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【魂の言葉】宮沢賢治「雨ニモマケズ風ニモマケズ」の続きを知っていますか?

「雨にも負けず風にも負けず」のフレーズが有名な宮沢賢治の詩。この続きを知らない方はもったいないです。あまりにも素晴らしい内容に胸がふるえます。大人はもちろん、子ども達にも是非読んでもらいたいです。

更新日: 2013年04月22日

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rinarina181さん

原文は漢字とカタカナですが、読みやすく現代風に漢字とひらがなにしたものを読んでみましょう。

「雨ニモマケズ」

雨にも負けず 風にも負けず

雪にも夏の暑さにも負けぬ 丈夫なからだをもち

一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを自分を勘定に入れずに 

よく見聞きし分かりそして忘れず

野原の松の林の陰の小さな萱ぶきの小屋にいて

東に病気の子供あれば行って看病してやり

西に疲れた母あれば行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば行ってこわがらなくてもいいといい

北に喧嘩や訴訟があればつまらないからやめろといい

日照りの時は涙を流し 寒さの夏はおろおろ歩き

みんなにでくのぼーと呼ばれ

褒められもせず苦にもされず

そういうものにわたしはなりたい

詩のモデルとされる斉藤宗次郎

斉藤宗次郎は、岩手県の花巻に1887年に禅宗の寺の三男として生まれました。彼は、小学校の教師になりますが、内村鑑三の影響を受けて聖書を読むようになり、洗礼を受けてクリスチャンになりました。しかし、それからが大きな戦いのはじまりでした。

当時は、キリスト教は、「ヤソ教」「国賊」と呼ばれていました。彼は洗礼を受けた時から迫害を受けるようになり、石を投げられ、親にも勘当され、小学校の教師を辞めさせられてしまいました。

それだけではありません。迫害の手は、家族にまで及んできました。近所で火事が起きたとき、全然、関係がないのに、嫌がらせで、放水され、家を壊されたことがありました。何度もガラスを割られることもありました。

そして、さらにひどい迫害が起こりました。9歳になる長女の愛子ちゃんが「ヤソの子供」と言われてお腹を蹴られ、腹膜炎を起こして亡くなってしまったのです。

宗次郎はそのような苦しみの中で、神様に祈りました。そして、彼は「御心がなりますように」とくじけることなく神様を信じ、神様に従い続けたのです。普通なら、迫害のない違う土地へ移るところですが、宗次郎は、むしろ、その土地の人々に神様の愛を持って仕えることを選びました。

牛乳配達と新聞配達のため一日40キロの配達の道のりを走りながら迫害する人々にキリストを宣べ伝えました。10メートル走っては神様に祈り、10メートル歩いては神様に感謝をささげた話しはあまりにも有名です。

彼は雨の日も、風の日も、雪の日も休むことなく町の人達のために祈り、働き続けました。彼は「でくのぼう」と言われながらも最後まで愛を貫き通したのです。そして、1926年に彼は内村鑑三に招かれて、花巻を去って東京に引っ越すことになりました。

 花巻の地を離れる日、誰も見送りには来てくれないだろうと思って駅に行くと、そこには、町長をはじめ、町の有力者、学校の教師、生徒、神主、僧侶、一般人や物乞いにいたるまで、身動きがとれないほど集まり、駅長は、停車時間を延長し、汽車がプラットホームを離れるまで徐行させるという配慮をしたというのです。実はその群衆の中に若き日の宮沢賢治もいたのです。

「本当の愛」の実践者 宮沢賢治

賢治は、生き物はみな兄弟であり、生き物全体の幸せを求めなければ、個人のほんとうの幸福もありえないと考えていた。

賢治は短い生涯の間、貧しい農村の生活を改善することに役立ちたいという情熱を持ち続けた。

賢治の物語では、人と動物や植物、風や雲や光、星や太陽といった森羅万象が語りあったり、交感しあったりする

賢治のたくさんの作品群から、自然に対する近代の人間の傲慢さ知り、人と生き物と地球と宇宙の関係を捉え直す、新たなコスモロジーへの方向づけを、読者は読みとることができるだろう。

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