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太古の昔『天皇はスメラミコトと呼ばれ世界に君臨する王』だった

この世の終わりが、九分九厘決まった時。最後の一厘、神の力で逆転する。この、一厘の秘密の意味を解いた者はまだ誰もいない。そしてこれを一厘の仕組と呼ぶ。

更新日: 2014年12月19日

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第73世武内宿禰

竹内睦泰(たけうち むつひろ、1966年12月17日 - )

1500年以上にわたる口伝内容を取材した書籍「誰も知らない世界の御親国日本」の著者。古神道本庁代表。第73世武内宿禰・南朝小倉宮正統竹内文書伝承者。実業家。北斗総研予備校代表。秀門会校長。日本歴史文化研究機構理事長。

竹内睦秦氏は「霊つぎ之儀式」の秘儀により代々武内宿禰を継ぐ選ばれし者として、第73代として武内宿禰の正統の継承者となった。

(ネット上の文章引用)

御親国(ミオヤクニ)日本

大和朝廷を起こしたのは大和族と呼ばれる一族である。そして大和族のライバルとしては出雲族があり、両者はともにスメラ族

スメラ族は日本から出発し、シュメールの地でシュメール文明の勃興の一翼を担い、その後メソポタミアに移り、多大な時間を要してまた、陸路と海路で遠路はるばる日本に里帰り民族(弥生人)として戻ってきた。

その頃日本は大倭日高見の大地(古代縄文時代)に、現在の東北に首都を置いていた。その国の名を『BANDOY(後の安東王国)』といった。日本から世界に『宇宙の法則』を伝えに旅立った人々を弥生人と呼ぶようになった。

(ネット上の文章引用)

シュメールに渡った一族の内一部はユダヤイスラエルに入り、そのユダヤ族も時は違えども前後して徐々に里帰りして日本へ帰ってきたとされる。
当初のシュメール人が姿を消したのは、紀元前2000年と言われている。

秦氏は北イスラエル­王国の失われた10支族ではない。
イスラエル10支族はアッシリア滅亡後、東進を開始し、紀元前に日本に里帰りしたユダヤ族(弥生人)である。

(ネット上の文章引用)

ユダヤ12支族が全て揃う場所がこの日本である。

※特権階級の祭祀族であるレビはイスラエル12支族には含まれていない。

179万2470余年前アフリカの大地から、日出る地を求め日本列島に到着した人類は、その地で現在の文明を遥かに凌ぐ超古代文明を築き、世界中の五色人を統治していた。しかし、次第に人心は荒廃していき世界戦争が勃発し世界文明は滅びてしまった。時は流れ、再び日本の北海道、東北地方一帯に文明ができた。そして一部の人々はメソポタミアの地へと旅立っていった。メソポタミアの地で人類は古代シュメール文明を築き繁栄を極めたが、人心は荒廃しきっていた。地球はそのとき急激な温暖化によりウルム氷期の氷河は急速に溶解し、大地は度々大洪水に見舞われた。シュメール文明は大洪水により滅びたが、スメラミコトとその一族は方舟とヒマラヤ山脈により難を逃れた。方舟は全部で3艘あり、その1艘がシベリアに漂着し、スメラミコトとその一族は難を逃れた。大洪水の水が引くまで1000年の歳月がかかったが、その王家は次第にシベリアからモンゴルへ行き、そこから中国大陸へと移動していった。中国大陸で人類の再起と反省を込め、三種の神器を造られた。時は流れ、中国大陸にスメラミコトの王朝が誕生した。王の名を炎帝といい、一族を神農氏といった。そののち黄帝が王になり、後の子孫は天子と呼ばれ、次第に天王と呼ばれるに至る。この王朝が後の周である。周王朝の祖、古公亶父の長子で太伯(別名:泰伯)という句呉と号して国を興した王がいた。後に太伯の一族は海を渡り、日本の東北地方の大倭日高見国に融合した。後の子孫にニギハヤヒ大王が降誕する。春秋戦国時代に周王朝第三十九代、武天王は秦侯に敗れ同族の支配する韓に逃れたが、十九年を経て韓も秦が為に滅び、武天王は支族の韓王国の部族民に周の天王として奉戴され、周王朝初代の武天子が助命して封じた箕子殷族の支配する朝鮮に移住した。いつしか東周の流浪の王朝は伽那の地をほぼ統一し、周王家第三十九代、周天子、姫氏の子、東周の武公の孫、武天王は彦波瀲武宇伽那不合尊(ヒコナギサタケウカヤフキアエズ)と名乗った。その武天王の息子が後の神武天皇である。時は流れ、秦氏と名乗り約10~19万人率いて倭国(日本)に帰化した人々もいた。中国では倭人(日本人)を「句呉の太伯の子孫」といい、周王家の姓を姫(キ)という。日本は周王家(姫氏)から分かれた国。故に日本国を姫氏国という。

天皇家の皇統は天孫降臨以来179万2470余年前の邇邇芸命(ニニギノミコト)のアフリカ→原始日本→シュメール→方舟(シベリア)とチベット高原→モンゴル→中国大陸→中国夏王朝→古公亶父の時代に2つに分かれ、古公亶父の三男一族は中国大陸に残り、後に秦国に追われ朝鮮半島の伽那へ、長男・次男一族は句呉国から直接日本列島へ→天津神弥生人神武天皇vs国津神縄文人ニギハヤヒ大王の時代へと繋がり、そこで2つに分かれていた王家は完全に融合した。是を以て万世一系という。

竹内睦秦氏によると、シュメールの最大の都の名は「スサ」と呼ばれ、その「スサ」の王をスサノオと呼んだ。スサノオは政治軍事を司る王として君臨し、後にこの政治・軍事グループは出雲族となる。
さて、シュメールでスサという都市ははたして実際にあったのだろうか。検索してみると、シュメールに隣接し、メソポタミアの東に昔エラム帝国があった。エラム(Elam)は古代オリエントで栄えた国家、または地方の名。紀元前4000年紀半ばから紀元前6世紀までの間、複数の古代世界の列強国を出現させた。そのエラム帝国の代表的な都が[[アンシャン]]と[[スサ]]である。そしてエラムの王は[[アンシャンとスサの王]]と称したそうだ。だから、竹内文献のスサの王、スサノオは実在したことになり、史実と正当武内文献とが符合した。日本から見ればシュメールの地も隣接するエラムも区別できないだろうからである。

祭祀を司るものたちはスメラミコトと呼ばれ、スメラミコトの祭祀族は後に大和族となったとされる。スメラミコトの意味はスメラやスメルの命(尊)となるが、シュメールにスメラという都市は実在したか。
こちらを検索すると、なんとシュメールは英語読みではシュメール(SUMERU)だが、なんとラテン語(フランス語読みでも)ではスメルと発音する。

さらに、シュメール人は、自らを「黒い頭」とよび、東の方から移住してきた民族系統不明の民とのことである。だからシュメールで祭祀を司った一族はスメラのミコト、すなわちスメラミコトととなる。

この太陽を信仰するスメル族は中東の地シュメールで突如として近代文明につながる最高の都市文明を起こしたにも関わらず、その地を離れ日本に何故ユーターンしたのか。この理由は『宇宙の法則』で文明の発展衰退は1600年単位で経度で22.5度移転することを知っていたからである。

(ネット上の文章引用)

竹内氏が継承した口伝では、シュメール発の大和族と出雲族の日本への帰還ルートは次のとおりである。スメラミコト(後の大和族)たちは、シュメールから海路で日本に向かい、最後に九州の日向の高千穂に上陸した。

神話の天下りは海路で海下りと読め、天族(アマぞく:天孫族;天津神)は海族(アマぞく:海津神)ではないだろうか。一方、スサノオ(後の出雲族に合流発展)のグループは陸路(後のシルクロード)で日本に向かい朝鮮半島を経て大和族よりも早く北九州に上陸した。

(ネット上の文章引用)

先端の武器を持つ彼らは当時日本にいた原日本人とも言える縄文人達(アイヌ族含む)を征服し、出雲族は、現在の出雲を中心とし北陸までの日本海側を支配し、大和族は九州と四国の瀬戸内海の一部を支配していく。時代が下り紀元前4世紀頃に、この二つのスメル族の間で戦いが勃発し、一進一退の攻防が続いていく。

一時は出雲族と大和族のアマテラスが政略結婚して和睦もあった。しかし出雲国で大国主の息子の事代主(コトシロヌシ)が王の時代に戦争が再度勃発し、結果的に大和族が戦勝し出雲族を制圧することになる。その結果、紀元前50年頃に大和族の王であった神武(サノ彦)が出雲族の娘を娶り、大和朝廷を樹立した。

(ネット上の文章引用)

天照大神(アマテラス)は男性の神だった

大和族と出雲族の覇権争いには歴史があった。攻め入った大和族がはじめには優勢であったが、出雲族が反撃に出て、1回目の和議があった。その和議の結果、出雲族のスサノオと大和族のアマテラスが政略結婚した。

スサノオにはニギハヤヒという息子とスセリヒメという娘がいた。ニギハヤヒの正式名称はなんと、「アマテラス クニテラス アメノホアカリ クシタマ ニギハヤヒノミコト(天照国照天火明櫛玉饒速日命)」というもので、大和族の巫女称号の「アマテラスが付いていて、ニギハヤヒは祭祀王の称号が与えられており、近畿地方の王になった。だから最初のアマテラスは男性王だったのだ。そして、このニギハヤヒの子のウマシマジは後の物部氏の先祖となる。

スサノオの娘のスセリヒメは出雲の地で大国主命と結婚する。大国主命はユダヤ族で、その大国主命の息子の事代主が出雲族の王の時代に、再度大和族と出雲族の間で構想が勃発した。そしてこの2回目の大戦の後に、今度は大和族が圧勝し、今度は大和族の王である神武が、負けたニギハヤヒからその祭祀王の称号である「アマテラス」を奪い取り返し、初代の天皇を名乗り、第125代まで続く神倭朝(かむやまとちょう)の現在に至る。

(ネット上の文章引用)

蝦夷の別名を古代ユダヤ人という

私はある財閥の高貴な方よりいろいろな話を聞いた。
東北地方では現在でも人が住む地域を「部落」という。日ノ本国の王アテルイが朝廷の和議に同意し京都に向かった。しかし京都で待っていたのはアテルイの死であった。
アテルイは朝廷側に騙され処刑されたのだ。当時の天皇は弥生人の血統である。
残された蝦夷の民は日本全土に散らされた。後にこの人々は『穢多(えた)』と呼ばれる。
それが現在の日本全土にある同和・被差別部落である。
この穢多(えた)の人々は縄文人の血が最も濃い古代ユダヤ人で、高貴な血の流れる者たちだ。
部落民は部落民同士で結婚し子孫を残す。このことで古代縄文人の血は護られ受け継がれていった。太古の昔より縄文人は不思議な精神力と能力を持っていた。現代人は動物を屠殺し続けると精神が病んでくるが、縄文人は病むことがなかった。神聖な血を受け継ぐ部落民は神や動物に屠殺することを許されているのである。

明治天皇から縄文人の天皇に入れ替わった

「フルベッキ写真」の中で大室寅之祐とされている人物がいます。この人物が「明治天皇すり替え説」で孝明天皇と共に暗殺された後継者の睦仁親王とすり替えられ、後の明治天皇になる人物だと言われています。

高貴な方の話ではここに写っている人たちはみんな全員がフリーメーソンのメンバーなのだそうだ。

※クリックで拡大できます

高貴な方の話にはこういった話もあった。

この大室寅之祐こそ古代縄文人の血統、蝦夷の王家の血、スメラミコトの血脈を受け継ぐ人物である。弥生人である神武天皇から実に122代の永きに渡る天皇家の座を取り返したのだ。以後明治天皇から現在の今上天皇まで縄文人の天皇陛下が在位されている。

これが現在のスメラミコトの一族である。
蝦夷の王家とは安東一族の血脈である。

※また別の高貴な方の話では、明治天皇は入れ替わったが現在も北朝である。と述べられている。

世界天皇スメラミコトが崇めた天神アンの超古代文明

超古代文明の世界共通文字 (神代文字・スメル文字)

シュメール語と日本語の共通点

一厘の仕組

この世の終わりが、九分九厘決まった時。最後の一厘、神の力で逆転する。この、一厘の秘密の意味を解いた者はまだ誰もいない。そしてこれを一厘の仕組と呼ぶ。

一厘の仕組を解く者、此れ即ち、天照大日孁貴大神の血脈
一厘の仕組を解く者、此れ即ち、三種神器の主
一厘の仕組を解く者、此れ即ち、国体の天皇
一厘の仕組を解く者、此れ即ち、シュメールの天帝
一厘の仕組を解く者、此れ即ち、スメラのミコト

旧約聖書に記されし真の契約の民、古代縄文人の末裔、イスラエル12支族の子孫、真の古代ユダヤ人、古代スメラミコトの臣民、シュメールの直系、周・呉の太伯の子孫、此れ即ち、我ら日ノ本の民

今度の戦は神力と学力のとどめの戦ぞ。神力が九分九厘まで負けたようになった時に、まことの神力出して、グレンと引っ繰り返して、神の世にして、日本のてんし様が世界をまるめて治しめす世と致して、天地神々様にお目にかけるぞ (日月神示 下つ巻第20帖)

今度の戦済みたらてんし様が世界中治しめして、外国には王はいなくなるのざぞ
(日月神示 天つ巻第16帖)

神の目には外国も日本もないのざぞ。みなが神の国ぞ。七王も八王も作らせんぞ。一つの王で治めさすぞ。てんし様が世界みそなわすのざぞ (日月神示 地つ巻第15帖)

立て替えと申すのは、神界、幽界、顕界にある今までのことを、綺麗に塵一つ残らぬように洗濯することぞ。今度という今度はどこまでも綺麗さっぱりと立て替えするのざぞ。立て直しと申すのは、世の元の大神様の御心のままにすることぞ。御光の世にすることぞ。てんし様の御稜威輝く御世とすることぞ (日月神示 水つ巻第12帖)

不二は晴れたり、日本晴れ、三千世界、一度に開く梅の花

時は満ちたり、スメラミコトの御姿、汝の眼におさめて下されよ…

http://bit.ly/1kRXx2H

(ネット上の文章引用)

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