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日本人を救ってくれたトルコの話…忘れてはいけない「友情と恩返し」

イラン・イラク戦争時の85年に、テヘランに取り残された在留邦人200人以上を救出した際、パイロットを務めたオルハン・スヨルジュ氏が死去しました。哀悼の意を込めて、彼とトルコの人たちが日本にしてくれたことを改めてご紹介します。

更新日: 2013年03月03日

kurumama23さん

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日本人を救出したトルコ航空機の元機長が死去

1985年のイラン・イラク戦争時にトルコ政府の命を受け、テヘランに取り残された200人以上の邦人を救出したトルコ航空機の元機長、オルハン・スヨルジュ氏が、2月24日にイスタンブールで死去した。死因は肺がん。87歳。トルコと親好のある和歌山県が1日、発表した。

イラン・イラク戦争時、テヘランに日本人が取り残される事態に

昭和60年(1985年)3月17日、イラン・イラク戦争で、イラクのフセイン大統領は48時間の猶予期限以降にイラン上空を飛ぶ航空機は無差別に攻撃すると突然通告。世界中がパニックになり、どの国もイランに取り残された国民の救出に全力を注いだ。

日本政府も対応に追われたが、日本の航空会社はイランへの定期便がなかった。日本航空がチャーター便を飛ばすにはイランとイラクの航行安全の確約を取らなければならない。日本政府はイランの確約を取ったもののイラクからの返事が得られなかった。日本人救援のためにJAL便がテヘランに飛ぶことはなかった。

まさに救いの手!トルコからの救出

3月19日午後8時30分のタイムリミットが迫ってくる中、空襲警報が鳴り止まないテヘランのメヘラバード空港に2機のトルコ航空機が降りてきた。定期便に寄り添うようにもう一機のトルコ航空機が降りてきた。1機目の215人乗りのボーイング727の全座席は搭乗を待つ日本人216人にすべたが与えられ、2機目には1機目に乗り切れなかった日本人と同じく本国からの救援を待っていたトルコ人が乗り込んだ。午後6時、2機のトルコ航空機はイランを飛び立ち、トルコに向った。日本人全員が救出された。

救援機を出してくれた経緯

親友である伊藤忠商事・森永堯(イスタンブール在住)のたっての依頼を受け、トルコのオザル首相(のちの大統領)が特別便を飛ばす事を決断したのだ。
オザル首相の命を受け、トルコ航空ではすぐさま日本人救援機の整備が開始された。トルコ航空特別便に乗るパイロットを募ったところ、全員が手を挙げたという。トルコ航空では19日に最終定期便を飛ばす事にしていたが、もう一機を臨時に飛ばして日本人を救うというのがトルコ航空の計画だった。

救出してくれた理由、それは「100年前の恩返し」

トルコが日本人を救出した理由は100年前に行なわれた日本人の行為だったと後日駐日トルコ大使が明かした。

明治23年(1890年)9月16日、トルコの軍艦エルトゥールル号が和歌山県大島樫野先付近で台風のため座礁し、機関が爆発して約500名の乗組員が死亡する事件があり、日本は生存者を治療、看護し、イスタンブールまで送り届けたことがあったが、トルコでは教科書にも載っている話で誰もが知っている歴史的事件だった。

元駐日トルコ大使ネジアティ・ウトカン氏の談話

「エルトゥール号の事故に関して大島の人たちや日本人がしてくださった献身的な救助活動を、今でもトルコ国民たちは忘れていません。私も小学生のころ歴史の教科書で学びました。トルコでは、子供たちでさえエルトゥール号のことを知っています。現在の日本人が知らないだけです。だからこそ、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです」

参考リンク

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このまとめへのコメント1

  • kuronekohanaさん|2013.04.17

    当時子供でしたがこのニュースは覚えています
    危険な場所から沢山の人たちを救い出してくれてありがとうございました
    どうか安らかにお眠りください

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