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【日本とトルコの友情】エルトゥールル号遭難事件

トルコ人はエルトゥールル号の事故の「恩返し」として日本人を助けてくれました。私たちですら忘れていたことを、トルコの方々は100年近く経っても胸に留め続け、命懸けで行動を起こしてくれたのです。

更新日: 2015年12月07日

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sting222さん

エルトゥールル号遭難事件

あらすじ

1890年、エルトゥールル号に乗ってオスマントルコ帝国の使節団が来日。明治天皇に拝謁した後帰国の途に就いたが、和歌山県串本町沖で同号は座礁し、581名が死亡。串本町大島の住人が必死の救助にあたり、69名を救出。その後日本海軍の巡洋艦でトルコまで丁重に送った。

オスマントルコ帝国使節団の来日

帰途に遭難

横浜から神戸に向かう途中に台風に遭い、岩礁にぶつかり船は沈没しました。

このエルトゥールル号の遭難の報は、和歌山県知事に伝えられ、そして明治天皇に言上された。明治天皇は、直ちに医者、看護婦の派遣をなされた。

乗員650名。生存者69名のうち58名が負傷、うち38名は重傷という大惨事

救難活動

トルコ人に出会い、遭難現場を確認し、村へ知らせ、大騒ぎとなり生存者の救助を行います。

この時、台風により出漁できず食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、住民は浴衣などの衣類、卵やサツマイモ、それに非常用のニワトリすら供出するなど献身的に生存者たちの救護に努めた。

住民たちは、総出で救助と生存者の介抱に当たった。この結果、樫野の寺、学校、灯台に収容された69名が救出され生還することができた

送還

エルトゥールル号の乗組員は神戸で順調に回復し、軍艦比叡と金剛に分譲し、イスタンプールへ向かいます。

新聞を通じて大島村民による救助活動や日本政府の尽力が伝えられ、当時のトルコの人々は遠い異国である日本と日本人に対して好印象を抱いたといわれている。

山田寅次郎

この話に同情した山田寅次郎という人物が、一民間人として新聞社などの協力を得ながら全国を歩いて義捐金を集め、それを携えてトルコに渡ります。

時は流れて1985年。イラン・イラク戦争が激化する中

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