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【千里眼・明治の超能力者】御船千鶴子【リング貞子,母のモデル】

明治19年(1886年)、日本で初めて科学的に調査されることになる超能力者。透視能力を持つ超能力者として福来友吉博士に紹介された女性。

更新日: 2016年08月17日

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yudofuさん

◯ 御船千鶴子とは

御船 千鶴子(みふね ちづこ、1886年(明治19年)7月17日 - 1911年(明治44年)1月19日)は、透視能力を持つ超能力者として福来友吉博士に紹介された女性。

千里眼(透視)の女として明治の末期に有名になる。
映画リングの貞子の母親「山村志津子」のモデルと言われている
子供の頃から勘が鋭い子だった

映画リングの貞子の母親「山村志津子」

千鶴子は、義兄の清原猛雄に催眠術をかけられ、誘導されたことをきっかけに超能力者として目覚めた。22歳の頃には本格的に透視を開始。熊本では姉夫婦(清原夫妻)が開業していた治療院で透視能力を使った治療を行うようになっていった。

◯ 千鶴子が言い当てた事

日露戦争時に第六師団が、撃沈された軍艦・常陸丸にたまたま乗っていなかった事を透視した

三井合名会社の依頼で福岡県大牟田市にて透視を行い、万田炭鉱を発見して謝礼2万円(現在の価値で約2000万円)を得る

樹皮の下にいる虫の存在や海で紛失した指輪の場所を言い当てたりしたという

人の人体を透視して病気を診断させたり、手かざしによる治療を試みた

千鶴子が見つけ出したと言われている万田炭鉱

◯ 評判が広がり本格的に調査されるようになる

京都帝国大学医科大学の今村新吉教授(医学)や、東京帝国大学文科大学の福来友吉助教授(心理学)などの当時の学者が研究を始めた

東京帝国大学の心理学助教授。催眠術を研究。
明治35(1902)にウィリアム・ジェームズ『心理学精義』を翻訳出版。
透視と念写の実験を行い、日本の心霊学の祖ともいうべき人物。

千鶴子と福来は、数々の実験を行い、封筒や鉛筒の中身の透視などを成功させていく。しかし多くの学者は否定的な立場を崩さない

御船千鶴子の透視実験に使用した箱
 封印に「福来友吉」の字が読める
 『心霊と神秘世界』人文書院 1932刊より

◯ 千里眼事件へ

千里眼事件(せんりがん じけん)とは、明治末の社会状況、学術状況を背景として起きた、千里眼・念写の能力を持つと称する御船千鶴子や長尾郁子らが、東京帝国大学の福来友吉や京都帝国大学の今村新吉らの一部の学者と共に巻き起こした、公開実験や真偽論争などの一連の騒動のことである。

上京した千鶴子たちと福来らによって、当代の諸科学者たち、ジャーナリストらを集めた公開実験が行なわれた。が、その結果は、試験物のスリ替え事件によって、問題の「千里眼」能力の真偽に対する答えを出せないままに、話題性だけが一人歩きする形で幕を引くこととなった。

千鶴子の得意な方法で行なわれた再実験では、好結果が出たが、集まった学者たちの反応も、一歩下がった立場からの冷めた論調に終始した。

批判する人達の理由

千鶴子の場合、「千里眼」による透視実験を行う際に、余人の同室を固辞し、また、ふすま越しに隣室からの同伴を認めた場合でも、終始、千鶴子は背を向けた形で座り、壁や障子などに向かって実験を行なったため、問題の千鶴子の手元が臨席者の目に触れることがなかったため、福来らの能力を信奉する立場の者たちにしても、その疑惑を払拭(ふっしょく)することができなかったことが挙げられる。

千鶴子と福来は、数々の実験を行い、封筒や鉛筒の中身の透視などを成功させていく。しかし多くの学者は否定的な立場を崩さない。そんな中、明治43年9月に東京で行われた実験で事件は起こる。

この実験は学者立会いのもとで行われたが、千鶴子はあろうことか実験物のすり替えを疑われてしまったのである。もちろん彼女はすり替えなど行っていない。しかし学者やマスコミは、これをきっかけに彼女に否定的な論調を強めていった。

●対象物を入れた容器には、ほとんどの場合、糊ではった紙の封がしてあるだけだった。
●透視は、千鶴子が別室にいて、さらに、実験者たちに背を向けるという形で行われていて、彼女の手元で何が行われているかは実験者や立合い人たちには見えなかった。  上の例ではふすまは開いてあったと記されているが、実際にはふすまを閉じた状態の事も多かった。
●透視中、便所や水飲みを理由に部屋を出る事さえあった。
●以上のような条件のもとで行なわれた実験において、千鶴子の透視は大多数成功を収めたが、 対象物がハンダで封をしてあったり、特製の容器であったり、また、容器に手を触れさせないようにした時や、実験者の方に向かう形で透視をさせた時などは、すべて失敗した。

◯千里眼ブームの終焉と千鶴子の死

この結果、超能力者達の研究に携わった科学者達もマスメディアの攻撃対象になったため、ついに研究者達は「千里眼は科学に非(あら)ず」という見解を公表した。この一方的な終結宣言によって事件は、幕引きを迎えることとなった。結果、「千里眼」「念写」の真偽が明かされる機会は失われた。

山川博士らは、同年のうちに写真を添えて物理の実験結果と同様に公表し、手品の一つに過ぎないと結論付けた。

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