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daiba49さん

ハルノート前と後では東條首相兼陸相の立場も態度も全く変わっただろう思うが。コレだけ切り取ると無知な読者の誤解を生む記事ではないか? 東条首相、開戦前夜「勝った」…対面の高官メモ:読売新聞 yomiuri.co.jp/national/20180…

なんでもそうだけど、文字に込めた真意を考察する力は必要だと改めて感じる。鵜呑みにしない、疑え。 余談だけど、東条英機といえば大川周明に頭はたかれてるのが強烈な印象だって人結構いそう。 東条首相 開戦前夜「勝った」 2018年7月23日 news.yahoo.co.jp/pickup/6290838

日米開戦前日、東条英機首相のメモ。戦争に反対していた天皇が開戦を決意し、軍が一致して行動する状況になったことですでに勝ったと言っていた」-薩長連合政府の国策の富国強兵、その為の官僚制度作られ、立憲君主憲法作り、選挙も無く総理大臣で中国共産党の様な絶対体制。国が屍と焦土で全滅状態。

昭和16年の日米開戦で最後通告の手渡しが遅れた原因の一端を示すとみられる史料が、防衛省防衛研究所に保管されている

終戦直後に連合国軍総司令部(GHQ)が外務省に対し、
「電報が天皇陛下に渡されたならば戦争は避けることができたに違いない」との見解を示していたことが、
7日公開の外交文書から明らかになった。

昭和16年12月の開戦前、陸軍参謀本部通信課員だった戸村盛雄少佐(当時)が昭和37年3月、防衛庁の事情聴取に対し、大統領の親電をめぐる経緯について「7日午前11時ごろ、参本(陸軍参謀本部)の廊下で瀬島(少佐)とバッタリ会った」と証言。

1940年に陸軍が北部インドシナ(仏印)に進駐した際、天皇が前線に打とうとした叱責電報を独自の判断で改ざんしたことを始め、41年にはルーズベルト米大統領の親電を握りつぶす、などのサボタージュを行った(とされている)。

GHQ側が戦後、開戦直前にルーズベルト米大統領から昭和天皇に宛てた親電の伝達が遅れた経緯を、詳しく調査していたことも判明。親電は戦争回避を意図したとされる。連合国は、戦争犯罪人が裁かれた極東国際軍事裁判(東京裁判)のため、証拠固めなど周到な法廷対策を進めていたことがうかがえる。

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