1. まとめトップ

この記事は私がまとめました

otokudaisukiさん

20代前半まではモデルやレースクイーンとして活動していたが、歌手になるという強い希望を持ち続け、1991年2月、音楽グループ「ZARD」のボーカルとして歌手デビューを果たす。

生涯を通し、数回のテレビ、ラジオへの出演以外はほとんどマスメディアに登場せず、ライブも殆ど行わなかった。2007年5月27日、癌闘病中に、階段からの転落による脳挫傷が原因で死去。40歳没。

ZARDとして活躍する一方、同じビーイング系のアーティストのバックコーラスに参加したり、作詞家として多くのアーティストに詞を提供している。活動範囲はJ-POPに限らず、テレサ・テンや森進一などの大物歌手へ作詞を提供するなど、ジャンルの違う歌手との異色のコラボレーションも行なった。

坂井さんが病院に通院してた頃、闘病中の幼い女の子
に「負けないで」を歌ってあげたとか。
結構ファンの間では有名な話です。

1991年 - 1993年
街頭でスカウトされてモデル活動をしていた坂井泉水が、テレビドラマ『結婚の理想と現実』の主題歌歌手として抜擢されてメジャーデビューする。

1993年、6thシングル「負けないで」が自身初のオリコンチャート1位獲得しミリオンセラーを記録。その3ヵ月後に、8thシングル「揺れる想い」もミリオンセラーを記録。この2曲を収録した4thアルバム『揺れる想い』が200万枚超の売上を記録し、この年の年間オリコンアルバムチャート1位を獲得。ビーイングブームの代表格になった。この年のオリコンアーティストトータルセールスの1位も獲得。

ジャケット写真は正面写真が少なく、ソフトフォーカスの物がほとんどであったため、「歌手と写真で顔を出す人物が別人である」という都市伝説が生まれたこともあった。

上述の通りZARDの楽曲はほぼ全てが外部作・編曲家の作った曲に坂井が詞を付ける形で作られるため、坂井の意見がスタッフを通じて間接的に伝えられることはあっても基本的には作・編曲家のセンスが左右する。

アーティスト・トータル・セールス(CD総売上枚数):3743.0万枚(歴代7位)
シングル:1768.0万枚(女性ボーカルアーティスト歴代2位)
アルバム:1971.0万枚(女性ボーカルアーティスト歴代4位)

シングルTOP10獲得数:43作(歴代5位タイ)(女性ボーカルアーティスト歴代2位)

90年代アーティスト・トータル・セールス:3位(女性ボーカルアーティスト1位)
シングル1位獲得数:12作(女性ボーカルアーティスト歴代4位)

シングルTOP100チャートイン数:45作(90年代デビューアーティスト歴代2位)

坂井泉水の死去をきっかけにZARDが社会に与えた影響を総括しようとする試みが一般のメディアの間でも見られるようになった。

年末には坂井の特集記事を組む全国紙もあった[6]。亡くなる前はCDの売り上げ等のランキングが全て3桁であったが、亡くなった直後から全て1桁になり、あちこちの中古CDショップでは売り切れ続出、店舗によっては特設販売コーナーも設けられた。

尾崎豊,マイケル・ジャクソン同様、亡くなってからファンになった、興味を持ち始めたという人も多く、また、大ヒット曲「負けないで」が高校野球の応援の演奏曲として頻繁に使われるようになった。

1