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この記事は私がまとめました

johnnys_aさん

大友組のツイート

大友啓史監督池袋講演会、先ほど終了しました。沢山質問挙手頂きまして有難うございました。全部お答え出来ず申し訳ありません。楽しんで頂けていたら嬉しいです。お気をつけてお帰り下さいM

本日のセミナー、参加してくださった皆さん、ありがとうございました!たのしんでいただけましたか?

今日の話、肝は児玉清さんの話だったりします。特定の演者のファンの方々にこそ、ぜひそれ以外の話も記憶にとどめていただきたいですね。すべての話は、「つながって」いますよ。つながっていないと思うようなことこそがね。より、彼を理解する上でもね、というのが、僕のスタンス。あしからず。

俳優に対して、何を求めるかということを前提にした評価。表面的な態度とは裏腹に、僕は相当厳しい人間だと思う。自覚してますよ。その厳しさや本当の評価は、部分部分の言葉ではなくて、全体から感じてほしいところ。

参加者のレポツイート

とりあえず帰ってきたので、大友監督講演について書きます。メモはほぼ単語の羅列なので(それ見て自分が内容思い出せればいいってレベル)、細かい言葉尻など正確ではありません。よろしくお願いします。

大友監督講演:最初に10分程度、普通の講演。役者のルーツに始まり、役者論について、これまで雑誌などで語ってきたことを簡潔に説明してくださいました。

大友監督講演:天上の言葉(たぶん神様とかそういう感じ?)を伝える人が役者のルーツという見方がある。誰かを演じることにより、人が気づいていない事柄を気づかせる役割を担っていた。

巫女っていう言葉を使わなかったのは意識的なのかな…。私はそのあたり(それそのものではないかもしれないけど)を示して話しているものと思ったんだけど。

大友監督講演:今、映画などをつくるにあたって、役者は作品を通じて伝えたいことを体現し、観るものに訴えかける役割を担っている。(と、監督の持論を私が勝手に解釈しました。媒体のような認識なのかな?)

大友監督講演:監督自身は、こう演じてとも言わない。役者が演じるための環境を整える。衣装であったり、セットであったり。役者がそこに違和感を覚えれば(たとえばるろ剣の衣装がコスプレに見えてしまったり)、それは画に出てしまう。逆に納得させるものならば、それも画に出る。

大友監督講演:また、演じることは、いかに「らしく」見せるかでもある。60歳オーバーの人が40代を演じるときには、そこにある嘘を演技で乗り越えなければいけない。その乗り越えようとする努力も画に映る。役になろうとする努力が観る者を納得させる力になる。

大友監督講演:映画の持つ制約について。映画は時間芸術。本のように戻って読むことができない。始まったら終わるまで進み続ける。その中で観客が理解し、感じるようにつくる必要がある。

大友監督講演:また、映画は興行(漢字大丈夫かな…^^;)。2時間半なら1日4回上映、2時間15分ならギリ5回上映が可能で、それによる興行収入にも差が生じる。=時間的な制約を強く受ける。

大友監督講演:こうした点を踏まえて、ストーリーをつくらなければならない(原作からの取捨選択を含め)。東野さんの小説は、人間ドラマが濃く、小さくて(こじんまりとした世界観という意味だと思う)も成立する。けど、東野さんと話すうち、映像化に期待することはスケールではと考えた。

大友監督講演:また、心理ドラマを描くには、映像より文学が、また映画よりもドラマが適している(容量の制約上)。これまでの東野さん原作映画とも違うことをしたかったというのもあり、今回は映像化にあたってスケールを広げてみた。

大友監督講演:プラデ。水上は母性(→DNA)。女性が社会に進出するようになると、社会が男性社会である以上、母性を犠牲にする面が出てくる。神楽の家庭は母親が描かれていないため父子家庭というイメージを観る者に与える。神楽は父性を失い、その救いを母性(水上)に求めたが→

大友監督講演:水上(母性)には、半面、研究者としての野心もあった。今回の映画は、母性よりも野心を優先してしまったときに起こりうる悲劇。それを狂気と捉えるのか、誰にでもありうることと捉えるのかはそれぞれ、と。監督自身は後者と捉えているみたいだった。

私自身は、男性社会であるという前提にやや疑問。10年以上働いてるけどあまり感じない。場所によるのかな。母性を犠牲にせざるを得ないことが子供に影響するというのも、事実だと思うけど、じゃあ父性の役割は?とも思う。そこに触れずに母性と子供の関係だけ語ることはできない気がする…。

監督に、父性をテーマにも映画つくってみてほしいな。絶対おもしろいと思う。プラデでも父性は重要な意味を持つと思うけど、主題ではないし…。そういえば、父性(父親)を失って母性(水上)に救われた神楽、また父性(浅間)に戻る=父性を取り戻す、とも言えるのかな?母性は彼の中に残ったのかな?

大友監督講演:プラデ。「アザなんてなかったよ」に関する質問から、その解釈をかなり話してくださいましたが、ちょっとそこは置いておいて(たぶん他の人がたくさん書いてるよねw)。神楽の15歳のシーンの話が興味深かったので、そっちを。

大友監督講演:早樹とのシーンでも、浅間が持っていた写真でも、神楽はにのだったのに、父親と接する回想シーン、父親を亡くした直後のシーンでは子役だった理由。子役、特にキャリアのない(慣れていない)子役は、手加減を知らない。その加減のなさが時に劇的に素晴らしい芝居になることがある。

大友監督講演:父親を亡くした神楽龍平は、ルール(技術や理屈?)で演じてほしくないシーン。だから、経験の少ない子役に期待した。それが結果としてどう作用したのかは監督自身にもわからない。ただ、ちょっと思うようにいかなかったので、最終的には、にのが声だけアフレコ(アテレコ?)した。

大友監督講演:子役に関しては、龍臣くん(漢字大丈夫??)を例に出していました。ちなみに、子役を使ったシーン、児玉さんの話(演技で嘘を乗り越える)と同じで、にのならできるだろう、と。でもスケジュールや、前述の理由などを勘案して、子役を選択したそう。

大友監督講演:映画、特に日本の映画は時間的な制約が重い。だから、スケジュールを充てられるかはものすごく重要な要素だそう。制約の話は、映画の論評などに絡めても出ました。

大友監督講演:ハリウッド映画が何十兆円という資金で1年半などかけてつくられるのに対し、日本映画の資金規模は小さく、撮影期間も2カ月半など限られる。同じ映画館で並べて放映される以上、観る人にとっては無関係な話だとわかっているが、言い訳ではなく事実として、そこには絶対的に差が生じる。

大友監督講演:だが、日本映画を論評する人たちの中に、こういったプロセス、制約を理解している人は少ない。観る側の視点による論評が多いし、文学的な論評が多い。日本映画を活性化させるには、作品をつくるプロセスなどを理解したうえでの発言が重要だと思う。

この論評の話、すごく「あああああ」って思った。映画評論家になりたいと思うくらい。なれないけど。私観られない映画が多すぎるww(←それ以前の問題だろ!)

大友監督講演:ついでに映画について(時系列、講演通りじゃないけど)。映画は出資ビジネス。原作(者)であったり、主演であったり、監督としての実績、ネームバリューもそうだけど、出資を得るにはタネがいる。ので、オリジナル脚本の映画をつくるのは難しい。

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