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ユーゴスラビアとは何だったのか

かゆいところまでよくわかる。

更新日: 2013年02月17日

naopionさん

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●大前提3つ

①とりあえずもう無い国

②1929年から2003年までと、割と最近まであった

※1929年→世界恐慌が始まりオードリーヘップバーンが生まれた年。
 ちなみに、第一次世界大戦の11年後で、第二次世界大戦の10年前。

③ここにあった

隣接しているのは、長靴型のイタリアから反時計回りに、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシャ、アルバニアです。この隣国並び順は別に大切じゃないので、「近くにこんな国があるんだー。」くらいに思ってください。

●イメージををつかもう

*これらの国々が集まったものです

主要メンバー

主にセルビアVSクロチア

*ユーゴスラビアはバラバラな国だった

ユーゴスラビア社会主義連邦共和国は、

七つの国境と(イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシア、アルバニア)
六つの共和国と(スロベニア、クロアチア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、マケドニア)
五つの民族と(スロベニア人、クロアチア人、セルビア人、モンテネグロ人、マケドニア人)
四つの言語と(スロベニア語、セルビア語、クロアチア語、マケドニア語)
三つの宗教と(正教、カトリック、イスラム教)
二つの文字を持つ(ラテン文字、キリル文字)
一つの連邦国家

といわれるほどの多様性を内包した国家であった。

細かい中身はちらっと見てもらったらいいです。
それだけばらばらだったということです。
ここには乗り切らない民族(ボスニア人等)もたくさんあり。
ただ、下でも出てきますが、違いはほとんどありません。

【疑問】言語がばらばらなのに通じるの?

お互いのコミュニケーションには99%まで問題はありません。東京育ちの人が名古屋や大阪でほとんど困らないのと同じレベルです。

(参考)↓の映画の中で、色々な単語がお互いの言語でなんというか確かめ合うシーンがある。

―バラバラな国民性に関するエスニックジョーク

ボスニア・ヘルツェゴビナさんは天然?

【疑問】なぜばらばらなのに1国にまとまろうとしたの?

―舞台は第一次世界大戦後、キーワードは汎スラブ主義

スラブ民族の、トルコやオーストリアの支配からの解放運動

あの辺の人たちスラブ民族です。

「世界中のスラブ人が一カ所に集まりましょう!」っていう考えとその運動

要は、支配から脱して1つにまとまりましょうよ!という考えです。

(第一次世界大戦の後、)世の中が帝国主義の反省もあってか「民族のことは民族自身に決めさせてあげましょうや」的な雰囲気、いわゆる民族自決の波がやってきます

第一次世界大戦の講和条約のベルサイユ条約に民族自決(植民支配から脱し、その民族自身で国を運営しようということ。)の原則が盛り込まれたことも、汎スラブ主義実現を後押しします。

さて、状況は整いました。
①バルカン半島や東欧におけるスラブ民族の、トルコやオーストリアの支配からの解放運動
②「汎ゲルマン主義」への対抗

さまざまな政治的立場のぶつかり

●具体的に成り立ちをみる

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naopionさん

芸術、近代美術、色、ファッション、エンタメ、歴史、近現代の政治、みじかな疑問を中心にまとめていきます。いま興味があるのは建築と栄養です。