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【ホントに飛ぶの?】世界の変な航空機まとめ(第二次大戦編)

第二次世界大戦期(1930~1945)の変な飛行機まとめ。1930年中頃は500馬力程度のプロペラ機が主流であったが、1945年には2000馬力超のプロペラ機やジェット戦闘機が登場。そんな技術革新期には様々な試みがなされ、今見ると珍妙ないわゆる「変態機」もチラホラ。

更新日: 2019年01月14日

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holy777さん

日本

1943年秋に開発が開始された空挺戦車。一応、飛行機じゃなくて戦車。
当時のグライダーでは戦車の搭載が不可能だったため、空挺部隊の火力が不足していた。そこで、「グライダーに載せる」のでは無く「戦車をグライダーにする」という逆転の発想(?)で開発がスタート。
九八式軽戦車をベースに軽量化し翼を付け、離着陸用のソリを装備した。しかし戦況の悪化と制空権の喪失などにより開発は中止された。

日本海軍の特攻兵器。有人爆弾グライダー。
1944年夏に戦況の悪化を打破するための特攻用兵器として開発が始まった。機体前部に1.2tの爆弾と後部に加速用火薬ロケット(燃焼時間9秒)を3機積んでいる。爆撃機の腹に付けて敵艦隊の前で切り離し、搭乗員もろとも突っ込む計画だったが、多くが発射地点に着く前に爆撃機ごと撃墜されている。米軍からは「Baka-bomb(馬鹿爆弾)」と揶揄された。

アメリカ

飛行中の飛行船から発進するというアニメみたいな戦闘機。
飛行船からクレーンで降ろされ発進。任務完了後、再びクレーンに機体上部のフックを引っ掛けて収容した。
1930年ごろ実用化されたが、搭載母機であるメイコン号とアクロン号の両飛行船が事故で墜落してしまったため、F9Cが役に立つかどうか以前の問題だった。そもそも、実戦の機会があったとしても、緊急事態の際にF9Cを発進させたり収容したりする余裕はあったのだろうか。

空母搭載の双発機としてグラマン社が開発した戦闘機。1940年4月初飛行。
狭い空母内で運用するために機体サイズを小さくした結果、主翼が胴体より前にあるというヘンテコなデザインに。700km/h超を目指したが実際は600km/hがやっと。おまけに操縦席前にある主翼とエンジンによって着陸時の前方視界がほぼ皆無。狭い空母への着艦を目隠し状態でするはめに。他にも機体が小さすぎて2発のエンジンを動かす燃料を充分に積めないなど、作る前から分かりそうな問題が頻発、開発中止となった。

アメリカ軍では日本を空襲する爆撃機の護衛に、二人乗りの長距離戦闘機が早急に必要となっていた。そこで設計の手間を省くため、当時最強の一人乗り戦闘機だったP51ムスタングを二つ繋げて無理やり二人乗りにしたのがコレ。
こんな経緯で作られたのに性能は中々のものだった。大戦中に完成したものの、実戦には間に合わず。実際に作ってみると設計を変えなければならない所が多く、想定より時間がかかったらしい。
しかし朝鮮戦争では夜間戦闘機や長距離戦闘機として活躍し、米軍初のミグ15ジェット戦闘機撃墜を記録した。レシプロ戦闘機の無給油最長飛行記録を持つなど見かけとは裏腹に優れた機体であった。

空飛ぶパンケーキ。1944年から開発をスタートした当機は、さながらUFOの様なフォルムをしていた。円盤翼は大きい揚力を得られるため、短距離で離陸出来るメリットがあった。本機開発前に飛行した小型の円盤翼実証機V173は強い向かい風の時には空中停止さえ可能だった。
試作機は1945年8月に完成したがプロペラなど細々とした改修に手間取り、実際に試験を行えるようになったのは大戦後で、その頃にはジェット機の時代が到来していた。そのため、当機は一度も飛行することなくスクラップ処分されてしまった。
空中停止出来る円盤型飛行機とか、UFOの目撃情報はコイツの誤認だったのでは?とよくネタにされている。

億万長者のハワード・ヒューズが夢見た超巨大飛行艇。
全幅97.51m、全長66.65mという巨大さは、現代のジャンボジェットにも引けを取らなかった。3000馬力の高出力エンジンを8基装備したが、超巨大機のためこれでも馬力不足だったと言われる。
計画開始は戦中だがその巨大さ故に完成は1947年になった。ハワード・ヒューズ自身の手で初飛行したが、それが唯一の飛行となり、その後は博物館などで展示されている。
一説には初飛行時に機体が激しくきしみ、ヒューズ自身が機体に疑問を持ったことで計画が中止されたと言われる。

ドイツ

変な飛行機と言えばドイツ。そのドイツの中でも特に変なのがこのBv141。
1938年に初飛行。飛行機の常識を覆すまさかの左右非対称フォルム。軍が提示した「視界の良い偵察機」の要望に答えるため胴体ではなく右の翼に搭乗員用ゴンドラを設けた結果、この形に。無茶にも程がある。
しかし、こんな形して性能は良好だったらしい。そのため一時は採用になりかけたが、パイロット達から色々と文句が出たらしく結局ボツに。こんな飛行機乗って戦場なんか行きたくないという兵士の気持ちもよく分かる。

1930年当時の世界最大の旅客用飛行艇。
とにかく巨大なこの飛行機。中にはダイニングバーやラウンジ、喫煙スペースなど豪華客船並の設備が整えられていた。
この巨大で重い機体を飛ばすために、エンジンは翼の上に6列×前後2の合計12個も搭載された。しかし、それでも馬力不足で高度500m程度までしか飛ぶことが出来なかった。飛行中でも翼の中を移動でき、技術者が飛行中も付きっきりでエンジン調整を行なっていた。
全3機が作られたが、戦争などで失われ現存はしていない。

1936年完成、試作に終わった偵察爆撃機。
胴体内に12気筒エンジン2機を合体させた24気筒エンジンを搭載。長い軸を使って先端のプロペラを回した。操縦席はその延長軸の横に設置され、普通の飛行機のように突出していない。
2機のエンジンを合体させるという無茶が災いし、エンジン加熱が多発。操縦席も扱いづらいことからあえなくボツとなった。

ドイツが変な飛行機王国として認識されてしまった一因はアレクサンダー・リピッシュ博士という男にあるだろう。無尾翼機に執着し続けた彼の設計機の中でも特に変だったのがこのP.13aだ。パイロットが垂直尾翼の中で操縦するとか凡人には考えられません。
搭載しているラムジェットエンジンは低速度では動かないため、まずロケットに点火して高速域に到達させて飛ぶという計画だった。
テスト機は完成したが、実際に飛ぶ前に終戦を迎えた。

大戦末期のドイツの混乱具合が伺える機体。
起死回生を目指して様々なジェット機、ロケット機を計画したドイツだったが、その中にはこんなとんでも無い形のものまであった。
当然ペーパープランのみに終わったが、実機が出来たとしても操縦席が後ろ過ぎてパイロットは前が見えなかったであろうことは容易に想像出来る。

大戦末期にドイツで計画された飛行機には独創的な物が多いが、群を抜いているのがこのトリープフリューゲル。
地上待機時は画像左側のように尾翼部分で立ち、敵が来ると三本の翼の端に装備されたジェットエンジンの推力で翼がヘリのように回り、垂直に飛び立つ計画だった。
大戦末期に爆撃で飛行場がやられてしまっていたため、滑走路の要らない戦闘機というコンセプトだったらしい。しかし肝心の主翼が無いので水平飛行が出来たのかすら怪しい。結局計画のみでボツに。
ちなみに戦後アメリカでXFY1、XFV1という同じ方式の離着陸を行う飛行機(テールシッター機)が試作されたが不採用になっている。

トリープフリューゲルと同じコンセプトの機体。同様に計画のみ。
こちらは胴体中央にあるプロペラをターボプロップエンジンで回して飛ぶ予定だった。プロペラ周りの円環で覆いがされたカバーが特徴的。主翼もあるので水平飛行は出来たかもしれない。
しかしこの形だとパイロットは空を見ながら着陸しなければならず、コンピュータ無しの人力操縦ではいささか無理があっただろう。
ちなみに日本ではgoogle検索してもほとんど引っかからないぐらいマイナーな機体だったりする。

これも滑走路の要らない垂直離陸のために作られた戦闘機。
発射台に装着して後部のロケットに点火、垂直に飛んでいき、敵爆撃機に近づいたら頭部に搭載したロケット弾を発射するというもの。着陸装置は着いておらず、ロケットエンジンの短い燃焼時間が終わったあとは、パラシュートで降りるという乱暴なものだった。離陸時はとんでもないGがかかるらしく、テスト飛行ではパイロットが失神、墜落死している。
実戦参加は無かったが、後にこれを見た連合軍側には「有人対空砲」などと呼ばれたそうだ。

イギリス

「とにかく速くて機銃も沢山装備出来る戦闘機が欲しい!」とのユーザの希望に応えて出来たのがコレ。どうしてこうなった。
垂直尾翼部分が操縦席に。方向舵も無いし、多分飛行特性は全翼機に近いはず?戦闘機動なんてしようものならパイロットは激しく振られただろう。
イギリス軍はこの機体設計にかなり興味を持ったようだが、風洞試験結果は最悪でボツとなったようだ。

珍兵器大国イギリスの駄作戦闘機。
1937年初飛行。一般的な戦闘機が1人乗りで前方向に機銃を装備するのに対し、当機は4連装の動力銃塔付き戦闘機であった。この機体の問題点は以下の通り

・重い。とにかく重くて敵の機動について行けない。
・銃塔が戦闘中の機敏な動きについて行けない。
・前方向には銃が無いため敵に正面からやられ放題。
・銃塔が後ろを向いた状態では後部搭乗員は脱出不可能。
・銃塔が狭くてパラシュートを背負えない。

結果、すぐにお払い箱に。結果論でなくとも、コンセプトからして完全に間違っていた。

空軍と同じ過ちを犯した英海軍の二人乗り戦闘機。
欠点もデファイアントと一緒。加えてただでさえ速度の遅いデファイアント(480km/h)よりも更に鈍重な最高速度360km/h。もはや爆撃機にすら追いつけない。ヘタすると練習機よりも遅い。おまけに空母搭載機として作られながら、空母に着艦出来ないという欠陥まで。
水上機型も存在し、こちらは最高速度が311km/hと更に低下。おまけに安定不足で旋回角度に制限までついていた。
こんな戦闘機に当時の英海軍は多大な期待を寄せていたっていうのだから理解に苦しむ。

串刺し翼機といわれる形式をテストするためにイギリス軍はM.39という試作機を計画。その製造前の5/8縮小モデルとして作られたのがこのM.39Bだ。
普通の形式の飛行機が尾翼では揚力を発生しないのと違い、串刺し翼機は前後の翼それぞれが揚力を発生するため翼面積を小さくし、空気抵抗を減らせるメリットがあった。
しかし、テスト中に二度の事故を起こしたためM.39Bは計画中止となった。

空飛ぶオフロードカー。
空中投下可能なオフロードカーを必要とした軍の要請に応じてジープにプロペラを付けた機体。プロペラにエンジンは無く、航空機に曳航されることで前からの風を受けて回転、揚力を発生させるローターカイトという仕組みだった。
実験には成功したが、こんな回りくどいことをするより、グライダーに車を載せた方が早いことに気が付き計画中止に。

イタリア

出典wp.scn.ru

イタリア空軍の左右非対称機。
開発当初はアメリカのP38のような、二つのエンジンの間に操縦席のある戦闘機だったが、更なる空気抵抗の軽減を目指したてこのような形に。
しかし性能がイマイチだったらしく、テスト中にイタリアが降伏したため開発中止となった。

1932年カプロニ社で作られた実験機。
プロペラの周りを筒状の覆いで囲ったダクテッドファンという形式を採用しており、操縦席はその覆いの上に設けられている。筒自体に翼と同じ揚力を発生させる力があるため飛行機の方向を変えるのが困難なほど安定性が高く、60km/h程度でも飛ぶことが出来た。
結果的には空軍の興味は引かなかったが、この実験機で得られたデータはこの後のジェットエンジン機開発に活かされることとなった。

フランス

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