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意外と知らない「演歌は日本の伝統」という大きな間違い

「演歌は日本の心です・・・」と言うのはお馴染みのフレーズ。まるで近代以前から続く伝統のように思われがちな演歌というコンテンツは、実はたったの40年くらいの歴史しかない。意外と知らない近代日本の音楽史をまとめてみた

更新日: 2013年03月07日

gudachanさん

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「演歌」の起源は「演説歌」

ことばとしての「演歌」のルーツは明治時代の社会風刺音楽を意味するものだった。有名な川上音二郎「オッペケペー節」(画像)は曲調もラップのようなもの。演説歌が転じて演歌となったにすぎず、いまの音楽ジャンルである「演歌」とは曲調も内容も全く異なるものだ

「演歌」は、「演説歌」の略語であり、明治時代の自由民権運動の産物だった。藩閥政治への批判を歌に託した政治主張・宣伝の手段である。つまり、政治を風刺する歌(プロテストソング)で、演説に関する取締りが厳しくなった19世紀末に、演説の代わりに歌を歌うようになったのが「演歌」という名称の始まり

戦前の日本では洋楽がヒットしていた

戦前において、大衆音楽界の主流は「流行歌」だった。ジャズなどの洋楽が日本に流入し、そのカバー曲や、洋楽的な音楽手法に則った歌手が大衆を魅了するヒットソングとなった。演歌が音楽界に復権したのは戦後のことである(画像は当時を代表する歌手の一人であるディックミネ)

昭和に入ると、外資系レコード会社が日本に製造会社を作り、電気吹込みという新録音システムも導入され新しい時代を迎えた。しかし、昭和3年(1928年)の佐藤千夜子や二村定一、昭和6年(1931年)の藤山一郎の登場により「流行歌」と呼ばれる一大分野が大衆音楽の世界をほぼ独占し、しばらく「演歌」は音楽界から退場することになる

明治以降の西洋音楽の浸透とレコード技術の移入、そして大正時代から昭和初期にかけての大衆文化の発達に伴い、庶民の娯楽として登場した

和製ポップスも洋楽らしさが全開

純国産の流行歌も洋楽譲りの軽快な曲調と陽気な歌詞のモダンな曲が数多く創られヒットしていた

実はたかだが40年程度でしかない「演歌史」

戦時中に当局によって禁じられていた「流行歌」は戦後に復活したものの、その頃アメリカではポップ音楽の主流はジャズからロックへ移ろっており、流行歌は時代遅れなものに。レコード業界の構造変化もあいまりこんにちの「演歌」は戦後業界によって作られた

「演歌」は1960年代末から72年ごろにかけて、若者向きの流行現象として音楽産業によって仕掛けられていた

昭和38年(1963年)、演歌専門のレコード会社・日本クラウンの独立とさまざまな音楽の流入により「流行歌」が消滅

その中で、ヨナ抜き音階や小節を用いたものが「演歌」と呼称されるようになった

社会風刺的要素は全くなく、‘‘名称だけの復活’’となり、演説歌を起源とする旧来の演歌は、戦後に流入したアメリカンフォークの影響によって「フォーク」に

現在の「演歌」を特徴づける「こぶし」や「唸り」の利いた歌い方は、少なくとも昭和20年代までは殆ど見当たらない

畠山みどりがパロディ、コミックとしてレコード歌謡に取り込んだ浪曲的意匠を、「唸り」という歌唱技法に極端に推し進めたのが都はるみ

「ためいき路線」の森進一も青江三奈も、ともにバックグラウンドは洋楽。森進一のしわがれ声は、ルイ・アームストロングを意識

北島三郎のコスチュームに代表される「和服」姿も、当初はいわば“コスプレ”的な衣装だった

演歌は、1970年前後に作られ1980年代半ばに力を失った音楽のカテゴリであり、万葉から続く「日本の心」などとは無関係

演歌の源流は韓国? 意外な説も存在

日本と韓国の一部の論者の間でまことしやかに語られているのは「演歌のルーツは朝鮮半島にある」とする主張。日本艶歌歌謡協会の理事長で自身も演歌歌手である高樹一郎氏(画像)は昨年、以下のような見解を示している

韓国で放送されたドキュメンタリー番組に日本艶歌歌謡協会の理事長・高樹一郎氏が登場し、「演歌は韓国メロディから生じたもので、演歌とトロットは酷似している。演歌始祖の古賀政男先生は事実上韓国人であり、歌で敗戦後絶望していた日本人に夢と希望を持たせた」と発言

韓国大衆音楽評論家のバク・ソンソ氏は「これが事実ならば、韓国と日本の大衆歌謡史は書き換える」として、関連調査と研究を早急に進めるべきと指摘

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gudachanさん



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