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南京大虐殺にすり替えられた通州事件とは?

盧溝橋事件から三週間たった昭和12(1937)年7月29日、北京の東方に位置する通州で、済南事件を上回る日本人居留民虐殺事件が発生した。これは通州事件と呼ばれている

更新日: 2016年01月07日

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冀東防共自治政府(きとうぼうきょうじちせいふ)は、1935年から1938年まで中国河北省に存在した政権。地方自治を求める民衆を背景に殷汝耕の指導により成立した。国旗には中華民国が最初に定めた五色旗を使用した

冀東防共自治政府 (中国中央電視台) [P]

盧溝橋事件から三週間たった昭和12(1937)年7月29日、北京の東方に位置する通州で、済南事件を上回る日本人居留民虐殺事件が発生した。これは通州事件と呼ばれている。

 当時、通州には親日政権の「冀東防共自治政府」が設立され、一万余りの保安隊を擁していた。日本側はこの冀東保安隊を信頼していたため、自身の兵力はほとんど配置していなかった。

原因は、シナ軍(国民党)が流したデマに寝返った保安隊

事件の原因は、盧溝橋事件の直後、国民党ラジオでデマ放送を流したことだった。「日本軍は敗走した。29軍は大挙して冀東を攻撃する。『偽都』通州の敵を屠り、『逆賊』殷汝耕主席を血祭りにあげよ」

 この放送を鵜呑みにした通州保安隊千数百名は、すぐさま国民党に寝返り、突如日本軍を襲撃したのである。彼等は日本側の兵力が手薄なことを利用し、小銃や機関銃を乱射しながら日本人居留地に突入し、虐殺、凌辱、掠奪のかぎりを尽したのである。

地獄絵図の近水楼。 (各社特派員決死の筆陣『支那事変戦史』/反日ワクチン) [C]

日本人223人が、中国伝統の虐殺の「作法」で惨殺された

これにより現地の日本人385名のうち、幼児12名を含む223名が虐殺された。多数の女性は強姦された後、陰部を銃剣で突かれえぐり取られた。首に縄をかけられ引き回しにされた上、目玉をえぐられた者もいた。牛のように鼻に針金を通したまま殺された子供や、生きたまま片腕を切断された老婆もいた。

 これらは、すべて中国伝統の虐殺の「作法」である。通州事件は中国の抗日戦史のなかでは「反正」(親日政権に対する正義の反乱」や「義挙」などと評価されている。愚昧な保安隊による単なる虐殺事件にすぎないのにだ。

「中国・黄 文雄 韓国 反日歴史教育の暴走」 海竜社より

居留地(きょりゅうち)とは?

国内の一部を限って、外国人の居住・営業のために指定した地域。中国では租界といった。日本では明治33年(1900)の条約改正により廃止された。

毛沢東は生涯、南京大虐殺について言及することはなかったという­事実。

要するに、その当時はまだ南京大虐殺のプロパガンダがまだ行われ­ていなかっただけの話。

通州事件が起きた時は、どの新聞も一面で取り上げたが、南京大虐­殺の時はまったく新聞に載っていない。

なぜか?

それは、南京大虐殺はそもそも起こっていないから。

だから、戦後30年ほどしてから南京大虐殺がねつ造されていくの­である。

中国共産党のプロパガンダは単なる嘘である。

Popman875

ただし、東中野修道氏の著作には、無理に捏造という結論に持っていくために、少々、強引に否定している部分があります。東中野修道氏の解説だけを引用すると、虐殺肯定派に思わぬ足元をすくわれる可能性がありますので、注意が必要です

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