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【徳川埋蔵金】掘り続けて130年【水野一族の奇妙な冒険】

明治から今日まで百年を悠に超える長い年月、私財を投げ打って徳川埋蔵金の発掘事業にあたってきた水野家の人々のまとめ

更新日: 2016年08月17日

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yudofuさん

◉水野一族とは!

江戸末期、討幕軍に江戸城を明渡した幕府が、いつか再興するために赤城山山中に隠したとされる徳川埋蔵金。明治から今日まで百年を悠に超える長い年月、私財を投げ打ってこの埋蔵金を追い続ける一族である。

一説には現在の価値にして200兆円(現在の国家予算の倍!?)という、とんでもない額がこの山のどこかに眠っている伝説なのです。

徳川埋蔵金伝説の発端には、江戸時代末期の勘定奉行であった小栗忠順が徳川家の膨大な大判小判の財宝を、彼の生まれ故郷である群馬県赤城に埋めたという伝説が存在しためである。予想される埋蔵金の額は、現代で言えば200兆円にものぼる額だと言われている。

豪商であった初代は徳川埋蔵金がこの場所に埋められていると思い、以後地道に発掘を続けてきたのである。そこにTBS テレビがその情報を知って、徳川埋蔵金の発掘プロジェクトが発足したのだ

◉なぜ水野家が徳川埋蔵金の発掘事業をするのか?

そこには徳川埋蔵金と水野家が不思議な縁で繋がる物語があった!

◉発掘事業の創始者である「水野智義」

折しも幕末の激動期でした。由緒ある旗本の家に生まれた智義は薩長との戦いで各地を転戦します。やがて江戸幕府が崩壊した後、智義が義父とも仰ぐ中島蔵人は、かつての公儀勘定吟味役という幕府の要人だったことから田舎で隠れるように暮らしていました。その蔵人から、智義は徳川埋蔵金の事実を聞かされることになります

「時代が変わり、初代、水野智義が幕府軍の武士、中島蔵人から手紙を受取った。これが埋蔵金の手がかりを記していた。豪商だった初代がその手がかりを元に発掘作業をはじめたんだよ…。100年から続く因縁だね…」

三代目、水野智之氏談

めちゃくちゃ金持ちだった初代は埋蔵金発掘事業を決意する。

日本橋で商売に成功した智義は、その豊富な財力をもって赤城山の埋蔵金発掘事業に人生のすべてを賭ける決心をします。智義三十一歳、明治十六年のことでした。

この財宝はもともと個人の持てるような性質のものではなく、発掘されたら、全日本人のために貢献する事業だ…。そんな高い理想のもとに、豊富な財力で何十人もの労働者を雇い、調査と研究を重ねながら発掘事業を続けられていた

明治23年、初代智義は黄金の徳川家康像を発見。 その後、近所にある寺の縁の下で、埋蔵金の在りかを記したとされる銅板の地図が発見されるが、大正15年に死去

◉初代水野智義氏が角田源次郎から手に入れたとされるもの

黄金の家康像は、詐欺にあい水野氏の手元にない。真鍮の家康像が手元に返ってきた。この写真は黄金像なのか、真鍮のものなのかは不明。以前、TV番組で家康像を見たことあると証言し「そりゃー綺麗な像でした」とコメントしていた。しかし、源次郎の井戸の付近というで、源次郎の井戸からではないとされている。
http://tokugawa165.web.fc2.com/tokugawa.htmlから引用

黄金の家康像と一緒に源次郎の井戸から発見されたといわれる。
「子ニ四芝下炭」など、謎の文が刻まれている。
これも水野氏の手元に無く、水野氏二代目義治氏が知人の女性にあげたと言われる。


http://matome.naver.jp/odai/draft/2135817234886977001より引用

◉初代水野智義氏が、児玉惣平(拡平)なる人物からもらった巻物

慶応2年1月から10月の間、前橋藩士・松村竹二郎と名乗る人物を首領とする武士数十人が、領民ら100人以上を動員して津久田原で何らかの作業をしていた際に、竹二郎らの用いた資材の調達を担当しており、「萬四目上覚之帳(よろずしめあげおぼえのちょう)」なる資材購入の台帳などを持っていた。初代水野智義氏は苦労して手に入れた。これは現在も水野氏の手元にあると思われる。
http://tokugawa165.web.fc2.com/tokugawa.htmlより

大正十五年に智義が亡くなるり、その後は長男の義治、三男の愛三郎へと継承される。

昭和7年、2代目義治は直径が20メートルもある巨大な石灰の亀を山中で発掘する

明治中期から昭和50年ごろまで、親子2代にわたって埋蔵金の発掘を行った水野家2代目の義治氏(昭和45年撮影)http://home.f01.itscom.net/yaeno/Kanaizawa02.htmlより

昭和13年ごろ、当時の近衛内閣のブレーンだった後藤隆之助という人物が赤城山麓を訪れ、水野家2代目の義治氏と会い、埋蔵金が本当にあるものならば、国家事業としてやるべきだと考え、在郷軍人(退役したり、ふだんは農業などに従事しながら有事に備えて待機していた軍人)を多数集めて大がかりな発掘を行った

そして現在は愛三郎の子息である水野智之氏が引き継いでいる。

◉「断言します!水野以外でません!」名言より

水野智之氏画像集

「いやぁ、わざわざ東京から来たのかね?」そういって迎えてくれた水野翁(74歳 ※取材'07年当時)は、眼光鋭く髪も黒々としており(染めたり、増毛ではないそう!?) 、まっすぐと話しかけてくる姿はかくしゃくとしています。
http://wireworks.jp/maizokin/densetsu.htmlより

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