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男を愛した歴史上の人物たち【空海、織田信長、徳川家康、井原西鶴、松尾芭蕉も】

今では考えられないが、江戸時代以前は男と男が関係を持つことは普通であった。教科書で習った歴史上の人物にもこんなにも男を愛したものがいる。エピソード付きで紹介していきます。

更新日: 2013年01月16日

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worldjapanさん

空海

唐から日本へ衆道を持ち込んだという説の根強い、ニッポン衆道の元祖・弘法大師。鎌倉末期の随筆『徒然草』にも、54段に「御室の稚児を誘い出す法師」として描かれている。

藤原頼長

平安院政時代の左大臣。日記「台記」には自らの男同士でのエッチの感想や、白河院・鳥羽院の男色エピソードまで書いてる。当時の貴族達が、せっせと男色に励んでいたことを記録している。

後白河法皇

後鳥羽天皇

遊ぶのが大好き
乱痴気騒ぎが趣味
近くに美形ばかりを集めて遊びまくっていた
藤原定家なんかは「裸踊りが始まると、うんざりしたよ」とまで言った

お気に入りは源通光や藤原秀能などなど

足利義満

織田信長

小姓・森蘭丸との仲は、やおい好みの史実としてあまりにも有名。前田利家も少年の時分は信長御秘蔵だったが、大人になって信長に捨てられた。

武田信玄

「唐甲陽軍鑑」などによると家督直後の数年間に信玄は男色に耽りすぎて「仕事しろ」と家臣にたしなめられた。確かな史料としては天文十五年と推定される七月五日付の春日源助宛の「アイツとは寝てないよ、オマエだけだよ~」というラブレターが残っており(「史徴墨宝」)、その中で「弥七郎とは、もうヤリません」と誓っている。

上杉謙信

敵に塩を送る清廉な勇将というイメージの謙信。「生涯、女犯はしない」と誓願を立てて妻を娶らなかったのですが、美貌の小姓を常にはべらせていたとのこと。直江兼続がお相手としては有名。

伊達政宗

寵童・作十郎の浮気疑惑に取り乱した正宗。作十郎からの「浮気なんてしてません!」という血判状を見て、「この間は、疑ったりしてゴメンネ。酒も入ってたし、こんなに怒るとは思ってなかったし。作十郎が血を流そうとしているときに側にいたら、ゼッタイ止めたと思う。ごめんね。みんなの目もあるから、こっそり手紙を送ります」という「ごめんね・レター」を送ったのが遺っています。

徳川家康

鷹狩りの最中に、めっちゃ美少年だった井伊直政にヒトメボレ
小姓にして、重宝しました
若くして徳川四天王にまで出世したのでした

徳川家光

家光は風流踊という美少年の踊りが大好き
伊達政宗は自分とこの美少年を選んで、家光の前でダンスさせたりしました
家光はかなりご満悦

松尾芭蕉

門人の杜国を幼名の「万菊丸」と呼び続け、ラブラブ旅行をする芭蕉。「寒けれど 二人寝る夜ぞ たのもしき」な~んて、マジでカワイイ句を詠んじゃったりして。もう、カワイイ!なかなか万菊丸に会えなくなった晩年は「夢に杜国を思い出し、泪で目がさめた」と、切ない心情を「嵯峨日記」にしたためています。

井原西鶴

「女好きは軟派・男好きは硬派」という考えを定着させた
ちなみに西鶴自身も衆道ッケはもちろんあり
「女を捨てて男に傾いた方がいい」
「少年の心には棘があるが、いい香がする」
などなど、衆道を絶賛した

西郷隆盛

薩摩という国は男色が盛ん
西郷隆盛ももちろん経験済みと思われます
僧侶と一緒に海で入水自殺しようとしたりもしてます

江戸川乱歩

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