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本当に実力・実績がある日本の登山家達(存命人物のみ)

マスコミ受けのいい「七大陸最高峰」を売りにする「登山タレント」しか知らない人のために。

更新日: 2017年05月05日

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Truvativ1さん

東海大学在学時にK2登頂の世界最年少記録を更新。ボンベの酸素が尽き8200m地点でビバークしながらも無事に生還した。

その後もアルパインクライマーとして活躍し、2012年にはキャシャール南ピラーで落石の直撃を受け負傷しながらも初登攀に成功。ピオレドール賞を受賞した。

夏場は富士山の山小屋「太子館」でガイドを務める。

出典pub.ne.jp

登攀クラブ蒼氷、イエティ同人隊のエース
「キラーマウンテン」として知られるアンナプルナ最難関の南壁を新ルートを開拓して登頂。 
7000m峰でもナムチャバルワ合同登山隊の日本隊員として初登頂した。
日テレの開局記念特番「チョモランマがそこにある」ではネパール側BCの撮影隊員を務めた。

40歳を期に先鋭登山からは引退を表明している。
奥さんは津軽三味線の二代目高橋竹山。

アンナプルナ 南壁セントラルピラー 初登頂
プモ・リ 東壁新ルート 初登頂
ナムチャバルワ 初登頂

未踏の岩壁、ヒマラヤ8000m峰の両方で実績を持つアルパインクライマー。 2009年には平出和也氏と共に日本人初のピオレドール賞受賞。 

カランカ北壁初登攀
スパンティーク・ゴールデンピラー(北西壁)第三登
8000m峰6座に登頂(うち5座が無酸素登頂)。
ローツェ無酸素登頂は日本人初。

富士山太子館のガイドさん。
http://amanokazu.blog135.fc2.com/

山スキーと岩壁登攀の大御所で現在も続く同人組織「イエティ」の創設者。ヒマラヤ鉄の時代にバリエーションルート攻略に情熱を注ぎ、1978年には難関ルート、ダウラギリのサウスピラーを攻略した。

文部省の公認講師や旅行社のガイドを務めた後沖縄県宜野座村に移住。

イエティ同人隊のエベレスト遠征に参加。 過酷な無酸素登頂でメンバーの吉野・禿は帰還できずに遭難死してしまったが、彼一人がクレバスに逃げ込み強風から身を守ったことでデスゾーンのビバークを耐え抜き生還した。登攀クラブ蒼氷にも参加。

現在山岳ガイドグループ、イエティを主宰。代表を務める。


エベレスト 無酸素登頂
ナンガ・パンバット アルパインスタイル
ガッシャーブルムⅠ峰・Ⅱ峰  無酸素登頂

http://www.agg-yeti.com/index.html

国内で登った山の殆どがバリエーションルートというゴリゴリのアルパインクライマー。

ナンガ・パルバットで日本人女性初の8000m峰無酸素登頂を達成したのを皮切りに4座に無酸素登頂。 チョー・オユーでは山野井妙子とともにロレタン・クルティカ・トロワイエが開拓した南西壁ルートの第二登という世界トップクラスの成果を上げた。

90年代から高所登山からビッグウォール、フリークライミングに軸足を移し、現在でも第一線で活躍中。

8000m峰4座登頂(全て無酸素)
2007年アジア選手権7位
2010年千葉国体リード競技優勝

http://yukajira.com/index.htm

近藤謙司とともに冬季エベレスト北壁最高到達記録を持つ。
マッキンリーには気象観測のためなんと20回以上登頂している。
ドラえもんに登場する「サバイバマン」、椎名誠の「ハーケンと夏みかん」に登場する「大蔵タワシ髭」とはこの人。

ダウラギリ三山縦走
白頭山 鴨緑江ルート冬季初登
8000m峰には3峰に計7回登頂。

早稲田大学山岳部出身
TV朝日入社後K2西稜初登攀を成功させ「辺境ディレクター」としてその名を知らしめた。
植村直己が遭難した際に捜索を行い、4900m地点の雪洞を発見している。

現在はNPO法人アースワークソサエティ代表

ラカポシ北稜 初登頂
K2西稜 初登頂
クーラカンリ 初登頂

山岳ガイド 国立登山研修所講師

日本山岳会青年部の精鋭として数多くの海外遠征に参加。
カンチェンジュンガからの下山中に左手足のほとんどの指を失う凍傷を負うが、翌年には早くも復帰しチョー・オユーに登頂。2005年には加藤慶信との個人隊でエベレストにも登頂した。

山野井夫妻がギャチュンカンで重傷を追った際には帰国まで介助するなど侠気にあふれた人物。
イッテQ登山部でイモトのヒマラヤ挑戦をサポートしマナスルにも登頂。

日本山岳協会理事長
スポニチ登山学校校長

17回の海外遠征を一度も重傷を負わずにやり遂げ、「事故と弁当は自分持ち」「遭難の99%は自分の責任」と戒める登山界の大御所。

8000m峰5座
7000m峰6座(うち未踏峰5座)
6000m峰4座に登頂

「登れるドクター」として重広恒夫とともにカンチェンジュンガ縦走やK2遠征に参加。大量の人員を必要とする大規模遠征ではポーターの健康診断も行い縁の下の力持ちとして隊を支えた。

8000m峰では登頂を逃し続けていたが、1985年にマッシャーブルムの未踏ルートである北西壁を攻略し見事登頂に成功、勢いに乗りブロードピークにも連続登頂した。

現在は帯広にある関西病院で麻酔科医を務める。

マッシャーブルム 北西壁初登頂
ブロードピーク アルパインスタイル 登頂

氷壁にステップを切りアイスハーケンを打ち込むそれまでのスタイルから、ピッケルを交互に打ち込み荷重をかけて支持・登攀する「ピオレ・トラクション」の技術を導入。 国内の絶望的な難易度の氷壁を次々に攻略した。

国内最高難度とされる谷川岳一ノ倉沢烏帽子沢奥壁大氷柱の初登は「日本におけるピオレ・トラクション技術の集大成」とまで言われている。

現在アルパインクライミングスクールの代表。

一ノ倉沢滝沢ルンゼ状スラブ冬季単独初登
一ノ倉沢烏帽子沢奥壁大氷柱初登
唐沢岳幕岩S字状ルート冬季初登
黒部丸山大チムニー冬季初登

http://katsuno.cside.com/

日本プロガイド協会会長

ウリナリのマッターホルン登頂部、イモトアヤコのアコンカグア挑戦のコーチとしてもおなじみ。ガイドとしてエベレスト、マナスルで顧客を登頂に導いている。
8000m峰3座
7000m級未踏峰にも登頂。

http://www.kadoya-guide.com/

山学同士会のエース
エベレスト、K2、カンチェンジュンガと8000m峰の上位三峰を全て無酸素登頂を成し遂げた80年代国内最強登山家の一人。

隊長として川村を引っ張った小西政継は「身長163cm、現代では標準以下の小さな男だが、裸になるとまさにヘラクレス並み。」
ジャヌー北壁で隊を共にした小川信之は「俺の登れないところをスルスル登るから頭にくるのよ」と評した。8000m地点でタバコを喫っていたというとんでもない噂がささやかれている。

ジャヌー(クンバカルナ)北壁初登頂
エベレスト無酸素登頂(日本人初)
K2北稜無酸素登頂
カンチェンジュンガ北壁無酸素登頂

小西浩文、戸高雅史とともに少人数速攻スタイルで数々の8000mを制覇。 
ナンガ・パルバットでは出発直前にチームメイトが病気のために断念、本人も肝炎、山頂には帯電した雷雲という最悪の状態ながらシェルパなしの個人隊で登頂するという凄まじい逸話も。

現在もガイドとして8000m峰に登山客を導いている。

8000m峰6座登頂(うち4座に無酸素登頂)
パサム・ラム・チュリー(チョー・アウィ)峰初登頂

未踏の大岩壁を狙うビッグウォールクライマーで日本のフリークライミング草創期から活躍する大ベテラン。
植村直己物語の撮影中に自力下山が不能になったカメラマンを救出に向かい重度の凍傷を負うが、その後も第一線で登攀を続ける鉄人。

ギアナ高地・エンゼルフォール左壁初登攀
マッキンリー南壁アメリカンダイレクト第二登
グレートトランゴタワー北東ピラー第二登
トランゴ・ネームレスタワー初登頂
パチュムハム峰初登頂
ギャンゾン・カン南壁初登頂
ミルネ島オルカ初登頂
http://www10.plala.or.jp/s-kimoto/

山岳ガイド
先鋭登攀家集団、登攀クラブ蒼氷に参加。
現在は七大陸最高峰の登頂をサポートする最強ガイド
エベレストは村口カメラマンを越え9回登頂と日本最多。
セブンサミットの登頂回数は全山あわせて30回以上。
某「単独無酸素」登山家のビンソン・マッシーフ遠征時に同行している。
三浦雄一郎の3度目のエベレスト遠征にも参加し自らも登頂。世界最高齢での登頂の戦略を担い、大きな力を果たした。

http://www.hiro-kuraoka.com/

アラスカの冬季単独登山がライフワーク
世界で4人目のマッキンリー冬季単独登頂
世界初のフォレイカー冬期単独登頂
残るハンターは7回全て悪天候により敗退を余儀なくされ、「10年がかりの挑戦だと思っていたが、15年かかりそう」と難しさを語る。

ちなみにアメリカ合衆国内務省国立公園局のデナリ国立公園内登山規則の日本語翻訳はこの人の手による。

http://www.oct-net.ne.jp/~w-hasama/masatosi/title.htm

プロ登山家

元祖無酸素男
少人数セミ・アルパインスタイルによる速攻登山が身上
TVや映画の山岳アドバイザーとして信頼が厚い。
旧ソ連スノーレオパルド賞受賞

8000m峰6座に無酸素登頂
カンチェンジュンガは8400mまで無酸素で到達
エベレストは7900mまで無酸素で到達
http://musanso.com/

勤労者山岳連盟海外委員

8000m峰の初登頂は50才と遅咲きながら9座に登頂。8000m峰無酸素登頂の国内最高齢記録を持っている。

著書に「ヤマケイ登山学校 10 冬山」(山と渓谷社)、「山と高原地図 谷川岳 苗場山・武尊山」(昭文社)

国際山岳ガイド

アドベンチャーガイズ代表としてセブンサミットをはじめとしたアマチュア登山家の登山をサポート。
エベレスト登頂回数は倉岡裕之に次ぐ8回。
2013年にはエベレスト・ローツェの連続登頂のサポートという大役を果たした。

チョモランマ北壁冬季到達地点最高記録を持つ。
愛称けんけん
http://blog.goo.ne.jp/kenken8848

中央アルプスの初代ガイド組合長である堺澤虎一翁の一番弟子として1952年からガイドを続ける大ベテラン。

ギャチュン・カンを初登頂
ニュージーランドの11峰に日本人初登
チベット・キズ峰 初登頂
宝剣岳冬季中央ルンゼ 初登
2006年には68歳の高齢で高森不動滝の氷壁の初登に成功した。

現在も伊那谷地区のガイドのまとめ役として中央アルプスの環境保全に力を注いでいる。

木曽駒ケ岳の麓にある物産店「駒ヶ根ファームス」でギャチュン・カン登頂時の装備を見ることができる。

http://komaguide.blog72.fc2.com/

山学同志会精鋭中の精鋭。
K2北陵ルートでは第一次アタック隊として登頂。世界で初めて中国側からの登頂を無酸素で達成した。 

現在はクライミングギア輸入代理店ロストアローの代表。

カンチェンジュンガ北西壁 無酸素登頂
K2   北稜ルート初登頂
ジャヌー北壁 初登頂

日本トレッキング協会常任理事

70~80年代の全盛期には大企業に勤務しながら未踏峰・未踏ルートの開拓に情熱を燃やした。 初登攀したエベレスト北壁下部の岩溝帯には「ジャパニーズ・クーロワール」と名付けられその偉業が残る。
初登頂に成功したラトックⅠ峰はその後挑んだ登山隊は全て敗退し30年以上経過した現在も未だに第二登がなされていない。

強力なリーダーシップを発揮する隊長としても定評があり、山岳関係者の間では「重廣システム」「重廣イズム」などという言葉も定着している。

K2世界第二登
エベレスト北壁初登頂
マッシャーブルム北西壁初登頂
ラトックⅠ峰初登頂

山岳ガイド 

山学同士会のエースとして川村晴一と共に日本人初のエベレスト無酸素登頂。
60歳になる現在もクライミングの指導に当たっている。

著書に『立山・剣岳を歩く』『穂高連峰を歩く』『海外登山―氷河をたどって高峰の頂へ』など。

ジャヌー北壁 初登頂
カンチェンジュンガ北壁 初登頂
エベレスト 日本人初無酸素登頂


http://www5d.biglobe.ne.jp/~shomi/

高校教師(地理)

明治大学山岳部「炉辺会」で8000m峰全14座を制覇する「ドリーム・プロジェクト」の最後の1峰となるアンナプルナⅠ峰の登頂を締めくくった。

炉辺会では三谷統一郎と並び8000m峰6座に登頂している。

http://aqblog.blog.ocn.ne.jp/climbon/

八海山醸造アンテナショップ 「千年こうじや」の店長

東京農大山岳部の最強エース
アルパインスタイル偏重に異を唱え、育成システムとして極地法の意義を認める。
常に「皆で登頂」することを目指す姿勢から「谷川さんと一緒なら登りたい」と慕う人間は多い。
山野井夫妻がギャチュンカンで一時行方不明になった際には救助隊隊長として名前が挙がった。

8000m峰8座に登頂

山ガールの元祖にして女性世界初のエベレスト登頂

登山の技術云々よりも「女が山登りなんて」という時代に資金の工面、遠征隊の編成などを行い成功にこぎつけた執念がすごい。 なお、当時の酸素ボンベは7kg前後と現在のものよりも倍近く重かった。

 ハン・テングリの遠征の際には「それまでずっと天気が悪かったのに田部井さんがBC入りしたとたん天候が回復した」という逸話を持つなどいろいろと「持ってる」人。

エベレスト 女性初登頂
シシャパンマ 日本人初登頂
シヴァ峰 初登頂

http://www.junko-tabei.jp/
注・2016年10月に癌のため永眠されました

山岳カメラマン 国際山岳ガイド スキーガイド
 ヒマラヤン・エクスペリエンスの公認ガイドとして8000m峰登山でアマチュアの登山者の登頂をサポート。 エベレスト、マナスル、チョー・オユーの3座に計9回登頂している。
現在はスイス・ツエルマット在住で自らが代表を務める旅行会社の代表としてヨーロッパアルプスのガイドも行っている。

http://www.active-mountain.com/jp/

ヨーロッパアルプスの岩壁登攀を皮切りに世界各国の岩壁・氷壁を攻略した登攀の達人。 1996年には魔の山ウルタール・サール遠征隊の登攀隊長として全員登頂の原動力となった。 現在は高所作業の専門会社の社長を務めながらロープレスキュー協会の会長・講師として大車輪の活躍。

ブレッチェール西壁 新ルート
ドロワット北壁 直登ルート冬季単独初登
ディラン 北稜 初登
ウルタール・サールⅡ 第二登 南稜初登

http://rescue.cliff.jp/

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