場でしたが、試合では6点か7点ぐらい取ったんです。それ以降はずっとレギュラーにしてもらえて、順調にどんどん登りつめていきました。」

天皇杯の緒戦、筑波大との一戦が、翌日あるのを忘れ、
朝5時までサッカー部の仲間と飲んでいた。
飲んでいる途中で、ハッと気がつき、
ゲェーゲェー吐きながらも試合会場へ駆けつけた。
岡野は、スタメンで起用されたが、いきなりゴールを決めた。
ハーフタイムで吐き、その後、同点に追いつかれたが、
終盤、自陣ゴール前でボールを持つと、一気に相手ゴールへ。
全員を抜き去り、そのまま、キーパーをかわして、決勝ゴールを決めた。
岡野は、直後、足がつって交代したが、試合は勝利。
その活躍が、当時、相手の筑波大に在籍した藤田俊哉、大岩、服部らを
お目当てに見に来ていたスカウトの目に留まった。

浦和レッズに入った経緯が凄いです。

大学を卒業する前に勝負してしまおうと思ってプロを決めたんです。この日以来、大学が僕を特待生にしてくれてね。異例ですよ。今度は、特待生扱いになったことで、卒業してからじゃないとチームに入ることはできないという大学からの意見が出てしまって。日本大学からJリーグの選手になった人は今までにいなくて、大学が僕を離さなかった理由もきっとそれでしょう。しばらく話し合いになって最終的には、『日大卒にしましょう』ということでまとまり中退しました。」

プロ初年のヴェルディ川崎戦でゴールキーパーと衝突したときは、
救急車ではこばれ、肺に穴があいているので三か月入院とつげられる。
翌日の手術のまえ、レントゲン写真をみて医師は驚愕した。
「なんか…治つてんだよね」

最終予選、韓国にやぶれたあとのカザフスタン戦。
ベンチの雰囲気は最悪で、控え選手が采配に不平をささやく。
野人は陰口をたたくどころか、監督につめより、
「おい、代える選手がちがうだろ!」と怒鳴りつけた。
そのままスタジアムを後にした野人は、アルマトイで深夜まで飲みあるく。
強制送還も甘受するつもりで宿舎にもどると、加茂が解任されていた。

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