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現役作家 橋本紡さんのプロを辞める理由がTwitterで話題に

前代未聞!現役作家が突然Twitterで引退を示唆。深い話です。

更新日: 2013年04月22日

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kazaf01さん

さて、ちょっとだけ面倒な話をしよう。こんなことを、こんなふうに書くのは、作家としての僕にとって、なんのメリットもない。けれど、SNSなどのツールが発達した現在において、ようやく可能になったことを、試してみたいとも思うのだ。さて、本題に行こう。

僕は書くのをやめるかもしれない。作家をやめる。廃業する。つまり、そういうことだ。

本来、こういうのは担当してしてくれてる編集さんにまず、伝えるべきことだ。彼女たちは……女性ばかりなのでこう書くけれど……僕に期待してくれてるし、とてもよくしてくれる。それは本当に、本当にありがたいことなのだ。ゆえに、自らの思いを最初に話すとしたら、彼女たちであるべきだ。

ただ、これはとても勇気のいることだし、実際のところ、わざわざ表明すべきことでもない。ひっそりと消えていく作家なんていくらでもいる。また、数年に一冊しか出さない人もね(できれば、そういうポジションに落ち着くことができればと願っているのだけれど、よくわからない)。

作家がSNSで引退を表明するなんて(いや、まあ、決まったわけじゃないけど)、滅多にないことだと思います。おもしろ半分、からかい半分でもかまわないので、いわゆる「拡散」をしてもらってOKです。率直に思いを綴るので、多くの人に読んでもらおうではありませんか。

実のところ、いつかは書けなくなるだろうなと思っていました。作家というのは、崖にかかった丸太橋を、何度も何度も渡るような仕事です。長い作品を書くたび、僕たちは丸太橋を渡ります。丸太橋は細く、でこぼこで、大半の人は渡りきれません。落ちてしまいます。

大半の人は、丸太橋を渡ろうとはしません。なぜって、百人が足をかけたら、そのうち九十九人は落ちると知っているからです。まっとうな感覚を持っている人は近づくことさえ避けるでしょう。けれど、作家という愚かな生き物は、なにも考えず、次々に橋を渡ろうとします。

落ちることなんて考えていません。僕たちはそれほど、賢明ではないのです。ただ愚かなのです。だからまあ、こういう文章をいきなり、こんな時間に書いてしまうわけですが。

僕は生まれたころから体が弱く、医者には長く生きられないだろうと言われていました。父と母はとても苦労したそうです。物心ついたころには、だいぶ丈夫になったけれど、それでも長期入院の繰り返しでした。病院の天井を眺める僕のそばには、いつも死に神が立っていました。

彼は決して、僕をむりやり捕まえようとはしません。ただ待っているのです。いつか僕自身が諦める瞬間が来るのを。彼に向かって、自らの手を、僕は伸ばすのでしょう。

そんな僕がここまで生きてこられたのは、奇跡みたいなものです。好きな子と結婚し、本を出し、ふたりの子供も得られた。自らの歩みを振り返ったとき、怖くなることがあります。さっき書いた丸太橋が思い浮かびます。僕は何度も何度も、それらを渡ってきたのだと。

僕がいろいろなものを得られたのは、たぶんに偶然もありますが(人はそれを幸運と呼びます)、おそらく僕自身の意志……いや、率直に書きましょう……怒りゆえです。世界に対する怒り。自分に対する怒り。父母に対する怒り。親族に対する怒り。怒りこそが、僕を先に進めるガソリンでした。

世界なんて滅びてしまえ。怒りながら、呪いながら、僕は自らを支えてきました。もしこの感情がなければ、僕はとうに、駄目な人間になっていたはずです。こうして振り返ってみると、怒りこそが僕の宝だったのかもしれません。まったく皮肉な話ですが。

時々、東京に出てきたころのことを思いだします。吉原に迷い込んだ僕は、体を売る女の子たちの世話になり、そのころは合法だった薬物に手を出しました。当時の仲間たちがもまた、怒りを抱えていたように思います。彼らのほとんどは、最初から決まっていた場所にたどり着きました。

死、廃人。選択肢はふたつです。実に簡単なことです。そう、簡単に彼らは死に、簡単に彼らは廃人となりました。

僕だけが生き残った。なぜなのかわかりません。同じように酒を飲み、同じように薬を飲んだ。時には、厄介な世界の人たちと揉めごとを起こした。あれもまた、丸太橋を渡る行為だったのでしょう。僕はなぜか、渡りきってしまった。

生き残ってしまった罪悪感を、僕は今も抱えています。救急車に乗ったあと、もう会うこともなく消えていった女の子。殴られ、道ばたに倒れていた男の子。たった四百万で売られていった女の子。彼らと僕に、違いはなにもなかった。

とにかく僕は丸太橋を渡りきり、やがてひとりの女の子と出会いました。とても若く、なにも知らなかった。僕はそれまで、誰も好きになったことがありません。人に対し、愛情を抱いたことはなかった。いや、世界そのもの、と言っていいかもしれません。

初めて、僕は誰かを好きになりました。彼女を幸せにしたいと思った。そして、僕にできることは、小説を書くことしかなかった。何度も話していることですが、僕が作家になったのは、新人賞の賞金が目当てでした。彼女と暮らす部屋の、敷金礼金を得るために、お金が必要だったのです。

猫さんにごはんをあげてきました。お腹が減ったとうるさいので。僕の顔をつつくのです。ほんのちょっとだけ爪を出して。まったく、もう。人生をかけた告白なのにな。編集さんとかに、あとで怒られるのにな(激怒する人もいるでしょう)。

まあ、でも、そういうのはすばらしいことです。どんなに深刻なことを考え、話し、書いていても、お腹が減った猫に突かれる。まったくもって、すばらしいことです。

連中には、いつもより多く、ごはんをあげてきました。

話を戻しましょう。怒りを抱えた僕は、ようやく愛を知りました。恥ずかしいね。愛なんて書くのは。でもまあ、その言葉が適当なんでしょう。彼女と暮らすため、作家になった。お金のためです。実のところ、作家のことは軽蔑してました。

いい加減な生活をしていたころ、編集をやってる友人がいました。彼に呼び出され、パートタイムの編集、ライターをやっていたことがあります。そうして付き合う作家たちは、ろくでもない奴らでした。僕は心から嫌悪した。ああいう人間にはなるまい、と。

だからまあ、自身が作家になってしまったのは、想定外のことだったわけです。そして、もうひとつ、想定外のことがありました。書き続けるうち、小説が好きになってしまったのです。僕が知った、ふたつめの愛です。

書くたびに思いました。もっと上手になりたい。もっとおもしろいものを書きたい。もっと言葉を磨きたい。そうして、作品を書きながら、僕は学んでいきました。

好きな女の子と暮らし、好きな小説を書き、暮らすことになった。あのころは確か、練馬のアパートに住んでいたのかな。団地みたいな建物でした。古かったな。ぼろかった。五階建てなのにエレベータもありませんでした。

屋上に出られたので、作品を仕上げるたび、僕はその薄汚れたコンクリートの上に横たわりました。青い空が広がっていることもあったし、星が輝いているときもあった。

深刻な話ではありますが、珍しい話でもあるので。気を抜いて、猫さんの写真を。もう十歳なのに、まだ若く見えるね。ひげが前なのは、目線を貰うために「ごはん」と言いつつ、撮ったからです。

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