1. まとめトップ

見世物小屋 今は亡き夏の祭りの風物詩

昭和の時代、まだ夏祭りには、見世物屋の興行が巡ってきていました。小さい頃は、親には入っちゃダメだって言われて見れなかったので、私にとっては禁断の世界でした。初めて入った見世物小屋は、インチキとかグロテスクという感想よりも、すごく哀しい世界と感じてしまいました。

更新日: 2013年07月02日

256 お気に入り 769981 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

kiiitoneさん

興行が終わった興行者たちの姿がとくに印象的であった。小屋をたたみ、荷物をトラックに積み、また次の町へと向かう。小屋は消えてしまうが、たしかにそこに「見世物小屋があった」という記憶は残っていく。 筆者も「靖国神社みたままつり」で興行を見た庫ことがあるが、それは恐くて、おもしろくて、どこか懐かしい想いを抱かせてくれた。その空間にはテレビが映す嘘がないのだ。

見世物小屋とは

江戸時代に爛熟し、明治時代以後に今でいうところの見世物小屋に近づいていった。江戸時代の頃には今で言うところのサーカスや美術館、動物園、お化け屋敷、パフォーマーなどの要素も含んでいた。昭和30年頃には、神社のお祭などで縁日などと並んで見世物小屋も興業していた。

珍品、奇獣、曲芸などの出しものを行う小屋と定義さられている。奇形児などを見世物にして興行収入を得てきたこともあり、社会福祉が発達していなかった頃には身体障害者の生活手段の一つであった。

昭和50年以後は障害者を舞台に出演させることへの批判が強まり、見世物小屋は衰退していった。また、映画のなかでも興行者が語っていたが、テレビの繁栄も見世物小屋衰退の要因である。

牛女・・・足がない女性。または足の間接が逆向きになっている。

山猫女・・・小さい頃、山猫に育てられたと言われる女性。私の地元では鰐女だったと思う。生きた鶏を頭から食べていた。

私の田舎では、蛸女という人もいた。
中に入ると日本髪を結ったおばあさんが上半身裸で、日本のロープを両手でつかみゆらゆら揺れていた。
足の方をみると、作り物の蛸の足のようなものが腰のあたりにつけられていた。

そして、ついに見世物小屋は最後の一軒に・・・・・

見世物小屋は全盛期には数百を数えたが、映画やテレビなど娯楽の多様化、ライフスタイルの変化など時代の流れの中で数を減らし、現在単独で興行できるのは、大寅興行社の一軒だけになっている。

花園神社(東京都新宿区)
二の酉 大寅興行社が小屋を立てた

最後の見世物小屋を追ったドキュメンタリー

監督 奥谷洋一郎

最盛期には数百件を数えたものの、現在では一軒しかないといわれる見世物小屋一座の生活と歴史を追ったドキュメンタリー。江戸後期には全国で300軒あったとされる見世物小屋は、時代とともに数を減らし、2010年以降も営業しているのは、新宿花園神社の酉の市に出る見世物小屋で知られる「大寅興行社」のみ。旅から旅へとまわり、日常生活も一緒に過ごす大寅興行社一座の失われつつある暮らしや人情を見つめる。

そして、見ると鬱になるアニメ『少女椿』

病気の母を助けるため、夜ごと花売りにでかける少女、みどりちゃん。ある日みどりちゃんは山高帽を被った親切なおじさんに出会う。
「困ったときは、いつでも私を訪ねておいで…。」
家に帰ったみどりちゃんが目にしたのは、性器から入り込んだ何匹もの鼠に内臓を食い破られた母親の姿だった。孤児になったみどりちゃんは、山高帽のおじさんを訪ねる。しかしそこは、異形の者たちが働く見世物小屋であった…。

舞台 『少女椿』

『少女椿』 10月13日(木)〜17日(月) 於:ザムザ阿佐谷

『少女椿』
花を召しませランララン
夢は木蓮一丁目
二丁目 向日葵 王女様
三丁目の花 女蔵花
四丁目 ぬれてる瑠璃柳
あたしのお花 迷ひ子のお花
遠くでお家が燃へる夜
盲目の黒犬くはへて走る
したたるような椿です


丸尾末広の人気漫画『少女椿』を、廻天百眼が脚色完全舞台化!
見世物小屋にさらわれた少女の残酷物語
少女はいつ何を生きたのか
少女は誰か、少女は何か、少女は君だ!
あの日あの時から、あなたは何を失い、何を得たのか
あの日あの時に望んだ世界よ!今こそ私達の前に!
廻天百眼の送る、反逆の少女椿!
「どうせ人生見世物よ!」

1 2