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【教科書もテストも無い!?】斎藤工が通ったシュタイナー教育とは(斎藤工の噂)

2014年『昼顔~平日午後3時の恋人 たち~』でブレイクした斎藤工が小学校時代を過ごしたシュタイナー教育のフリースクールに関する情報をまとめました。(2015年10月28日追記:東京都日野市でおきた小学4年生怪死のニュースで、男児が通っていたシュタイナー学校は斉藤工の通った学校とは別の学校です)

更新日: 2015年10月28日

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斎藤工 プロフィール

さいとう たくみ、1981年8月22日 -

モデル、俳優

小学校は、シュタイナー教育の学校に通った。

日本学園高等学校卒。

高校生の頃から雑誌『MEN'S NON-NO』や『POPEYE』などで「TAKUMI」の名前でモデルとして活動。雑誌のほかにもショーなどで活躍。

高校卒業後、韓国映画『リメンバー・ミー』の日本リメイク版『時の香り〜リメンバー·ミー』(2001年公開)のプロデューサーにスカウトされ俳優デビュー。

映画の仕事をしていた父の影響で、幼い頃から映画館に行くのが日常だったという斎藤は、教育者・哲学者として著名なシュタイナー氏の教えを実践する芸術学校の日本校第2期生だった。小学校の同級生はわずか7人。

■1987年 1年生1クラスの東京シュタイナーシューレが
        新宿区大久保に誕生
■1988年 2学年になり早稲田のビルに引っ越す
       (上写真の建物:斎藤工が通っていた頃)

「シュタイナー教育の学校」とは、どんな教育で、どんな学校なのか?

シュタイナー学校では教科書がない代わりに、自分でノートに描きこんで、いわば自分だけの教科書を作っていく

オーストリア生まれのルドルフ・シュタイナーが1919年にドイツで始めた教育実践

シュタイナー学校の授業時間割は、全学年が毎朝105分間の「エポック授業」で始まる

「エポック授業」の特色とは?

・国数理社の基本教科に当てはまる諸科目を、3~4週間連続して学ぶ

・身体を使うリズム活動と感覚や感情を動員する体験的な学びを、
 理論的な学びと融合させ、芸術性に富んだ、総合的な
 学びとなるように形作られる

・1年から8年まで一人のクラス担任が持ち上がることにより、
  長期的な展望を持って子どもの成長過程を見守る。

・既成の教科書に頼らず、それぞれの教師がカリキュラムと教材の
 研究開発をし子どものために選び抜いた教材で授業を行う。

専科授業

専科授業には、「オイリュトミー」「英語」「中国語」「音楽」「美術」「手仕事」「運動遊び・体育(3年~)」があり、1年生からカリキュラムに取り入れられています。

横浜シュタイナー学園の例。学校によって、科目名や教科内容が異なる。シュタイナー学校のもっとも特徴的な専門科目が「オイリュトミー」(言葉と音楽が融合した身体芸術)である。

Q.点数による評価がないと聞きましたがそれはなぜですか?

A.教育の目的が、試験で高得点を取れる知識を身につけさせることではなく、年齢ごとの発達にふさわしい働きかけにより全人としての子どもを育むことだからです。成績を競うのではなく対象への興味と知る喜びが、学習の動機となることを理想としています。

Q.教科書に頼らずにどうやって授業を行うのですか?

A.初等部では教員が単元を研究し、その時期のそのクラスの子どもたちにふさわしい方法を創意工夫によって編み出しながら教えます。子どもたちは板書を写して色鮮やかなノートを作ります。教えるべき内容は教科書に準拠していますが、手法が目の前の子どもたちに合わせたものになります。また、高等部では教科書を使用します。

国語のエポックノート

出典ktsg.jp

7年生(=中学1年生)「地理・西アジア」

ネットでは反日俳優と噂され、受けた教育の影響を揶揄する声もあるが

しかし斎藤工さんの著書『ニッポン脱出』では

"

「いろいろな国を旅して最後に気づいたのは

日本は本当に素晴らしい国だということ」
"
という内容を書いており

反日ではないという見方もあるようですね。

斎藤工自身が語った、シュタイナー学校

<2曲目>『音楽の原風景2』
「君をのせて」 井上あずみ
斎藤「僕の姉が(シュタイナー教育の学校の)1期生で、僕が2期生なんですけれども、当時全校生徒で5人とか。何か芸術教育みたいな学校だったんですね。流行のものというか、その当時、日本ではやっていたものとはちょっと離れたところにやっぱりあったし。そのころに唯一、世間とつながれるものが映画だったんですよね」

父親が東北新社という映画関連会社で働いていた。映画は子どもの頃からよく見ていたらしい。

僕はシュタイナースクールという7年制の学校に通っていました。田植えとか家を作るとか、体験を通じて感性を育むという授業で、その当時はちょっと嫌でしたけど、今思うと素晴しい学校だったと思います。そしてちょうど小学4年生の時、1歳上の姉とイギリスにサマースクールで行き、日本が隅っこに描かれたイギリスの世界地図を見て『世界でいろいろな体験をしたい』と思ったんです。その後、大きくなってバックパッカーとして世界を回りながらいろいろな人と知り合って役者デビューしたわけですから、まさに小学4年生は僕の原点とも言えますね

斎藤工のインタビュー

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ganeshalaksmiiさん

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