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あまりにも悲しい、チェロキー族の「アメイジング・グレイス」

誰もが知っている名曲「アメイジング・グレイス」。アメリカのインディアン、チェロキー族はこの歌を国歌のように愛唱しているといいます。そこにはチェロキー族の悲しみの歴史がありました。

更新日: 2013年05月03日

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この記事は私がまとめました

Nanahoshi14さん

※このまとめを見る時は、以下の動画を聴きながらをおすすめします。

チェロキー族の言葉で歌われている名曲「アメイジング・グレイス」です。
美しいメロディーですよね。

チェロキー語で唄われる「アメージング・グレイス」は、他のどの言葉で唄われるそれよりも、音と言葉がひとつになっている

「チェロキー族」とは

アメリカ合衆国南東部アメリカ-インディアンの一民族。

ネイティブアメリカンの中でも、チェロキーは独自の文明を持ち、いち国家として成文憲法まで作って白人との共存を図った優秀な部族でした。

かつて、チェロキーたちは豊かな国を築いていた

チェロキーが独自に作っていた新聞。

チェロキー族はアパラチア山脈の南端の豊かな環境の中で生活していたようだ。そこには議会もあり、裁判所もある豊かな国があったようなのだ。

1821年にはシクウォイア(セコイヤ、シクォイヤ)によってチェロキー文字が発明された。85の音節文字からなる使いやすく覚えやすい文字で、すぐに習得できるため急速に普及した。

チェロキー語と英語を一緒に並べた新聞「チェロキー・フェニックス」というものも発刊されていた。

しかし、金の発掘によって強制移住が行われる…

白人は、チェロキー国家で発見された金鉱に目がくらみ、チェロキーの信頼を裏切り、チェロキーを西へと強制的に移住させた。

ほとんどが、クリスチャンで読み書きもできる豊かなチェロキー族だったが、その目前で、白人の略奪者達は家畜や家財道具を奪い家を焼きはらった。

あまりにも悲惨だった「涙の旅路」

4人に1人が死ぬ過酷な旅だったようです。

涙の旅路とは、1838年にアメリカ合衆国のチェロキー族インディアンを、後にオクラホマ州となる地域のインディアン居留地に強制移動させたときのことをいう。

強制移住執行の命を受けた一人の陸軍兵士は、「涙の旅路」について、後に、次のように語っております。

「兵士として私は南北戦争にも参加をし何千もの人々が撃たれ殺される様を見てきましたが、チェロキーの強制移住は私が知っている限り最も残忍な行いでありました。」

そんな中、歌われたのがチェロキー語の「アメイジング・グレイス」

旅の途中で人々は「アメイジング・グレイス」を歌って士気を高めていたと言われている。

チェロキーの人たちはこの長く過酷な旅路のなかで、自分たちの言葉で詩を与えた「Amazing Grace」を唯一の救いとして口ずさみながら、西へと移動していきました。

アメイジング・グレイスは今なおチェロキー族に歌い継がれている

強制移住の旅、祖先の苦難の歴史を忘れないためにアメ-ジング・グレースは互いを励まし、力をふるい起こすチェロキーの賛美歌だと言う。

チェロキーの人たちにとっては「ほとんど国歌」とされるぐらい今でも大切なもの

今では、「涙の道」を語るとき、「アメイジング・グレイス」は欠かせない存在になっている。

チェロキーたちの悲しみの記憶を今に伝える「アメイジング・グレイス」。
チェロキー語の「アメイジング・グレイス」は悲しくも美しいメロディーとして私たちの胸に響いてきます。

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