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狭山事件の脅迫状は本当に石川一雄の筆跡とは違うのか?

狭山事件は本当に冤罪なのでしょうか? いつまで経っても再審無罪が勝ち取れないのは、本当に裁判官の差別意識のせいなのでしょうか? 支援団体による「脅迫状とまったく筆跡が違います。」という意見広告の疑わしさを探ります。

更新日: 2013年06月23日

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「に」を拡大してみる

右下がりで数字の「12」のようにも見える「に」。

「い」を拡大してみる

キリル文字のИのように第一筆と第二筆をつなげた、右上がりの「い」。

「す」を拡大してみる

右上がりで非常に細長い、傾いた「す」。第二筆の輪が極めて小さく、ないに等しい。

「の」を拡大してみる

右上がりで非常に平べったい「の」。

「ふ」を拡大してみる

第一筆と第二筆をつなげた右上がりの「ふ」。

「は」を拡大してみる

やや傾いた右上がりの「は」。終筆を右上に跳ね上げている。

「わ」を拡大してみる

斜めに傾き、縦長につぶれた「わ」。最終筆の大きさに個人の特徴が出やすい字だが、この2つは字画のシルエットやバランスが非常によく似ている。

公平を期すために、さらに別の手紙の筆跡も見てみましょう

さんずいを崩して書き、つくりを右上がりに書く癖があります。

やはりさんずいを崩して書き、つくりを右上がりに書く癖があります。これを書いた段階では、石川は犯行を全面的に認め「自分を極刑にしてくれ」と言っていました。

第一画を縦一文字に書き、漢字の「之」のように見えます。

上から1963年11月12日、同11月30日、同12月17日、1964年3月7日に書かれた手紙。いずれも第一画を縦一文字に書き、漢字の「之」のように見えます。

まとめ

本当にこれが別人の字でしょうか。単なる偶然にしては書き方の癖が似すぎているように見えます。

「脅迫状とまったく筆跡が違います。」という意見広告では、楷書で書かれた上申書と、行書ふうの脅迫状を並べることで2つの違いを強調して印象操作を図っていますが、関源三あての手紙と脅迫状を並べたら、もはや冤罪を訴える広告には使えなくなるでしょう。両者とも行書ふうに書かれており、露骨に同じ癖が出ているからです。

そもそも、石川一雄は無教育ですが知的障害者ではありません。犯行を否認しているのに脅迫状そっくりの字で上申書を出したらどうなるか、それぐらいはよくわかっていたはずです。自分の命がかかっていればウソのアリバイだって創作するでしょう。字体や文章力だって必死で偽るでしょう。

字や文章を書けない人が書ける人の真似をするのは大変ですが、その逆は簡単です。特に、関源三に手紙を書いたときは罪を認めてしまっていたのですから、もう無理な演技をする必要がなかったのは当然です。

冤罪論の立場からは「石川さんは正真正銘の文盲だったが、逮捕されてから脅迫状を手本にして字が書けるようになった。だから逮捕されてしばらくすると脅迫状の字と似てきたのだ」と説明されることもあります。ところが石川は逮捕直後に警察から「お前の字は脅迫状にそっくりじゃないか」と言われて「同じ日本語だから似ているのが当たり前だ」と開き直った、と報じられています(『毎日新聞』1963年5月24日夕刊)。つまり、筆跡の相似は石川自身が逮捕直後から認めていたことでした。

運動団体の一方的な宣伝を鵜呑みにしていたのでは、事件の真相は見えない場合があります。過去には小野悦男事件や長崎満事件、ローゼンバーグ事件などという出来事もありました。ついでながら、「小野悦男さん救援会」の代表者は狭山闘争の運動家でもありました。

石川冤罪論の総本山で、狭山事件をさんざん政治利用してきた部落解放同盟は、立花町連続差別ハガキ事件でも内心は怪しいと思いつつ身内意識から狂言犯をかばい続け、ハガキ事件を自分たちの運動のために都合よく利用していました。警察が狂言犯を追及し始めたとき、猛烈に反発して「部落差別に基づく冤罪だ。権力犯罪だ。これは第二の狭山事件だ、けしからん」と言い張ったのも部落解放同盟でした。

狭山事件は本当に冤罪なのかどうか。ハガキ事件の時のように純真な支援者たちはコケにされ、利用されているのではないか。みなさんは、どのようにお考えになるでしょうか。

なお、本件脅迫状の文中には、平仮名の「つ」を書くべきところは、すべて片仮名の「ツ」を用いており、また、日付の記載は、漢数字とアラビア数字を混用しているほか、助詞「は」は、「は」と「わ」を混用しているが、それらと同じ用法が、被告人自筆の昭和三三年五月一日付早退届(同押号の五八)、同三八年五月二一日付上申書(同号の六〇)並びに記録中の被告人の司法警察員及び検察官に対する供述調書添付図面の被告人自筆の説明文中に随所に見られ、顕著な特徴として挙げることができる。更に、本件脅迫状の文中には、「一分出もをくれたら」、「車出いツた」、「死出死まう」など五か所において、「で」の当て字に「出」の字が用いられているが、被告人自筆の被告人からA16あて(昭和三九年)八月二一日付の手紙(東京高裁昭和四一年押二〇号の四)の文中にも、「来て呉れなくも言い出すよ」、「あつかましいお願い出すが」と書かれていて、本件脅迫状におけると同じように、「で」の字に「出」の字を当てているのは、単なる偶然とはみられない。

脅迫状と申立人の作成文書の筆跡には類似する特徴が多くある一方,異筆性をうかがわせるような相違点はない。また,確定判決,上告棄却決定等が説示するとおり,用字の点においても偶然とはいえない特徴的な共通点が見られる。脅迫状の作成状況について申立人がした捜査段階での自供,被疑者段階の警察署長あて上申書等の作成状況,起訴後に申立人が自発的に作成した書簡等の内容等を総合すると,脅迫状と申立人の作成した上記各文書との間において,書字能力,文章作成能力等の点で作成者の同一性を否定すべき事情もうかがわれない。

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このまとめへのコメント11

  • 水風者さん|2013.07.11

    wpauliさんのまとめ「狭山事件の脅迫状は本当に石川一雄の筆跡とは違うのか?」
    最終更新日: 2013年06月23日 では

    ・・・冤罪論の立場からは「石川さんは正真正銘の文盲だったが、逮捕されてから脅迫状を手本にして字が書けるようになった。だから逮捕されてしばらくすると脅迫状の字と似てきたのだ」と説明されることもあります</b>。ところが石川は逮捕直後に警察から「お前の字は脅迫状にそっくりじゃないか」と言われて「同じ日本語だから似ているのが当たり前だ」と開き直った、と報じられています(『毎日新聞』1963年5月24日夕刊)。・・・

    とありますが
    「冤罪論の立場からは」の部分は、正しくは「故戸谷富之鑑定人の鑑定書では」となります。

    「狭山差別裁判 第5集」 第二四回公判の補記
    (部落解放同盟中央本部編/部落解放同盟中央出版局/1974発行 )より

    ご訂正お願いします。

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