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「フルベッキ写真」とは、フルベッキ※とその子を囲んで撮影された集合写真の俗称。

グイド・フルベッキ 宣教師として来日、長崎で明治維新の偉人達に英語・政治・経済を教えた人物

グイド・ヘルマン・フリドリン・フェルベック(Guido Herman Fridolin Verbeck、或いはVerbeek[1]、1830年1月23日 - 1898年3月10日)は、オランダ出身[2]で、アメリカ合衆国に移民し、日本に宣教師として派遣され活躍した法学者・神学者、宣教師。
日本では発音しやすいようフルベッキ(Verbeck)と名乗り、現在に至るまでこのように表記されている。[3

長崎では、開国後も依然としてキリシタン禁制の高札が掲げられており、宣教師として活動することができなかった。しばらくは私塾で英語などを教え生計を立てていた。1862年には、自宅でバイブルクラスを開いた。1863年(文久3年)の生麦事件をきっかけとした薩英戦争の時は上海に非難して、1864年に長崎に戻った。
1866年(慶応2年)に自宅で、佐賀藩家老の村田若狭と弟綾部恭に洗礼を授け、1868年には仏僧清水宮内に洗礼を授けた。[6]
1864年(元治元年)には、長崎奉行より幕府が長崎につくった長崎英語伝習所(フルベッキが在籍した当時は洋学所、済美館、広運館などと呼ばれた)の英語講師への招聘があり、フルベッキはお雇い教師として幕府に雇われることになった。
1866年(慶応2年)には、佐賀藩主の鍋島直正等と親交があった関係で、佐賀藩校で長崎にあった致遠館に招かれ、英語、政治、経済などについて講義をしている。この時の教え子には、副島種臣、大隈重信、伊藤博文、大久保利通、大木喬任、加藤弘之、辻新次、岩倉具定、岩倉具経、江藤新平、高杉晋作など後の明治維新の偉人たちがいた。

Wikipediaより

この写真は古くから知られており、1895年(明治28年)には雑誌『太陽』(博文館)で佐賀の学生達の集合写真として紹介された。その後、1907年(明治40年)に発行された『開国五十年史』(大隈重信監修)にも「長崎致遠館 フルベッキ及其門弟」とのタイトルで掲載されている。
1974年(昭和49年)、肖像画家の島田隆資が雑誌『日本歴史』に、この写真には坂本龍馬や西郷隆盛、高杉晋作をはじめ、明治維新の志士らが写っているとする論文を発表した(2年後の1976年にはこの論文の続編を同誌に発表)。島田は彼らが写っているという前提で、写真の撮影時期を1865年(慶応元年)と推定。佐賀の学生達として紹介された理由は、「敵味方に分かれた人々が写っているのが問題であり、偽装されたもの」だとした。

この説は学会では相手にされなかったが、一時は佐賀市の大隈記念館でもその説明をとりいれた展示を行っていた。また、1985年(昭和60年)には自由民主党の二階堂進副総裁が議場に持ち込み、話題にしたこともあったという。また、2004年(平成16年)には、朝日新聞、毎日新聞、日経新聞にこの写真を焼き付けた陶板の販売広告が掲載された。東京新聞が行った取材では、各紙の広告担当者は「論議がある写真とは知らなかった」としている。また、業者は「フルベッキの子孫から受け取ったもので、最初から全員の名前が記されていた」と主張している。

本物?偽物? 合成写真?様々な説が今も飛び交う

明治維新に関する謀略の鍵として描いた書籍も存在

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