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中山 雅史 【ギネス記録を持つゴールハンター】

ワールドカップで日本人初ゴールを決めた魂の男「中山雅史」のサッカー人生を振り返る。

更新日: 2013年01月21日

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st001さん

1967年9月23日生まれ
静岡県藤枝市 出身
身長178cm/体重72kg

ヤマハ発動機 ⇒ ジュビロ磐田 ⇒ コンサドーレ札幌

●Jリーグ最優秀選手賞
●Jリーグ得点王 2回
●ベストイレブン 4回
●AFC年間ベストイレブン 1回
●ギネス記録 2つ
●Jリーグシーズン最多得点記録
●Jリーグ通算最多ゴール数
●J1での最年長記録
●W杯 本大会日本代表初ゴール

ギネス① 4試合連続のハットトリック!

ギネス② 試合開始3分15秒でハットトリック!

●学生時代 「身体能力は凄かった」

小学校4年生でサッカーを始める。

静岡県立藤枝東高等学校のエースストライカーとして活躍。
高校2年生の全国高校サッカー選手権では、10番を背負い準決勝まで駒を進めるが、長崎県立島原商業高等学校との対戦でPK負けしベスト4。中山も4試合で2ゴールを挙げ、得点源として活躍する。

静岡県高校選抜にも選ばれるが、武田修宏の存在もあり、ディフェンダーとしてプレーすることが多かった。

筑波大学体育専門学群に進学。当初静岡県選抜でも経験のあったディフェンダーに回されるが、後に先輩の長谷川健太らの助言で本来のセンターフォワードに戻る。ユニバーシアード代表ではキャプテンを務めた。

●ヤマハ発動機入社 「サラリーマン生活」

1990年、ヤマハ発動機に入社。実業団だった「サッカー部に入部。サラリーマン生活を送る。
翌年、サッカー部がJリーグ開幕10チームから落選することが決定すると、Jリーグ参戦が決まった新規クラブの清水エスパルスからオファーを受けるが固辞、ヤマハに残留した。

●日本代表選出 【ドーハの悲劇】

クラブがジャパンフットボールリーグ在籍にもかかわらず、1992年に広島で行われたアジアカップで日本代表として初招集。スーパーサブとして優勝に貢献するとオフト代表に定着。

1994年アメリカワールドカップ予選の日本代表にも選ばれ、最終予選では途中からスタメンに定着して獅子奮迅の活躍を見せる。その陽気なトークと熱いプレーがマスコミで話題となり、一躍全国区の人気者となる。
しかしドーハでのイラク戦で、ロスタイムに同点ゴールで日本はワールドカップを逃す。交代してベンチに座っていた中山が地面に崩れる様子は「ドーハの悲劇」を語り継ぐ場面となった。

●ジュビロ磐田 【Jリーグ昇格!】

1994年、ジュビロ磐田はジャパンフットボールリーグ1部で2位となり、1年遅れながら悲願だったJリーグ昇格を果たす。

開幕当初は試合に出場したが、前年までの代表及びクラブでのフル稼働が原因で「グローインペインシンドローム」が悪化し戦線離脱。8か月間ピッチを離れた。

1995年、怪我から復帰し開幕から好調なスタート。元イタリア代表のサルヴァトーレ・スキラッチとのコンビはJリーグ最強と言われる。

1997年は、ドゥンガや山本昌邦らとのトレーニングにより、「ボールを持たない時の動きの質」に開眼。第2ステージでは自身Jリーグでは初のハットトリックも記録するなど活躍してステージ優勝に貢献。

●ジョホールバルの歓喜!

1998年、フランスワールドカップ最終予選の最終局面で代表復帰。アジア第3代表を決めるイラン戦では三浦和良との2トップで出場。本大会の初出場を勝ち取り「ジョホールバルの歓喜」を巻き起こした。

●フランスワールドカップ出場!【日本人初ゴール】

1998年に、フランスワールドカップに日本代表として出場。グループリーグで敗退したが、3試合すべてで先発。ジャマイカ戦では「日本代表のワールドカップ初ゴール」「日本人初ゴール」を決める。その際に相手選手との接触で脚を骨折しながら試合終了まで走り続けたことは、日本代表としての誇りと魂の象徴として、今も語り草になっている。

●ジュビロ磐田 【黄金期】

磐田は、藤田、名波、服部、奥、高原、ドゥンガなど個性的なメンバーを揃え、リーグを制覇。黄金期を築きあげる。
中山自身も「4試合連続のハットトリック「「試合開始3分15秒でハットトリック」を記録し、2つがギネスブックにも掲載。得点王・MVP獲得など様々な個人タイトルを総なめにした。
2002年の日韓ワールドカップにもサプライズ選出された。

●コンサドーレ札幌 移籍!

2003年、10年前の恥骨結合炎が再発し戦線離脱。半年のリハビリの末、終盤戦に復帰するが、以降調子を落とす。

2009年、出場機会が激減と高齢のため戦力外通告。スタッフとして残留するよう要請されるが、現役続行に強い意欲を示す中山はこれを断り、コンサドーレ札幌へ移籍する。

2010年、札幌での初シーズンは途中出場で主に出場するも、得点は無かった。11月に膝の手術をするも両膝関節炎になり、試合出場が困難となる。

●現役引退 「元気になったらカムバックする!」

2011年シーズン終了後、現現役引退を発表。
記者会見では、引退の原因は両膝が思うように動かなくなったことと話し、「まだ未練タラタラであり、元気になったらカムバックするつもり」と述べ、「サッカーを愛するがゆえにそういう怪我も負ってしまったが、サッカーを愛したことに後悔はしていない」と語った。

★中山の引退は、日本国内だけでなくフランス紙の「レキップ」「FIFA公式HP」、中国メディアの「中国新聞社」など世界も伝えた。

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