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見世物にされた「世界で最も醜い女性」に学ぶ、本当の“美しさ”とは?

先日、「世界で最も醜い女」として展覧会で展示物にされていた女性が、生まれ故郷のメキシコに帰ってきたというニュースがありました。その女性の名はジュリア・パストラーナ。気になって調べてみると、決して彼女は「醜く」ありませんでした。

更新日: 2013年03月01日

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kurumama23さん

「世界一醜い女性」の遺体、故郷へ

「世界で最も醜い女性」と宣伝され、米国や欧州で見せ物にされた女性の遺体が12日、死後約150年を経て生まれ故郷のメキシコに帰り、埋葬された。

ジュリア(フリア)・パストラーナ【Julia Pastrana】

パストラーナは1834年にメキシコで生まれ、先天性多毛症で顔が厚い毛で覆われていた。

歯茎が厚くなる歯肉増殖症と、分厚くなる唇にも悩まされていた。

下働きとして悲惨な生活をしていた。

男との出会い

後に結婚することになる米国人興行者と20代で出会うと、見せ物として歌や踊りをさせられ、米国や欧州を興行して歩いた。

夫の名前はセオドア・レント【Theodore Lent】。

歴史家によると、パストラーナは夫に恋をしていたが、夫は単に彼女でもうけるために結婚したと考えられている。

パストラーナの死の数年後、夫・レントは新たな「クマ女」を見つけ、再婚。その女性も見世物として利用された。

ヨーロッパ・アメリカ巡行

夫は彼女を連れてヨーロッパツアーを行ったが、人々は彼の妻に対し「クマ女」「オランウータンとの交配」などと呼んだ。

夫は妻を「ゴリラ女!歴史上最も醜い女」として宣伝していたのだった。

パストラーナは自分が怪物として見世物にされることを恥じ、自分の容貌を深く思い悩んでいた。

出産と死、そして死後も見世物として

パストラーナは1860年、息子を出産した直後にモスクワで死亡。同じく多毛症だった息子も数日後に死亡すると、夫は2人の遺体に防腐処理をし、各国を展示して回った。

彼女の本当の姿

世間は彼女のことを「極端に不快」と表現したが、彼女は歌、ダンスが上手く、地元では慈善団体の寄付などで知られていたという。

また、彼女は首から下は完璧に正常な女性で、胸や腕、ウエストなどはたいへんに優美で、性格も穏やかでやさしく、知的で向学心も旺盛であり、各国をめぐる見世物巡業の中で数ヶ国語を習得した。

彼女の最後の言葉

「私は幸福のうちに死にます。私は充分愛されていましたから」

彼女は夫のことを愛し、彼の愛を信じていた。

ジュリア・パストラーナについて書かれた本

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