1. まとめトップ

HIP HOPの歴史を変えた J Dilla aka Jay Deeと仲間たちの偉大なる伝説

J-Dillaの仕事によりHip Hopの深み、その先の音楽の楽しさを知りました。人類の遺産であるJ-Dillaの偉大なる軌跡をまとめ、改めてJ Dillaにリスペクトを贈りたいと思いました。R.I.P.

更新日: 2014年06月29日

87 お気に入り 106277 view
お気に入り追加

この記事は私がまとめました

science-Kさん

まず はじめに

重低音に対応出来ているスピーカーは用意できていますか?

J DillaにとどまらずHip Hopの音源を深く味わうためにはやはりレコードで楽しみたいところですが、その前にyoutubeで聞いてみましょう。そしてレコードを買いましょう。

イヤフォン、ヘッドホンでも良いのですが、アンプ内蔵スピーカーなどで聞くと音圧から発せられる、いわゆる“VIBES”みたいなものが感じられると思います。

アナログレコードにはyoutubeには含まれていない信じられないような情報が記録されています。

でわでわ
用意はよろしいでしょうか?

「Dilla Changed My Life」

Dillaの早すぎる逝去をどれだけ多くの人々が悲しんだことか…

多くの人々が彼の生み出すサウンドプロダクションにコラボレーションにビートにサンプルに影響を受けた。

Hip Hopに留まらないJ Dillaの至極の仕事には"LOVE”が詰まっている。

そんな"LOVE”を今一度辿ってみよう。

J Dilla(ジェイディラ、1974年2月7日 - 2006年2月10日)は、アメリカのミュージシャン、音楽プロデューサー、作曲家、歌手。本名James Dewitt Yancey。ミシガン州デトロイト生まれ。アメリカでヒップホップとR&Bを中心に幅広く活躍したプロデューサー(トラックメーカー)、MC(ラッパー)である。

J DillaことJay Dee 本名James Dewitt Yanceyは1974年2月7日にデトロイトで生まれました。

デトロイトは、アメリカ合衆国ミシガン州南東部にある都市。
人口は、2000年国勢調査では951,270人、2007年の推計では916,952人。デトロイトの都市圏(大都市統計地域: MSA)の人口は4,452,559人であり、全米第9位の規模。主要産業は自動車産業であり、「自動車の街」

幼少時代

J Dillaは四人兄弟の二番目として、母は元オペラ歌手、父はジャズベーシストという音楽に恵まれた環境に生まれる。彼は幼い頃から彼の両親から音楽を学ぶと共に様々なレコードを集めており、そのレコードの影響もあって様々な楽器の演奏、そしてラップに情熱を傾けるようになる。高校に入学後、彼は学友のT3、Baatinと、自身はJay DeeとしてSlum Villageを結成すると共にテープデッキでビートの作成を開始。

「あの子は夜型で、生後数ヶ月なのにジャズを聴かないと寝ようとしなかった。」

「JBの曲がかかると、あの子は急にハイハイして曲が終わるまで夢中で踊っていた。」

「中学高校のときピアノとチェロを本格的に習わせたの」

「本格的にビートを作り始めた頃、ディラはテープレコーダーを分解して、テープの一部を伸ばしてサンプリングをできるように改造してた。」

初期の活動と成功

1992年になると、元FunkadelicのキーボーディストであるAmp FiddlerはJay Deeの才能に感動しテープエディットしか知らなかったJay DeeにMPCの使い方を教える。Jay DeeはMPCの使い方を素早くマスターし、1994年にその機材で作ったデモテープがAmp Fiddlerを介してA Tribe Called Questのツアーでデトロイトを訪れていたQ-Tipの手に渡る。これがきっかけで後述するThe Pharcydeの2ndアルバムとThe Ummahに関わることになる。

Amp Fiddler  ミュージシャン プロデューサー 作曲家 
自宅スタジオには研修生やミュージシャンが集まっていた。

「ジェイは礼儀正しく物静かな子だった。あの子がここ(Amp Fiddler 自宅スタジオ)に来たのは音楽を勉強するためであったよ。」

「MPCの使い方やビートの作り方を学びに来た連中は大勢いたけど、ジェイは別格だった。ジェイには最初からビートをつなぐずば抜けた能力があったんだ。」

「スタジオに来るジェイのことを俺は自慢するようになってね。ファイフやQティップ、アリにも自慢したんだ。」

「Qティップからの連絡はしばらく時間がかかったが、あそこから伝説がはじまったんだ。」

1994年に知り合ったQティップ(Q-Tip)にデモテープを渡したところから、ファーサイド(The Pharcyde)のセカンドアルバム”Labcabincalifornia”(’95)収録の大ヒットシングル”Runnin’”を手がける事になり、その名を一気に知らしめ、一大センセーションを巻き起こした。そして( ゚Д゚)ウマー

A Tribe Called QuestとはメンバーであるQ-Tip、Ali Shaheed Muhammad(後年Tony! Toni! Toné!のRaphael Shadeeqが加入)でプロダクションチームThe Ummahを結成。The UmmahはA Tribe Called Questの4thおよび5th、Q-Tipのソロアルバムやジャネット・ジャクソン等、様々な大物のアーティストを手がける一方、インディーレーベルからSlum Villageの1stアルバム『Fantastic Vol.1』のリリース等、Jay DeeはHip HopのみならずR&Bとしても最も有名なプロデューサーの1人になった。

「ジェイの曲がものすごく気に入った。自分の声で話しかけてくるみたいにインパクトがあったし、どこか懐かしい部分もあった。たぶんある意味で俺の曲と似ている部分があったからだと思う。」

De La Soul→プリンスポールからの脱却 Dilla→進化の起点

高校の同級生同士で結成されたグループで、オリジナルメンバーはT3に加えMCのバーティン(Baatin)とDJ / トラックメーカー / MCのジェイ・ディー(Jay Dee、後のJ. Dilla)。現在はT3(T3)とエルザイ(Elzhiの2MCからなる。

四作目「Beats, Rhymes and Life」だ。まだ無名に近かったJ・ディラを大々的にフィーチャーしたトラックは、これまでのATCQ作品とは様相を変え、とても硬質でアーバンなサウンドへと一変した。

燃え尽きた白 愛の運動 

1998年Dilla24歳 Q-tip28歳
A Tribe Called Quest→解散 Dilla→進化に終止符 ( ゚Д゚)ウマーくない??

終わりの美学VSキャリアの序章 天才VS天才VS天才…

HIPHOPの転換期

アートとしか言えません…

参考映画↓

1 2 3 4