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【ポスト松田聖子】岡田有希子・都市伝説まとめ【閲覧注意】

ポスト松田聖子といわれた岡田有希子に関する都市伝説です。

更新日: 2014年12月02日

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この記事は私がまとめました

daizou2002さん

岡田 有希子

岡田 有希子(おかだ ゆきこ、1967年8月22日 - 1986年4月8日)は、日本のアイドル歌手、女優である。本名、佐藤 佳代(さとう かよ)。愛称は「ユッコ」。
ポスト松田聖子として期待されたが、1986年(昭和61年)に自殺した。

週間新潮の中吊り広告。今になって岡田有希子の話か…

昨日はあまちゃんの話から昔好きだったアイドルの話になりました。ずっとそれまで好きなアイドルがいなくて、小学三年ぐらいのときに最初に好きになったアイドルが岡田有希子で、よし!この子をファンにしよう!と心に決めた一週間後に飛び降り自殺してしまったんだそうです

この訃報に際して多くの人が岡田有希子のことを思い出しているのだろう…

かなり、当日としては衝撃的な事件だった...峰岸徹が死ぬまで向き合い続けた「岡田有希子自殺」の衝撃 cyzo.com/2008/10/post_1… @cyzo #cyzoさんから

@tks_randy まぢ電源入れる度岡田有希子で薄気味悪いんだけどwwwもしうちが死んだら線香あげにきてね

都市伝説

ザ・テレビジョン

テレビ番組の紹介や番組表が載っているテレビ業界における有力紙である。
このテレビジョンで思い出すのが笑顔でレモンを持った芸能人が飾る表紙である。
普段何気なく見ている人も多いが、このレモンには重大な意味が存在する。
それは1986年に自殺した岡田由希子さんがの亡霊に編集部が悩まされたために、魔よけの一種として表紙にレモンを使うようにしたところ、編集部への亡霊の影響はなくなったという。
そのため、現在でも表紙にはレモンを使い続けているのだ。

「1986年3月17日号からレモンは復活し現在に至ります。」1986年の3月17日と言うと、岡田由希子さんが自殺するわずか3週間前です。岡田由希子さんが自殺する前にはレモンが使い出されているのでレモン=魔よけではないことになりますね。
なぜこの時期にレモンが復活したかわかりませんが、この絶妙ともいえるタイミングは気になってしまいますね。

呪われた記者

4月8日の正午、事務所の屋上から飛び降りた岡田有希子の遺体は次の日の新聞の一面を飾ることになる。
それは報知新聞社だけが飛び降りをした直後に現場に駆けつけていたからである。
カメラマンはまだ警察が来ていないのをいい事に、良いアングルで写真を撮ろうとして、
うつぶせに倒れている有希子を足で蹴って転がして望みどおりのアングルで写真撮影に成功した。

しかしその翌年、有希子の自殺現場を撮影したカメラマンはサウナで謎の事故死を遂げてしまう。

撮影したカメラマンの事件ですが、、このサウナで亡くなった記者は岡田有希子を撮影してカメラマンとは全くの別人です。(宝島社が報知新聞に確認をいれました。自殺現場を撮影したカメラマンは現在でも元気のようです。)

ちなみに自殺現場のカメラマンは死体を岡田有希子だとは思っていなかったようです。
「岡田有希子が自殺未遂をしたようだ」との連絡が入ったために有希子の所属事務所に駆けつけたのです。

そこでたまたま有希子本人の自殺と遭遇したのですが、カメラマンは「責任を取る立場の事務所の人間だろう」と思い
「念のため」といった気持ちでその死体を撮影したわけです。

松田聖子

「フジテレビ「さんまのまんま」でも、ゲストの松田聖子の首を岡田有希子が絞めていた」
などという噂まで登場し、騒動はエスカレートしていきます。

4という数字

岡田有希子の運命は、数字の4に操られているという。
デビューが(4月)、自殺したのも(84年4月)、
付き合っていた恋人も(42才)で、
プロダクションの寮から(4月4日)に引っ越し、
新しいマンションが(402号)だったのだ。

しかも、飛び降りる前日に見た映画が(ロッキー4の試写会)、
死亡した現場の住所が(四ッ谷4丁目)なのだ。(サンミュージックは四谷4丁目に現在もある)

そして自殺したのは引っ越してから(4日後)の(4月8日)で、

遺体は四谷警察署が回収した。

中森明菜

岡田有希子の幽霊が現れた!

自殺後の5月28日、フジテレビの歌番組「夜のヒットスタジオ」に彼女の霊が浮かんだという。
番組は生放送のために有希子が写ることなどありえない。

しかもそのとき歌っていたのは岡田有希子のライバルと目されていた中森明菜である。
彼女の後ろにワンピース姿の有希子が写っていると視聴者からの電話が殺到した。

このほかにも6月放送の「歌のトップテン」、「ザ・ベストテン」でも中森明菜のとなりに浮かび上がったのだ。

86年6月18日放送のフジテレビの番組「夜のヒットスタジオ」でした。
放送直後から、テレビ局に全国各地から次々に問い合わせの電話がかかってきました。その内容は、
「中森明菜が歌っている時、背後の雛壇で岡田有希子が血まみれのドレスを着て拍手していた」
というものです。

岡田有希子の幽霊がテレビに出るのは、ほとんどがある女性アイドルが出演しているときだという。
そのアイドルの名前は中森明菜。ほとんど同時期にデビューしたアイドルである。

それは持ち歌の「ジプシー・クイーン」が原因であるといわれる。
この歌の歌詞が岡田有希子の自殺を暗示する内容であるために、
有希子の幽霊を呼び寄せてしまうのだ。

そしてこの三年後、中森明菜が自殺未遂をするに至ったのは岡田有希子に取り付かれていたからだという。

ジプシー・クイーンの歌いだしはこうである。

百二十五頁(ページ)で 終わった二人
燃える愛の途中で Ah すべて
Wine色を染める 重い空に嘆き
アスファルトのBedに ため息こぼれる

百二十五頁で 終わった二人 (飛び降りたのが12時5分)
燃える愛の途中で Ah すべて (恋人とは強制的に別れさせられた)
Wine色を染める 重い空に嘆き (飛び降りた際頭部が割れ、Wine色の大量の血が流れた)
アスファルトのBedに (コンクリートの路上に激突死)
ため息こぼれる (脳が飛び散った)

マネージャー自殺

溝口伸郎マネージャー(享年54歳)も2000年7月19日に自殺しています。午前11時頃、「サンミュージックプロダクション」の入る大木戸ビル(新宿区)のトイレで首を吊って死んだそうです。

自殺の理由については仕事も家庭も順調だったため、数年前から患っていた糖尿病を苦にしてではないかと噂された。
 溝口さんはユッコの当時のマネージャーで、彼女の自殺の瞬間を偶然タクシーの中から目撃していた。ユッコの自殺後の14年間は酒井法子さんの専属として活躍していた。

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