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【一度は行ってみたい】東京近郊、新撰組ゆかりの地と出来事のまとめ

東京近郊の新撰組ゆかりの地と、出来事をまとめました。近藤勇、土方歳三の生誕の地、浪士組結成から新撰組最後の地まで、史実のまとめと現在の住所をまとめています。

更新日: 2013年06月11日

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yuk999jpさん

【1834年(天保5年)】近藤勇、誕生!!

生家である宮川家の屋敷は戦時中の1943年(昭和18年)に取り壊され、現在は屋敷の東南隅に勇 の産湯に使った井戸が残っており、生家跡を市史跡として保存しています。

近藤 勇は1834年(天保5年)に当時の多摩郡上石原村(現在の調布市野水)で宮川久次郎の三男として生まれ、幼名を勝五郎と言いました。

のちに、天然理心流三代目近藤周助に剣の素質を見込まれ、近藤家の養子になりました。

三鷹と府中を結ぶ人見街道と小金井に通じる道の交わる辻に、近藤勇の生家、武州多摩郡上石原村の豪農であった宮川家の旧家跡がある。

【1835年(天保6年)】土方歳三、誕生!!

■開館日
 第1・第3日曜日(平日は応相談) 12:00~16:00
■入館料
 大人500円 小中学生300円

土方歳三生家跡にて、土方歳三5代目、6代目の子孫が運営する個人資料館。生家に伝わる遺品類等70点以上を展示。

歳三は、天保6年(1835年)5月5日、武蔵国多摩郡石田(いしだ)村(現在の東京都日野市石田)に農家の土方隼人(義諄)と恵津の間に生まれる。

少年期の歳三は、村では顔に似合わず「バラガキ」と呼ばれ、触ると痛い茨(いばら)のような乱暴な少年であった。

【1861年(文久元年)】近藤勇、天然理心流試衛館の4代目となる!!

試衛館のあった場所付近に、文京区教育委員会による歴史標柱が立っている。

天然理心流は寛政初期(1789年頃)、近藤内蔵之助によって創始されました。

近藤勇昌宜は、文久元年(1861年)に府中六所宮で四代目襲名披露の野試合を行っている。

天然理心流は剣術、柔術、棒術、気合術などを含めた総合武術で、小技に頼らず気力と気組で相手に対するという流儀です。

剣術では、竹刀ではなく握りが太く重い木刀を使って鍛錬するという実用的なものでした。

ここに土方歳三、沖田総司、井上源三郎ら、のちの新選組の中核となるメンバーが集い、切磋琢磨して剣の腕を鍛えた。

食客として永倉新八、原田左之助、藤堂平助、斎藤一(「浪士文久報国記事」による。ただし、斎藤については不明な点がある)などがいたとされる。

【参考】現代も天然理心流はあるの?

試衛館道場は、基本的に毎週水曜日の18:30~20:30に、東京都新宿区内の体育館をお借りして稽古しております。

京都試衛館道場は、壬生の旧前川邸を屯所とし、京都旧武徳殿および京都市内の体育館をお借りして稽古しております。

【1863年(文久3年)】新撰組の前身である浪士組結成

傳通院(でんづういん)の門の外のすぐ左側に、処静院の山門前にあった「不許葷酒入門内」(くんしゅもんないにをゆるさず)の石柱がある。処静院は大黒天で有名な福聚院の西側にあったが、維新後淑徳学園の前辺りに移り、次いで廃寺となった。伝通院の塔頭(子院)の一つであった。

浪士組(ろうしぐみ)は、文久3年(1863年)2月の江戸幕府将軍・徳川家茂上洛にあわせて、将軍警護のために作られた組織

浪士組結成大会
 文久三年(1863)二月四日、新撰組の元になる浪士組の結成がここ処静院で行われた。

募集により集まった者は234人、脱藩者、剣士、農民、ヤクザ、儒者などで、幕府より一人当たり10両(約30万円)が支給された。

試衛館道場の近藤勇・土方歳三・沖田総司などが隊員として参加し、総勢二五〇名は、同月八日中山道を京都に上がって行った。

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