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ワールドカップで振り返るサッカー日本代表のスターと歴史

サッカーワールドカップ5大会連続出場! いまや出場するのが当たり前!の感覚になっている、サッカーの大会ですが、ここまで行き着くのには、さまざまな困難の歴史と、埋もれていったスターがいました。サッカー日本代表の歴史まとめです。

更新日: 2013年07月27日

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enetyさん

1921年 マスコミの誤報から始まった「大日本蹴球協会」の設立

残念ながら、サッカー界には協会を設立しようという気運はあれど、実際には様々な事情からサッカー界を統括する団体の設立は困難を極めていた。そんな時、日本サッカー関係者の度肝を抜くニュースが飛び込んできた。時は1919年3月12日、東京朝日新聞紙上に突如として、イングランド・フットボール協会(FA)から、日本の蹴球協会へ純銀製の立派なカップを寄贈してきてという記事が掲載されたのだ。

外国記者の誤報から、イングランドのフットボール協会がすぐさま動いた。ここの違和感には、「日英同盟」があるのではないかとのことですが、「日英同盟」とサッカーがつながるというのは新鮮ですね。

1954年 ワールドカップ予選初参戦のスイス大会は一次予選敗退

1954年AFC(アジアサッカー連盟)が創設され、スイス大会にはアジア枠1が与えられたが、予選に参加したのは日本と韓国だけだった。

3月7日神宮競技場(現国立競技場)で行われた第1戦で日本は長沼健のゴールで先制するも結局1-5で大敗する。

日本サッカー協会の副会長や会長を歴任し、Jリーグの創設に深くかかわった長沼さんが、ワールドカップ予選の日本代表としての初得点だったんですね。

キング・カズ的な存在の草分け。

元日本代表にして、元日本サッカー協会会長 長沼健氏。

1968年 メキシコシティー大会(オリンピック)で3位。 FWの釜本が得点王に。

釜本選手を、日本史上最高のサッカー選手という人は多いです。

チームは、ユネスコからフェアプレー賞を受賞しています。当時から、日本のフェアプレーの精神は伝統となっています。

ちなみに、この時にドイツからコーチとして招へいしていたクラマーさんですが、その名前がついた練習方法が、多くのサッカーチームで採用されています。

釜本選手のゴール集です。古いので画面が悪いため2:32秒からのオリンピックでのゴールをどうぞ。

1977年 奥寺康彦が当時世界最高峰のリーグ、ブンデスリーガの1FCケルンに移籍

ちなみに、キャプテン翼の「翼」のドリブルを止めた数少ないサッカー選手の一人だそうです。どれだけの実力者として認知されているかが良く分かります。今でいう、「香川」でしょう。写真の左は、王様ペレです。

1986年 メキシコ大会(ワールドカップ)予選までは、ひたすら一次予選敗退

遊び感覚で練習を続け、蹴りすぎて足の甲が変形したそうです。

天才木村を擁した日本も、アジア最強の韓国の壁に立ちふさがれてしまいます。

1994年 アメリカ大会予選では、有名なドーハの悲劇

33歳以上のサッカー好きは、このドーハの悲劇で、「負け癖」がついたともいえます。不世出のストライカーキングカズ・闘将ラモス・アジアの大砲高木・スーパーサブ中山・アジアの壁井原など、さまざまな異名を持つスーパースターが集まったこの日本代表は、間違いなく当時史上最強でした。それですら、ワールドカップにいけない……。

キング・カズが、ピンチでもチャンスでも点を決めてくれていました。ゴン中山が良く分からない感じで点を決めていましたし、武田がごっつぁんゴールを決めていました。
センタリングはとりあえず高木に合わせれば、ヘディングで決めていました。

にもかかわらず、ワールドカップが遠い。

このメンバーで無理なら、一生無理だと思ったものです。

当時の三浦カズは、「点が欲しい時に必ず取ってくれる」という選手でした。
決定力不足なんて言葉はなかったといっても過言ではなかった。

1998年 フランス大会で悲願の本選出場

ちなみにこの時の予選におけるチーム内得点王は、14点をとったキングカズ。2位が高木の7点。中田英寿は5点。

この時のことを、「ドーハの悲劇」と反対に、「ジョホールバルの歓喜」と呼んでいます。

イタリアの10番、ローマの10番、トッティ―と交代して、ユベントスとの試合に途中出場。
ミドルシュートを豪快に決め、ローマ優勝を決定付けた中田。当時の日本代表の中で、唯一の世界トップレベルの選手でした。

1998年 本大会では3戦全敗

三浦知良(カズ)が本選の日本代表に選ばれなかったことで、大問題になりました。

2002年 日韓ワールドカップ 開催国のため予選は免除 ⇒初の決勝トーナメント進出

日本代表チームが勝利し、決勝トーナメントに進出したり、韓国がベスト4に入ったり(のちに八百長疑惑も噴出)といろいろありましたが、一人だけ次元の違うプレーヤーとして中田英寿がいました。そして、ベッカムは、その風貌と華麗なテクニックで日本中を魅了。

街には彼と同じ髪型をする人があふれていました。

2006年 ドイツW杯 ジーコジャパンはグループ最下位

この時の日本代表は、ワールドカップ出場のための予選は余裕で突破。しかし、本大会ではボロボロでした。彼はちょっと活躍する時代が早すぎたのかもしれません。

2010年 南アメリカW杯 岡田ジャパンは、ベスト16

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