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【名作】ゴジラシリーズ第一作!1954年の初代ゴジラ特集【映画】

世界に誇る日本の怪獣王、ゴジラの原点を探る。

更新日: 2013年03月22日

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zakiyayamaさん

そもそもゴジラってなに??

ゴジラ(1954) 予告編 [GODZILLA]

『ゴジラ』は1954年(昭和29年)11月3日に、東宝が製作・公開した日本映画。観客動員数961万人。モノクロ、97分、スタンダード。
巨大怪獣ゴジラが登場するゴジラシリーズ第1作。日本の怪獣映画の元祖である。

企画の立案まで

本作のプロデューサー田中友幸は、1953年(昭和28年)に『さらばラバウル』(本多猪四郎監督)を製作した折に、前年に東宝に復帰したばかりの円谷英二と出会い、円谷が手掛けた特撮の成功もあって、「特撮物はいける」と実感していたという。田中は続いて8月に、谷口千吉を監督に、インドネシアとの合作映画『栄光の影に』を企画。ところが翌年1954年(昭和29年)4月にいよいよ谷口監督、主演の池部良、山口淑子らをそろえたロケ隊の出発という段になって、外交上の諸事情からビザが下りず、泣く泣くこの企画を断念することとなった。「腹の虫が治まらなかった」という田中は急遽代替企画を立てざるを得なくなったが、こうした事情から、発想がどうしてもインドネシア周辺の海洋を舞台にしたものに向かったという。

企画が「ゴジラ」になったのは、本当に偶然に近いものだった。もし「栄光の影に」の企画が通っていたのなら、「ゴジラ」は1954年に公開されず、ここまでの大ヒットにはならなかった・・かも?

円谷英二監督。「ゴジラ」のほか、「ウルトラマン」など他の特撮シリーズも手がけ、日本に特撮ブームを巻き起こした。

「G作品企画」

この前代未聞の企画に臨み、本企画は「G作品」(Gはジャイアントのイニシャルから)と銘打たれ、極秘裏に進行されることとなった。大まかなストーリーや怪獣の設定が決まると、田中は次に、文芸部の松下忠と2人で、田中自身ファンであった怪奇幻想作家の香山滋の自宅を飛び込みで訪ね、原作執筆を依頼したところ快諾を得た。5月中旬のことだった。こうして香山の筆によって、田中曰く「シナリオ風の原作」が1週間ほどして完成し、これを基に「G作品検討用台本」が印刷された。この時点で、正式に円谷英二が企画に参加することとなった。

怪獣の名前が「ゴジラ」となったのも偶然のものであった。当時東宝演劇部にいた男性のあだ名が、「クジラ」が好きで「ゴリラ」のような容貌だったため、「グジラ」となっていたのが元々のネタである。そこから怪獣王の名前は「ゴジラ」となった。もし一歩間違っていたら、「ゴジラー」(ーが入っている)となっていたかもしれない。

SSの新抗議船はゴジラ号。http://bit.ly/dPLU4H さておき”「クジラ」が好物で「ゴリラ」のような容貌”をした網倉志朗という人物のあだ名が「グジラ」だと聞きつけ、語呂の良いこのあだ名を参考にし、「ゴリラ」と「クジラ」を合わせて「ゴジラ」とした(wikiより抜粋)

制作の開始

制作に当たっては超大作の扱いで公称7千万円(当時)という大型予算が組まれ、本編面では黒澤組から志村喬を準主演に、成瀬組からカメラの玉井正夫と美術の中古智を迎え入れるなどベテランを起用。予算面での規模が大きかったため、当時製作部長だった北猛夫を特別に「美術監督」に据えている。 特撮を担当した円谷英二は、本作のために飯塚定雄、井上泰幸、開米栄三、入江義夫など、各方面から若いスタッフを集めている。この面々は以後、日本特撮界に欠かせない重鎮となっている。

当時の映画の制作費、平均は2000万円ほどであり、7000万円は当時で破格の予算となった。東宝がいかにこの作品に期待を寄せていたのかがわかる。

出典jopro.jp

準主役となった志村喬。本作でもその存在感は群を抜いている。

当時の東宝映画の花形、宝田明。

作品公開と反響

こうして完成した本作は、封切りと同時に、当時としても例を見ない観客動員数を記録して空前の大ヒット。東宝の同年度の初日動員観客数の記録を塗り替えた。渋谷東宝に並ぶ観客の列は道玄坂まで伸び、待ち時間は2時間に達した。封切り初日は都内だけで14 - 15万人の動員があったという。あまりの大入りに、田中友幸は渋谷東宝や日劇ではチケットもぎを手伝っている。1番館での封切り動員だけで観客動員数は961万人に上り、国民のほぼ10人に1人はこの映画を見たことになる。『ゴジラ』の成功は、当時がたついていた東宝の屋台骨を一気に盛り返させたとも言われている。

当時でも、国民の10人に1人が見たといるのだから驚き。まだまだ怪獣映画はゲテモノという印象が強く、知名度もそれほどなかった映画だけに、いきなりのこの動員数は驚きである。

ストーリー

太平洋上で貨物船「栄光丸」が原因不明の沈没事故を起こした。さらに救助に向かった貨物船「備後丸」と大戸島(劇中では「おおどしま」と発音される)の漁船も次々に遭難沈没した。救出された大戸島の漁師・政治(まさじ)は、「巨大な怪物に襲われた」と証言する。そのことを聞いた島の古老は、大戸島の伝説に伝わる怪物「呉爾羅」の仕業ではないかと漏らす。

ゴジラ初登場シーン。

顔を覗かせただけであったが、それでも島民は逃げ惑った。

初代ゴジラの吐く放射熱線。ひとたび吐けば、鉄塔は飴のように解け、あたりは火の海となる。

銀座の和光ビル襲撃シーン。

ちなみに劇中では、襲撃の前に時計が鳴り響いている。

国会議事堂にせまるゴジラ。

当時、政治に対する不満も多く、映画内で国会議事堂が破壊された際には、拍手が起こったという。

東京湾に現れたゴジラは防衛隊の機関銃をものともせず芝浦に上陸。逃げまどう群衆の中、防衛隊に「ゴジラに光を当ててはいけない、怒りを増すだけだ」と進言する山根博士。ゴジラは水爆実験の記憶から、光に対して過剰反応を示すのだった。品川駅構内に侵入し、列車を踏みつぶし、海へと去るゴジラを、人々は怖れおののき逃げまどうばかりだった。防衛隊は5万ボルトの電流を流した高圧送電線式の鉄条網を東京湾沿岸に張り巡らせ、ゴジラの上陸を阻止し感電死させようと計画する。あくまでゴジラを研究対象としたい山根と、その抹殺を主張する尾形の間で恵美子は板挟みとなる。

山根博士演じる平田昭彦。山根博士は酸素をあらゆる角度から研究する実験をしていた中、偶然にも水中の酸素を破壊する方法を発見してしまう。博士はこの物質を「オキシジェン・デストロイヤー」と名付けた。

だが、オキシジェン・デストロイヤーは原爆や水爆に匹敵する物質と考えた山根博士は、これを一度使えば世界中から情報を求められると判断、戦争の悲劇を繰り返さない為にも、二度と使うまいと決心、オキシジェン・デストロイヤーとともに自らの命も絶った。

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