「下関事件の模倣犯になりたかった」「命を持って償います」と初公判でのみ反省・謝罪の弁を口にしていた。このことに対し、大阪地方検察庁の検事が週刊新潮のインタビューに対して「この反省と謝罪の弁は本物だった」との証言をしている。公判後は「何も言えないよりは良かった。本当ならば4人の遺族を名指しで批判するつもりだった」「刑事責任能力がそこまで認められたなら(控訴しても)仕方ない」と述べている。

2003年8月28日、大阪地方裁判所は被告人に対して死刑判決を言い渡した。死刑判決を言い渡す場合には主文を最後に述べる慣例があるが、今回はそれを破って主文を先に言い渡した。また、既に被告人は開廷時に騒いだことで退廷命令を受け、拘置所職員によって連れ出されており、死刑判決を読み上げる裁判長の声を自ら聞くことは無かった。また、この判決公判では傍聴希望者が多かったことから、特別措置として法廷にテレビカメラを設置し、別室に設けたテレビモニターで傍聴できた。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%84%E5%B1%9E%E6%B1%A0%E7%94%B0%E5%B0%8F%E4%BA%8B%E4%BB%B6#.E5.85.AC.E5.88.A4

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宅間守の生い立ち【附属池田小事件】

2001年6月8日、大阪教育大学附属池田小学校に刃物を持った男(宅間守・当時37歳)が乱入。児童8人が死亡、教師を含む15人が重軽傷を負った。

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