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三毛別羆事件とは【人食い熊】

三毛別羆事件とは、1915年(大正4年)12月9日 - 12月14日にかけて、北海道苫前郡苫前村(現:苫前町古丹別)三毛別(現:三渓)六線沢で発生した、日本史上最大規模の獣害(じゅうがい)事件。

更新日: 2016年04月15日

win-winさん

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三毛別羆事件

三毛別羆事件(さんけべつひぐまじけん、六線沢熊害事件(ろくせんさわゆうがいじけん)、苫前羆事件(とままえひぐまじけん)とも)とは、1915年(大正4年)12月9日 - 12月14日にかけて、北海道苫前郡苫前村(現:苫前町古丹別)三毛別(現:三渓)六線沢で発生した、日本史上最大規模の獣害(じゅうがい)事件。

羆(ヒグマ)が数度にわたり民家を襲い、開拓民7名が死亡、3名が重傷を負った。事件を受けて討伐隊が組織され、問題の熊が射殺されたことで事件は終息した。

三毛別羆事件復元現地に再現された巨羆の姿。手前のヘルメットと比較すると、その巨大さが推し量れる。

事件概要

事件の主人公となったヒグマは、推定7、8歳のオスで、体長2.7m、体重340kgもあり、前脚の手のひらが幅20cm、後脚のそれは30cmもあったといいます。日本の家屋の天井が、だいたい2.1m程度、かつてプロスポーツ選手で最重量を誇った小錦の現役時代の最高体重が285kgですから、これがどれほどの巨熊であったか、容易に想像がつくのではないでしょうか。皆さんの部屋の天井よりも高く、しかも、すもうとりのような巨体が目前に立ちはだかる姿を思い浮かべてみてください。

さらに、その運動能力も驚くべきもので、巨体にも関わらず、時速50km/hほどで走ることができるうえ、泳ぎも得意だそうです。かつて明治45年には、利尻島(利尻富士町)まで海を泳いで渡った熊が捕殺された記録が残っているほどです。前後の脚には鋭利で長い5本の鉤爪をもち、牛や馬を殴り倒すほどの腕力でこれを振り下ろします。また大きな犬歯は、捕食した動物の骨や木の根を噛み砕くほどの咀嚼力、咬力をもっています。聴覚や嗅覚にも優れ、人には分からないほど遠方の獲物や敵の気配を察知するといいます。

その日、午前10時半ごろ、苫前の開拓村に突如として一頭のヒグマが現れます。一般的に、野生のヒグマは11月中旬あたりから翌年の3月、4月あたりまで「冬ごもり」をするのですが、この空腹を抱えた若いオスグマは、一説には"穴持たず"(時機を逸して冬ごもりをしない)のゆえ、また一説には開拓による山林伐採の影響で(100k㎡ともいわれる)広範な行動圏が人里と重なったゆえ、餌を求めて開拓村に侵入しました。そして、とある家屋の窓辺に吊られたトウモロコシを食害した後、屋内にいた2人の人間を発見します。

すぐさまヒグマは、窓から家屋のなかへ躍りこむや、目の前の囲炉裏端にいた6歳の男児の頸部を一撃のもとにえぐり、即死させました。そして、続けざま傍らの主婦(34歳)に襲いかかりました。主婦は燃える薪やまさかりをもって死に物狂いで抵抗しましたが、寝室に追いつめられた末、撲殺されます。それからヒグマは主婦の衣服や頭髪をはぎ取ったうえ、身体の一部を捕食し、残りをくわえたまま、ふたたび侵入してきた窓から林の方へ去っていきました。
明けて10日、開拓民とマタギらで構成された捜索隊は、朝から新雪の林内で主婦の遺体の捜索を開始しますが、夕刻となってようやく発見されたのは、足袋と両膝下、頭髪をはがれた頭骨だけでした。

そして、その夜、犠牲となった2人の通夜が営まれますが、その席上、傷ましい遺体が安置された寝室の壁をぶち破り、ふたたびヒグマが開拓民を襲います。ヒグマは棺桶をひっくり返し、悲運な死を遂げた2人の遺体は、無残にも転げ、辺りに散らばります。参列者たちは色を失い、大騒動となりましたが、かれらの怒号と銃声とにひるんだのか、ヒグマは屋内から跳び出し、一目散に暗闇のなかに逃げ去りました。参列者一同、どうにか事なきを得たのです。

ところが、そのわずか十数分後、通夜の営まれた家から500m程離れた家を、同じヒグマが襲います。皮肉なことに、この家は、比較的に安全と言われており、わざわざ避難してきた他家の母子を含め、当夜は10人が集まっていました。今度もヒグマは、とつぜん窓から侵入しました。そして、囲炉裏にかけられた大鍋をひっくり返し火を消し、さらにランプをたたき落とし、室内を完全に暗闇と化した後、手始めにまず、当家の主婦(34歳)に襲いかかります。

主婦は1歳の男児を背負っていましたところ、ヒグマはこの男児の頭部に咬みつき、主婦にまつわりついた8歳の男児ともども、居間へ引きずります。そして、主婦に馬乗りになったかと思うと、顔面、頭部と咬みつきますが、あわやという時に、通夜が行われた家の寄宿人であった人物が玄関から戸外へ逃走しようとし、期せずしてヒグマの注意を引いてしまいます。ヒグマは主婦を残し、あっという間にこの寄宿人へ躍りかかりました。そして、かれの腰部、臀部から大腿部に咬みつき激しく傷害します。

傷害された寄宿人が、痛みのあまり絶叫しますと、かれを解放し、おもむろに今度は室内に残った人たちの方へ向かいます。ヒグマは、初めに当家の3歳男児を一撃で撲殺します。続けざまに、他家の3歳と6歳の男児を襲い、3歳男児は同様にただちに撲殺されました。そのとき、わが子の悲痛な叫びを聞いた他家の主婦(34歳)は、思わず隠れていた場所から姿を見せてしまいます。するとヒグマは、今度はその母親に向かっていったのです。

狙われたこの主婦は臨月を迎えていましたが、無残にも頑強な鉤爪にかけられ、室内中央に引きずられます。その後の光景は、世にもおぞましいものでした。物言わぬ獣に懸命に胎児の命ごいをする主婦を、ヒグマは意にも介さず傷害します。やがて彼女は失神してしまいますが、獣は悠然と腹を裂き、胎児をかき出しました。その後、ヒグマは意識のない主婦を、生きながらにして上半身から食べ始めます。

主婦を食い殺した後、これに飽き足らず、すでに撲殺した当家の3歳児の上半身、頭部を食べ、先に傷害された他家の6歳児を、やはり生きながらにして左股、臀部、胸部、肩部と食べ始めたのです。この少年は、やがて事態を察知して駆けつけた開拓民らによって救出されましたが、左大腿部から臀部の肉を食べられ、骨が露出するほどの重傷、というよりむしろ骨だけ残った状態だったそうです。そして、近所の家での介抱もむなしく、まもなく死亡しました。

以上、この夜のヒグマの襲撃によって、4名(胎児を含めますと5名)が死亡しました。また、最初に頭部を咬みつかれた1歳の男児は、2年8か月後に、この時の傷がもとでやはり死亡しますので、この襲撃に起因する死者は、都合6名ということになります。前夜の2名を加えますと、1頭のヒグマによって、8名が命を奪われたこととなります。この他、2名に重傷を負わせておりますので、被害者ということになりますと、10名になります。これが、世に言う"苫前三毛別事件"あるいは"三毛別羆事件"です。

最期

空が白むのを待ち対岸を調査した一行は、そこにヒグマの足跡と血痕を見つけた。銃弾を受けていれば動きが鈍るはずと、急ぎ討伐隊を差し向ける決定が下された。いち早く山に入ったのは、10日の深夜に話を聞きつけて三毛別に入った山本 兵吉(やまもと へいきち、当時50歳)だった。鬼鹿村温根に住む兵吉は、若い頃に鯖裂き包丁一本でヒグマを倒し「サバサキの兄」と異名を持つ人物で、軍帽と日露戦争の戦利品であるロシア製ライフルを手に数多くの獲物を仕留めた、天塩国でも評判が高いマタギだった。しかし、当時の兵吉は非常に悪名高い男であり、しょっちゅう深酒をしては喧嘩騒ぎを起こし、警察の世話になっていた粗暴な男であった。そのため、討伐隊の一員として兵吉に応援を依頼することは三毛別村・六線沢村兼任村長である大川 与三吉(おおかわ よさきち)のほぼ独断で決定されたという。
ヒグマはミズナラの木につかまり、体を休めていた。その意識はふもとを登る討伐隊に向けられ、風下から気配を殺して近づく兵吉の存在には全く気づいていない。20mほどまで近づいた兵吉はハルニレの樹に一旦身を隠し、銃を構えた。そして、銃声が響き、一発目の弾はヒグマの心臓近くを撃ちぬいた。兵吉は即座に次の弾を込め、間を置かずに素早く放たれた二発目は頭部を正確に射抜いた。12月14日午前10時、轟いた銃声に急ぎ駆けつけた討伐隊が見たものは、村を恐怖の底に叩き落したヒグマの屠られた姿だった。

ヒグマは重さ340kg、身の丈2.7mにも及ぶ、エゾヒグマとしては規格外の巨体を持つオスで[4]、ところどころ金毛が混ざる黒褐色の体躯には胸から背中にかけて「袈裟懸け」と呼ばれる白斑があった。推定7 – 8歳と見られ、体に比べ頭部が異様に大きいという特徴を持っていた。隊員たちは怒りや恨みを爆発させ、棒で殴る者、蹴りつけ踏みつける者など様々だった。やがて誰ともなく万歳を叫びだし、討伐隊200人の声がこだました。終わってみると12日からの三日間で投入された討伐隊員はのべ600人、アイヌ犬10頭以上、導入された鉄砲は60丁にのぼる未曾有の討伐劇であった。
ヒグマの死骸は人々が引きずって農道まで下ろされ、馬ぞりに積まれた。しかし馬が暴れて言うことを聞かず、仕方なく大人数でそりを引き始めた。すると、ほどなくして、にわかに空が曇り雪が降り始めた。事件発生からこの三日間は晴天が続いていたのだが、雪は激しい吹雪に変わり[2- 1]そりを引く一行を激しく打った。言い伝えによればクマを殺すと空が荒れるという。この天候急変を、村人たちは「熊風」と呼んで語り継いだ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%AF%9B%E5%88%A5%E7%BE%86%E4%BA%8B%E4%BB%B6

解剖

猛吹雪に、5kmの下り道を1時間半かけてヒグマの死骸は三毛別青年会館に運ばれた。その姿を前に、雨竜郡から来たアイヌの夫婦は、このヒグマが数日前に雨竜で女を食害した獣だと語り、証拠に腹から赤い肌着の切れ端が出ると言った。あるマタギは、旭川でやはり女を食ったヒグマならば肉色の脚絆が見つかると言った。山本兵吉は、このヒグマが天塩で飯場の女を食い殺し三人のマタギに追われていた奴に違いないと述べた。解剖が始まり胃を開くと、中から赤い布、肉色の脚絆、そして阿部マユが着用していたぶどう色の脚絆が絡んだ頭髪とともに見つかり、皆は悲しみを新たにした。犠牲者の供養のため肉は煮て食べられたが、硬くて筋が多く、味は良くなかったという。皮は板貼りされて乾燥させるため長い間さらされた。その後肝などとともに50円で売却されたが、この金は討伐隊から被害者に贈られた。この毛皮や、同じく残された頭蓋骨は後にすべて失われ、今に伝わっていない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%AF%9B%E5%88%A5%E7%BE%86%E4%BA%8B%E4%BB%B6

その後

頭部に傷を負いながらも気丈な姿を見せたヤヨは順調に回復したが、背負われたまま噛みつかれた明景梅吉は、その後遺症に苦しみつつ2年8ヶ月後に死亡した。この少年を含め事件の死者を8人とすることもある。同じ家でヒグマの襲撃から生還した明景勇次郎は事件の27年後に太平洋戦争で戦死した。オドも回復し翌春には仕事に戻ったが、帰宅時に川に転落して死亡した。ヒグマに受けた傷が影響したのかは定かではない。
事件は解決しても、村人に心理的恐怖を残した。村外を頼れる者は早々に六線沢を去ったが、多くはそのようなつてを持っていなかった。壊された家屋を修理し、荒らされた夜具や衣類の代わりに火に当たりながら、なんとか越冬した。しかし春になっても村人は気力を取り戻せず、太田三郎は家を焼き払って羽幌へ去った。その後、ひとりまたひとりと村を去り、下流の辻家を除いて最終的に集落は無人の地に帰した。
ヒグマを仕留めた山本兵吉はその後もマタギとして山野を駆け回り、1950年に92歳で亡くなった。彼の孫によると、生涯で倒したヒグマは300頭を超えるという。
三毛別村村長の息子・大川 春義(当時7歳)は、その後名うてのヒグマ撃ちとなった。これは、犠牲者ひとりにつき10頭のヒグマを仕留めるという誓いによるもので、62年をかけ102頭を数えたところで引退し、亡くなった村人を鎮魂する「熊害慰霊碑」を建立した。ちなみに、春義の息子・高義も同じくハンターであり、1980年には、父・春義も追跡していた体重500kgという大ヒグマ「北海太郎」を8年がかりの追跡の末に仕留めている。さらにその5年後には、他のハンターと2人で、体重350kgの熊「渓谷の次郎」も仕留めている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%AF%9B%E5%88%A5%E7%BE%86%E4%BA%8B%E4%BB%B6

被害者一覧

死者

阿部マユ (34)
太田家でクマに襲われ、連れ去られる。翌日遺体で発見される。

蓮見幹雄 (6)
太田家でクマに襲われる。発見時には既に死亡していた。

明景金蔵 (3)
明景家でクマに撲殺される。

斉藤春義 (3)
明景家でクマに撲殺される。

斉藤巌 (6)
明景家でクマに襲われ瀕死の重傷。その日のうちに死亡。

斉藤タケ (34)
明景家でクマに食われ死亡。

斉藤タケの胎児
明景家でタケの体内から引き摺り出される。発見時は息があったがしばらくして死亡。

重傷者

明景ヤヨ (34)

明景家でクマに齧られるが、クマがオドに気を取られたため一命を取り留める。

明景梅吉 (1)
明景家でクマに齧られるが、クマがオドに気を取られたため一命を取り留めるも、後に齧られた後遺症で死亡。

長松要吉(オド) (59)
明景家でクマに肉を抉られるが、クマが女子供に標的を変更したため一命を取り留める。

動画

事件の記録

報道
事件が新聞紙上で報道されたのは、12月13日付けの『北海タイムス』と『小樽新聞』が最も早く、『函館毎日新聞』が14日、『函館新聞』は19日になってやっと一報を掲載した。このような遅れは、通信手段が確立していない上に事件が山奥の小村だったことも災いした。ただし『北海タイムス』は13日から25日まで毎日記事を掲載し、情報が入らない日は過去の熊害事件を「熊物語り」と題して報じた。『小樽新聞』も断続的に1月28日まで事件記事を載せ、山本兵吉へのインタビューも行った。
しかし、この事件は人々の記憶から消える。それは、1878年1月11〜12日に起きた札幌丘珠事件の記録が詳細に残され、事件を起こしたヒグマの剥製(はくせい)が保存された上に明治天皇が観覧したことが広く報道され、これが熊害事件の代表として認知されたことが影響している。高倉新一郎も著作でこの事件を大きく取り上げる一方で、三毛別羆事件は補足的な採録に止まり、被災の詳細などにも間違いが見られる。


再調査
ノンフィクション作家の木村盛武は旭川・古丹別の営林署に農林技官として勤務していた1961年から事件を記録として残すべく、調査を開始した。すでに46年が経過し、しかもほとんど資料が残されていない中、木村は当時三毛別に住んでいた人々をたどり、入念な聞き取りを行った。多くの当事者はすでに世を去っており、また存命の人々も辛い過去をほじくり返す取材に協力的でない者も多かったが、足掛け4年の調査を経て、報告「獣害史最大の惨劇苫前羆事件」をまとめた。これは1980年に復刻され、さらに1994年には共同文化社から『慟哭の谷 The Devil's Valley』(ISBN 4905664896)として出版された。作家の吉村昭も事件を取材し、これを小説「羆嵐(TBSラジオでドラマ化もされた)」にまとめている。取材には木村盛武をはじめ、当時在郷した人々から事件のあらましを聞いている。なお、木村盛武の著書の一つで、1983年に出版された『エゾヒグマ百科』にも、この事件の経緯が記されている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%AF%9B%E5%88%A5%E7%BE%86%E4%BA%8B%E4%BB%B6

事件の分析

原因
事件は、冬眠に失敗したいわゆる「穴持たず」が、空腹に凶暴性を増し引き起こした例と思われていた。しかしその後同じケースの事件は発生しておらず、近年ではこの説には多くの疑問が呈されている。むしろ江戸時代後期から続く、鰊粕(ニシンを茹でてから油を搾り出し、搾り滓を乾燥・醗酵させたもの。高級な肥料として珍重されていた)製造用に薪を得るための森林伐採と明治以降の内陸部開拓が相まって、野生動物と人間の活動範囲が重なった結果が引き起こした事件とも言及されている。


教訓
この事件を記録した木村盛武は、なぜこれほどの大惨事となったのか分析している。最初に出没した際に手負いのままヒグマを撃ちもらしたことや、一般の農民が用いることなどまずない銃の手入れ不足が招いた不発の連続なども要因ではあるが、ここではヒグマの行動について特に言及する。


火を恐れない
事件発生後、村民は火を焚いてヒグマを避けようとしており、明景家に避難した人々[8]や分教場に退避する際にたくさんの焚火が燃やされたことを記している。これらの行動は一般に言われる「野生動物は火を怖がる」という風説を信じたものだが、実際は太田・明景両家の襲撃に見られるように、ヒグマは灯火や焚火などに拒否反応を示すことはない。



執着心が強い
事件はこの定説を裏付けている。トウモロコシを何度も狙っている点や、以前に複数の女を食い殺したヒグマが三毛別でも女の衣類などに異常な執着を示している点からも確認できる。また、阿部マユを食害した際に食べ残しを雪に隠したこと、太田家に何度も出没したことなども同じヒグマの特性による。その一方で馬への被害は皆無だった。


逃げるものを追う
明景ヤヨらが九死に一生を得た理由は、ヒグマが逃げるオドに気を取られたためである。このように、たとえ捕食中であってもヒグマは逃避するものを反射的に追ってしまう傾向にある。


死んだふりは無意味
明景家の惨劇において、気絶し無防備に横たわる明景ヒサノと、結果的には助からなかったが胎児はヒグマに攻撃されなかった。これは、ヒグマが動かないものを襲わないというわけではなく、その時にただ単に他に食べ物があっただけと考えられる。


一度人間の味を覚えた個体は危険
一般に熊は人を恐れ、人を襲うのは突然人間と出会いその恐怖心からと言われている。それを防ぐためには鈴などを鳴らして人間の存在を事前に知らせ鉢合わせする機会を減らせばよいとされる。だが、人間の無力さと人肉の味を知った熊の個体は人間を獲物と認識するようになる。その場合、鈴の音などを鳴らすと獲物の存在を知らせる事になり、かえって危険である。
なお、「火を恐れない」「執着心が強い」「動くものを追う」などの習性は、後年発生した「石狩沼田幌新事件」「福岡大学ワンダーフォーゲル同好会羆襲撃事件」の加害ヒグマの行動としても確認されている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%AF%9B%E5%88%A5%E7%BE%86%E4%BA%8B%E4%BB%B6

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