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miken1110さん

サンシャイン60の建っている敷地は、いわくつきの場所!?

サンシャイン60はスガモプリズンと呼ばれていた巣鴨拘置所跡地に建てられています。

第二次世界大戦中には思想犯や反戦運動に関わった活動家達が収容され、ゾルゲ事件の主犯格であるリヒャルト・ゾルゲと尾崎秀実が処刑されました。

戦後、GHQに接収されて多くの戦犯が収容され、東条英機などA級戦犯が7名、BC級戦犯が53名の死刑が執行されています。

1960年代には拘置所一帯を公園とする計画が持ち上がり、敷地はトタン塀で囲まれました。そして、拘置所に纏わる幽霊話が出てきたのはこの頃からです。

ソ連軍のスパイ。
ゾルゲ事件の首謀者であり日本を震撼させたことでも有名。その後、処刑。

ソヒャルト・ゾルゲと出会いスパイ活動を始める。
ゾルゲ事件に連座し逮捕。処刑。

スガモプリズン公園計画

スガモプリズンの辺りを公園にする計画は昭和41年(1966)に決定しましたが、工事は10数年も延期になっていて、敷地はトタン塀に囲まれていました。延期の理由は、夜中、この辺りで人のうめき声や鳴き声が聞こえたり人魂(ひとだま)が飛びかったり、祟りの噂が絶えなかったために、公園化する工事を引き受ける業者が見つからなかった、ということだと言われています。昭和52年(1977)にようやくこの工事を引き受けおってくれた大阪の荒木造園の社長、荒木氏は、「工事中に機械でもなかなか掘れないような地層にぶつかったり、ぼろきれのようなものが大量に出てきたり不思議なことはいくつかありました」と語っています。そしてほかの関係者の言葉によると、「基礎工事のために地面を掘り起こそうとすると、うめき声みたいな声が聞こえてきた。気持ち悪がって、やめてしまった人も何人もいたぐらいだ」そうです。

建設後の不思議な出来事

新聞にも載った昭和54年(1979)8月3日の事件が取り上げられます。新聞記事によると、その日、サンシャインビル周辺は夜10時を過ぎても行きかう若者で大いに賑わっていました。近くのゲームセンターでクラスメートと3人連れで遊んでいた高校生は、サンシャインビルの裏手に回って、ふと空を見上げました。そこで見たものについて目撃者はこう語っています。「ちょうど、ビルの屋上からちょっと離れたあたりに、青白い火の玉がふわりと浮かんでいたんです。あっ、UFOだ、と僕が叫ぶと仲間も、どこだ、どこだ、と僕のさす方向を見上げた。よく見ると、火の玉は三個あることに気付きました。でも、少しすると、後からもう二個、同じような青白い光が、夜の空から浮きだすような感じで、ふわーっと現れたんです。3人みんなの目に見えたんですから錯覚ということはありません。」飛行機や飛行船のような物体ではない証拠に、火の玉はかなり低いところまで降りてきたそうです。手が届きそうな錯覚に襲われ、ふと手を飛ばすと、つぎの瞬間にスーッと空高くに舞い上がりました。

現在も自殺者の霊と思われる影が現れて、階段を駆け上って屋上から身投げしているという話があったり、昼間でも訪れるだけで寒気や嫌な感じがする方も居るそうな。

東池袋中央公園には・・・

一角には世界平和を祈った石碑があり綺麗に奉られている。噂としては、その石碑を写すと奇怪な物が写るらしいのだが、私が訪れたお昼過ぎ。また夜中での写真では奇怪な写真は撮れなかった。雰囲気は普通の公園と言う感じである。昼時には大学のサークルだろうか、沖縄民謡の練習や踊り、若者のスケートボード。ホームレス達の棲家が存在した。

サンシャイン60の60とは・・・

「サンシャイン60が60階建てである理由について、処刑された戦犯の人数と一致させたから」と言われ、つまりサンシャイン60の“60”という数字はスガモプリズンで処刑された戦犯を表しており、建物は戦犯の霊を鎮めるための墓標の役割をしていると云います~その基標として建てられたので、当時の日本一となる60階となったそうな(1階に記念碑があります)。

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