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【祝・当選】アントニオ猪木に続け! 政界進出したプロレスラーまとめ

「国会に卍固め、消費税に延髄斬り」、スポーツ平和党でお馴染みアントニオ猪木さんが、政界復帰を発表。実は、これまでにも多くのプロレスラーたちが政界進出しているのをご存じだろうか。

更新日: 2013年07月22日

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kiyo_fujiさん

「国会に卍固め、消費税に延髄斬り」、スポーツ平和党でお馴染みアントニオ猪木さんが、政界復帰を発表。

猪木はかつて、1989年の参院選でスポーツ平和党(当時)から出馬し、初当選。湾岸戦争時にはイラクに渡って日本人人質の解放に尽力した。95年の参院選で落選した。

実は、これまでにも多くのプロレスラーたちが政界進出しているのをご存じだろうか。

●プロレスラーに政治家が多い理由とは?

1:力道山の時代から、プロレスと政界のつながりが深い。

かつての日本プロレス重役には自民党の幹部が関わっていた。現在も、森喜朗元総理、野田佳彦元総理など、各党有力議員がプロレスに深く関係している。

2:知名度が高い。特に地方での支持率が高い

全盛期のプロレスラーたちの知名度の高さは、いうまでもない。また、地方巡業の多いプロレス興行では、地方の有力者、商工会とのつながりも深いのだ。

3:大卒で部活OBに顔が広い。教員免許などを持っているケースが多い。

大卒、レスリング・ラグビー部出身の選手は、OBなどを通じて政界に広い人間関係を持っているものが多い。一部では、教員経験などが支持されることもある。

●ちなみに主な現職のプロレス出身政治家は…

高校時代に国体優勝。専修大学ではレスリング部の主将を勤める傍ら教員免許取得。卒業後、母校星稜高校で教鞭をとる。1984年ロス五輪アマレス・グレコローマン90kg級日本代表。翌年1985年、長州力率いるジャパンプロレス入りし、新日本プロレス、全日本プロレスなどで活躍。1995年7月第17回参議院議員通常選挙石川県選挙区より自民党の推薦を受け出馬、現職候補との激しい選挙戦の末初当選。後に自民党入党。

2012年第46回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で石川1区から立候補し、5選を果たす。これまでに文部科学副大臣、自由民主党 副幹事長、予算委員会筆頭理事などをつとめる現職議員だ。

1991年4月21日、新日本プロレスでデビュー。1998年に癌発病の為、プロレスの長期欠場を強いられるが、2000年藤波辰爾戦で復帰。さまざまな慈善活動を行いながら、2006年無我ワールドプロレスリング旗揚げ、2007年全日本プロレスリング入団。現WNC王者。

2010年プロレスを休業し、同年7月、第22回参議院議員通常選挙で国民新党の比例代表から出馬するも落選。2011年東京都文京区議会議員選挙に、国民新党公認候補として立候補、2226票を獲得し6位(定数34)で初当選を果たした。

1997年に格闘探偵団バトラーツでデビュー後、全日本プロレス移籍後は世界ジュニアヘビー級王座を獲得。悪のユニットVOODOO-MURDERSでマスクマン「歳三」として悪逆の限りを尽くした後、退団。

2011年4月、狭山市議会議員選挙に立候補し初当選。市議会では保守系会派「新政みらい」に所属し、活動している。現在はヒールターンをなかったことにし、ノア、天龍プロジェクトなどフリーランスとして団体問わずスポット参戦している。

その他の現職議員たち……

●木村健悟 品川区議会議員
 「稲妻」でお馴染み。元新日本プロレス所属。1998年の第18回参議院議員通常選挙に民主党から比例区で立候補も落選。その後、諸般の事情(○天)でヒッソリしていたが、2011年4月、東京都品川区議会議員選挙で初当選を果たした。

●将軍KYワカマツ(若松市政) 北海道芦別市議
 国際プロレス、新日本プロレス、SWSなどで悪役マネージャーとして活躍。1999年、芦別市の市議会議員選挙において当選し、現在四期目。

●スカルリーパーエイジ 大分市議会議員
 大分県のプロレス団体であるプロレスリングFTOのプロレスラー兼代表。覆面登壇を禁止され話題。

●かつて政治に殴り込みをかけたプロレスラーたちを紹介しよう

2001年の第19回参議院議員通常選挙に比例代表区から自由連合公認で出馬(素顔の「佐山聡」名義)。33,762票を獲得したが、落選した。その選挙演説の際「暴走族を撃ち殺せ!!」と発言し、市民の度肝を抜いた。

2003年岩手県議会議員選挙に出馬し、なんと16286票をとりトップ当選。世界で初めての覆面議員が誕生した。2007年岩手県知事に立候補したが、落選。「人生最大の敗北であり挫折」と語る。2011年岩手県議会議員選挙に立候補したが、落選した。

1996年、PWC所属後、フリーに。この年の、第41回衆議院議員総選挙に神奈川県第9区から自由連合公認で立候補するも落選。

この時の選挙ポスターは、ハードコア戦で「精神的な凶器」として使われる事がある

2001年第19回参院選に比例区で出馬、当選。「小泉チルドレン」の一人となった。2005年郵政民営化関連法案採決を棄権し、2007年次期参議院選挙に不出馬、政界引退を表明。

……が、プロレス時代同様、大仁田の引退は復帰とセット。2010年、地元である長崎県知事選挙に出馬。選挙では9万8200票を獲得したが6人中3位となり落選した。

2010年参議院比例代表に民主党公認で出馬予定だったが、同年3月に第1次公認候補が見送られ、出馬辞退。外国人参政権について民主党との意見の違いがあったほか、党の出馬時の金銭的支援についての食い違いがあった。

その後、国民新党が前田と接触を持ち、参議院東京都選挙区に同党公認候補として擁立する方針を打ち出すが、東京都選挙区からの立候補を望む同党と、比例区からの出馬を希望する前田との意思は合致せず、結果、同党からの出馬もなかった。

2004年、参議院選挙に比例代表で自由民主党から立候補。「正直さ、イラク問題とかよく分かんないんだよね、ぶっちゃけ」など政治家候補とは思えぬ物言いで選挙戦を戦ったが、次点で落選した。

……が、2006年に竹中平蔵が参議院議員を辞職したことにより、自由民主党比例代表選出議員に欠員が発生。前回選挙で次点であった神取の繰上げ補充決定。

2010年、第22回参議院議員通常選挙に比例代表で自由民主党から出馬するも落選。

2003年、群馬県伊勢崎市議選(定数26名、立候補29名)で当選を目指したが、健闘及ばず“最下位”で落選した。父の故勝三郎氏は群馬県議を5期務めたこともある。選挙戦中、参議院議員時代の大仁田厚参院議員も応援に駆けつけ、顔にペイントをして議会に出る意向を示すなど話題を集めた。

1995年引退発言で物議を醸したあと、「さわやか新党」代表として第17回参院選に比例代表区から出馬するも落選。

【結論】覆面レスラーとヒールレスラーの出馬多すぎ

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