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浪速のジョー 辰吉丈一郎の伝説

辰吉に憧れ、プロボクサーを目指した人も多いのではないでしょうか。90年代の日本のボクシング界で一番輝いていたことは間違いないです。

更新日: 2014年10月01日

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mukkumanさん

今も現役にこだわる辰吉丈一郎

一度聞いたら忘れないその名前!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

誰もが知っているプロボクサーです。

まさに男の生き様です。

何が彼をここまでかりたたせるのかはわかりませんが、本当にボクシングと心中するつもりなんだと思います。

日本のボクシング界の常識を打ち破ることをいつもやってくれます。

今まで残してきた伝説を見ると本当にボクシングへの情熱というか執着心が他のボクサーとは違うと思います。

1993年に、左眼の異常を訴える。検査の結果、今度は網膜剥離が判明。日本ボクシングコミッション (JBC) ルールにより試合ができない身となり、事実上引退の危機。

普通の選手であれば、ここで引退すると思います。しかし、

手術後は現役続行の意思を表明し、その道を模索することとなる。その結果、帝拳プロモーション会長・本田明彦等の尽力も有り、1994年7月2日、JBC管轄外のハワイで復帰戦を強行。4月にWBC世界バンタム級王座に挑戦したホセフィノ・スアレス(メキシコ)を3回KOに降す。この勝利でWBCから返上していた暫定王座を再び与えられた。JBCも特例で辰吉の現役続行を許可。

現役続行への想いは、ついにJBCを動かします。

そして僕が12歳であった冬の日に、ある試合が行われました。

1994年12月4日 WBC世界バンタム級タイトルマッチ

この日のことは一生忘れません

正規王者薬師寺保栄との日本人同士での統一戦でした。

辰吉は、負けた場合は目の関係もあり即引退ということになっていました。

結果辰吉は判定負け

悲しくて、悲しくて仕方なかったです。
これで、辰吉を観ることはないのかと。
当時の新聞記事を片っ端から集めた覚えがありますし、本気でボクサーになりたいと思いました。
こんなに憧れた人はいまだかつていません。
ただ、もっともっと試合を観たいという思いはありました。
でも、誰もがもう終わりだと思ったはずです。

しかし、辰吉は引退を拒否。そして、

1995年、米国・ラスベガスでノンタイトル戦2試合を強行。遂にJBCも折れ、辰吉は世界戦に限り国内で試合を行えることとなった

またしても、前例を覆したのです。
見苦しいと思った人も多かったと思いますが、それでも思いを優先した辰吉がカッコ良いと思います。

そして1996年11月にWBC世界バンタム級王者のシリモンコン・ナコントンパークビューにKO勝し、再び世界王者に返り咲いたのです。

その後、ウィラポンには完敗し、王者からは陥落してしまいました。

本当に衝撃の一戦でしたね。
ウィラポンが強すぎました。
辰吉が、あんなに大の字になって倒れる姿が誰も想像できなかったと思います。
今度こそ、誰もが終わったと思ったはずです。

しかし、これだけ完敗したにも関わらず辰吉はウィラポンに再度挑戦します。普通であれば、ここまでボコボコにやられれば恐れというものを抱くはずです。

第2戦も、結果は完敗。
それでも、不屈の魂を見せてもらいました。
そして、その後も現役を続行。
ちなみにウィラポンは長谷川穂積に敗れるまで安定政権を樹立。
辰吉に勝った相手とはいえ、好きな選手です。

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