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【奇人の天才】 南方熊楠(みなかた くまぐす)のエピソードがすごい

数々の逸話を残す博物学者、生物学者(特に菌類学)、民俗学者 南方熊楠についてまとめました。この人、すごいです。

更新日: 2016年12月29日

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musinoneさん

【奇人の天才】 南方熊楠

博物学者、生物学者(特に菌類学)、民俗学者
1867年5月18日 - 1941年12月29日

「歩く百科事典」と呼ばれ、
彼の言動や性格が奇抜で人並み外れたものであるため、
後世に数々の逸話を残している

神童と呼ばれた少年時代

子供の頃から驚異的な記憶力を持つ神童だったという彼は、常軌を逸した読書家でもあり、蔵書の豊富な家で100冊を越える本を見せてもらい、それを家に帰って記憶から書写するという特殊な能力をもっていたのだとか

熊楠の生涯はこのように博物学者としての天性の素質を一筋に引き伸ばす道に外ならなかった。15歳頃にはすでに、この方面では普通の大人も及ぶことのできない博識家に成っていた

学校は嫌い(勉強は好き)

学校では問題児で、面白くない授業を抜け出して昆虫や植物の採集に没頭し、野山を歩き回って2~3日家に帰らないことも多く、そんな熊楠少年のことを周囲の人々は天狗(てんぎゃん)と呼んでいました

経歴も普通の学者らしからぬもの。
大学予備門(現在の東京大学の前身)に入りますが
落第して退学してしまいます

20歳で入学したミシガン州の農学校ではレベルの低さに失望し、授業が面白くない日々の中で学友とウイスキーを飲み、泥酔して寄宿舎の廊下で爆睡しているところを校長に見つかって放校処分となります

破天荒な学者人生

○○大教授、とか、△△研究所主任研究員
とかの肩書きナシ。
まるっきりのフリーの研究者でありました。
勤め人ですらなかったのです

生涯定職に就かなかったためにろくに収入が無く、父の遺産や造り酒屋として成功していた
弟・常楠の援助に頼りっきりだった

キューバ採集旅行中に資金が尽き、ハイチ、ベネズエラ、ジャマイカなどを2か月あまりサーカス団の一員となって生活した

勤務先の大英博物館内でも英国人を殴りつけるなどの暴力事件を起こし、1900年(明治33年)同博物館への出入り禁止処分を受けました

当時、東洋人にはかなり厳しい差別があったことも
きっかけとなったようでです。

それでも、認める人はいた

しかも、なかなかすごい面々。

ロンドンでは中国革命の父・孫文と出会い、たちまち意気投合し議論を交わす

熊楠死後いちはやくその功績を認め、全集の計画をしたのは柳田国男だった

昭和天皇は33年ぶりに和歌山を訪れ、神島を見てこう詠んだ「雨にけふる神島を見て 紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」

昭和天皇が田辺湾沖合いの神島(かしま)に訪問した際、
熊楠は粘菌や海中生物についての御前講義を行ない、最後に粘菌標本を天皇に献上した。
と、ここまで普通ですが標本を入れた箱がキャラメルの箱だったいうから熊楠の奇才っぷりが
伝わります

桁外れな語学力

小さい時から記憶力に優れた南方熊楠は、アメリカへ行ったころから様々な外国語を習得し、やがて18カ国に通じるとまで言われるようになった

語学習得の極意は「対訳本に目を通す、それから酒場に出向き周囲の会話から繰り返し出てくる言葉を覚える」の2つだけであった

生物学者としての高い評価

博物学者としては、陰花植物、つまり藻類・菌類などですが、特に粘菌という動物とも植物ともつかない 生物に力を注いだことで知られています

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