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ファミコン誕生秘話まとめ

オフィス・宮島です。我々世代(1970年代~1980年代)の小さいころ、「遊び相手」として少年~青春時代をともにした「ファミリーコンピュータ」こと「ファミコン」…これがどのようにして生まれたのかをまとめてみました。(ちなみに、筆者はファミコンではなくMSXでした)

更新日: 2013年04月28日

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ファミコンがどのようにして生まれたのか?

「私はアーケードゲームの開発部にいたんですが、当時の社長(山内溥[ひろし]氏)から『家のテレビでアーケードゲームを遊べるものを作れ』とお達しがあったんです。うちはアーケード版の『ドンキーコング』などが当たっていましたからね」

ファミコンの設計者であり開発責任者であった任天堂の上村雅之氏が、当時の社長であった山内溥氏から上記の命令を受けて開発いたしました。

「ファミリーコンピュータ」の由来

「それは私が名づけました。うちの会社では営業とかではなく、開発者に命名権があったんです。その頃はちょうどパーソナルコンピュータやホームコンピュータという言葉がわーっと広がっていた時期だったんですが、『ファミリー』はまだ使われてないなとふと思いまして。コタツにでも入りながら家族でワイワイ遊ぶ姿をイメージしてましたから、『ファミリーコンピュータ』、いいじゃないかと」

開発者の上村氏が名付けたそうです。「ファミリーコンピュータ」が「ファミコン」に変わっていった経緯について次に説明します。

「実はですね、私が自宅でファミリーコンピュータという名前がええなぁなんて話していたら、女房が『だったらファミコンはどう? どうせ日本人はファミコンて略すに決まってるわ』といって。それはいいなと思って、私は正式な名称案として『ファミコン』というのを上司に提出していたんですよ。ただ上司には『ファミコン? そんなのわからへん』と却下されて(笑)。結局『ファミリーコンピュータのほうがわかりやすくてええわ』ということになったんです」

上村氏の奥様が「日本人は何でも省略するから、ファミリーコンピュータをファミコンに略すだろう」と予言していました。ものすごい先見の明です。

「テレビゲーム」で勝てるのか?

「いいえ、勝算なんてありませんよ。あの頃は『ゲーム&ウオッチ』が売れに売れていたので、うちの会社はゲーム&ウオッチでやってくんちゃうの?って思いましたからね。持ち歩けてどこでもできるというゲーム&ウオッチの長所は、やはり素晴らしかったので」

「勝算はあったのか?」という質問に対し、上村氏は上記のように答えています。

―そこへいくとテレビでゲームをするという発想は、その長所をまったく生かせないことに。

「そうなんです、持ち運びできないテレビを使わなきゃあかんというのはすごく不便だろうと。しかもその頃は、ゲーム&ウオッチの部署に人材をどんどん引き抜かれていて、うちのチームは3人しかいなかったんです。もう敗軍の将みたいな状態のときにそのミッションが下されたんですよ。開発初期に自分が書いたメモ帳が残ってたんですが、そこにはまぁ将来に展望がないとかなんとか、愚痴のような悲観的なことばかり書かれてました(笑)」

「持ち運べてどこでもできる」という長所を持つゲームウォッチに対し、ファミコンは「持ち運びができない」テレビを使うという(当時の価値観では)短所しかなく、長所が全く見当たらないという状況だったので、上村氏は途方に暮れ悲観的・絶望的な見方しかできなかったそうです。

「当時、アメリカで『Atari 2600』という家庭用ゲーム機がヒットしていたので、最初はそれを参考に作ってみようかと、ちょっとずるいことも考えていて(笑)。でも『Atari 2600』は、残念ながら技術的にはまったく参考にならなかったですね。もうそこからは開き直りで、アーケード並みにクオリティの高いものを作ってやろうじゃないかと決心したわけです」

当時、世界的ヒットを飛ばしていたAtari(アタリ)というゲーム機を参考にして作ろうと考えていたそうですが、まったく参考にならなかったため、「それなら自分でアーケードゲーム並の品質を持ったゲーム機を作ろう」と決心したそうです。

ファミコン開発にあたって苦労したことは?

「一緒に組んでやってもらう半導体メーカーがなかなか見つからなかったり、その半導体も設計に無理があったために表示されたキャラクターが消えるトラブルがあったり。あとは販売価格を1万円以下にするという目標で開発をスタートしたんですが、コスト面でかなり難しいということになって。2万から3万円ぐらいになりそうでしたから。それをなんとか部品を減らしたりしてギリギリまで切り詰めて、1万4800円で販売できるようにしたんです」

上村氏は、当時をこのように振り返っています。開発当時は1万円以下で販売しようと考えていたそうですが、そのまま開発を続けてゆくと2万~3万となり「高嶺の花」になるところでしたが、部品を減らすなど可能な限りコストカットを実施して1万4800円に抑えることができたそうです。

ファミコンにまつわる裏話

―そういえば、ファミコンのえんじ色パーツは、その素材が大量かつ安価で仕入れることができたから採用されたという噂ですが?

「それは間違いですね(笑)。むしろ逆で、最初に予定していた安いスチール製のボディがあまりにも脆かったので、強度の高いプラスチックに変更したくらいですから。えんじ色にした理由は、単純に社長命令だったんですよ。社長がよく巻いていたマフラーの色もあんな感じのえんじ色で、好きな色だからという理由。社長からするとボディのデザイン面は口が出しやすいわけですよ。それが真実です(笑)」

開発当初はスチール製の筐体だったそうです。しかし、コストを削減で安いものを使ったところ、余りにももろかったので、強度の高いプラスチック(エンプラ)に変えたそうです。ファミコンのコントローラなどは「えんじ色」ですが、なぜえんじ色になったのかという理由を上村氏は上記のように述べています。

―では質問ついでにIIコンにマイクが搭載された理由も知りたいです!

「あぁ、あれは趣味でつけたようなもの、お遊びみたいなものです(笑)。開発中はどういうジャンルのカセットが出てくるかなんてまだまだ予想しきれなかったので、もしかすると近い将来の新しい遊び方の提案になるかなぁと思ってつけたんですよ。

その当時、巷ではカラオケがはやっていたので、ファミコンでカラオケをするというのが大ブームになる可能性もあるんじゃないかと思っていたんですが(笑)」

ファミコンの2コンにはマイクがついています。友達の家に遊びに行ってファミコンの2コンを使うことが多い私でした。なんでつけたのか当時小学1年生だった私もよくわかりませんでした。こんな理由だったのですね。

―IIコンのマイクは『バンゲリングベイ』(ハドソン)で叫ぶと戦闘機を呼び寄せてくれるなど、意外と活躍していましたよ!(笑)。それに“新しい遊び方を提案する”という意味では、ファミコン自体が家庭での遊びのあり方をガラリと変えたマシンですし!

「確かにそれまで遊び道具として使うなんてことはなかったコンピュータを、最大の遊び道具に変えたという自負はありますね。採算度外視とはいいませんが、ひとりの開発者として今までになかった“新しい遊び道具”を作れたことを誇りに思っています」

「業務用コンピュータ」を「遊び道具」に変えたことに対して強い誇りを持っていることを読み取ることができます。このようなことができなければ、今の今まで「コンピュータ=とっつきにくいもの」になっていたことでしょう。

イマジネーションを掻き立てるマシン・ファミコン

「スペック的に制限があるなかで、今と比べれば拙いグラフィックながら一生懸命作っていたことで、プレイヤーの想像の余地が多分にあったんでしょう。今のゲーム機はよくも悪くもグラフィックがきれいだからまるで映画のようで、クリエーターのイメージを押しつけすぎてしまいますよね。ですがファミコンのゲームにはプレイヤーひとりひとり、見え方の違う世界が広がっていたはずです」

当時のファミコンの性能は「8ビットマシン」だったため、音楽や色にかなり制限があり、この中で「わかりやすく」表現しなければなりませんでした。そのためクリエイターが知恵を絞って「わかりやすい」「面白い」ゲームを開発していました。ファイナルファンタジーシリーズの音楽を担当している植松伸夫氏は、「今のゲームより昔の限られた容量で音楽を作るほうが楽しい」と雑誌で述べていました。

ファミコンが日本で席巻しなければ、世界に誇る「クールジャパン」はなかったでしょう。今の子供たちは、「ドラゴンクエストⅢ」発売時の大混乱の様子を知らないでしょう。今、あれほどの熱気をもって取り組めるゲームは存在するのでしょうか…

参考文献

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オフィス・宮島です。
個人事業主なので、社員は1人もおりません。手探り状態で進めているので経営に関してはよくわかっていません。
経営に関するアドバイスなどいろいろいただけるとありがたいです。

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