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画像で振り返る戦艦大和の誕生から沈没まで

大和の完成から沈没までをわかり易く画像を中心にまとめました。

更新日: 2013年05月09日

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gun0taさん

建造・完成

1937年(昭和12年)8月21日、戦艦大和は「絶対に負けることの無い最強の艦」を目指して建造が開始されました。
このあまりにも大きな艦の建造予算は、現在価値で4兆円以上とも言われており、国家予算に影響を及ぼすレベルでした。

完成までにはのべ300万人という膨大な人手が必要とされましたが、徹底した機密工作により日本国民のほとんどは
建造中はおろか終戦までこの艦の存在を知らないままでした。

日本の最新鋭のイージス艦:1400億円(1隻)

陸から延びるはしごの近くに人が立っており大きさが良くわかります。

※艤装:船体が完成(進水)したあと、軍に引き渡され武器を取り付ける段階のこと

大和を建造するため特別に整備された専用ドックは、現在も使われています。

はるな型護衛艦が入梁中の一枚

背景の山々が同じ場所であることを教えてくれます。
引用元
http://blog.goo.ne.jp/masa19530505/e/0f32880e821fc3d210924180a593e627

大和はただ巨大なだけでなく「バルバスバウ(水の抵抗を減殺する機構)」「バウソナー」「蜂の巣装甲」「ブロック工法」など、世界的にも大変先進的な技術を多数盛り込み大変な高性能と非常に短い建造期間を両立するという快挙を成し遂げています。

公式の最高速度は27ノット強とされていますが、試験走行時に艦内で「本艦はただ今29ノットで航行中」というアナウンスがあったとの話もあります。

連合艦隊旗艦として機能

大和は連合艦隊旗艦となりますが、時代の流れ・出し惜しみなどで実践の機会にほとんど恵まれず、「大和ホテル」と揶揄される日々が続きます。

またその後、姉妹艦の武蔵に旗艦の職を譲り時代に合せて改装を受けます。

戦争が空中戦主体となったことを受け、数度の改装を行います。

電探が装備されておらず、両舷中央に15cm副砲が各一門ずつ装備されています。

※甲板が後方に向かって高さの上がるスロープとなっていますがこちらは「大和坂」と呼ばれました。

副砲が撤去され12.7センチ連装高角砲とその両側の25ミリ3連機銃が装備されています。
また、レーダーが強化されました。

25ミリ機銃をビッシリ装備しています。

レイテ沖海戦

1944年(昭和19年)10月22日、大和はフィリピンに侵攻する米艦隊との決戦に臨むため出撃し、レイテ沖海戦に参加、第二艦隊(通称栗田艦隊)第一戦隊旗艦としてアメリカ軍上陸船団の撃破を目指しブルネイを出撃しました。

500ポンド(約250kg)爆弾と見られています。
白煙が上がっています。

この日の主砲の斉射は非常に良好な精度だったとも言われており、実際米軍の護衛空母が撃沈されていますが、大和の砲弾によるものかは現在も判明していません。

沖縄作戦:水上特攻

1945年3月末から、遂に沖縄が戦場になりだすと特攻作戦はピークを迎え、既に日本本土で玉砕覚悟の徹底抗戦を決意していた軍首脳は、大和を「一億総特攻のさきがけ」として使用することを決定しました。

乗員3,300余名は、満足な航空機の援護も無く帰還を期さない作戦に全員が命懸けの覚悟で臨みましたが、出港後間もなく米潜水艦に発見・通報され、沖縄に向かう途中で米航空隊の待ち伏せを受け壮絶な最期を迎えます。

時間と共に無情にも敵弾は確実に命中し、徐々に大和は火災・浸水に晒されていきます。

最期は大爆発を起こし、多くの乗員と共に海に消えていきました。

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