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おバカキャラ?それでも、武田修宏はサッカー選手として凄かった

今やテレビでは「おバカキャラ」として定着しつつある武田修宏氏。実はサッカー選手としての経歴は日本屈指。そのサッカー人生を振り返り、まとめました。

更新日: 2013年06月15日

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xavi06さん

▼今や「おバカタレント」として定着しつつある、武田修宏さん

生年月日:1967年5月10日(46歳)
出身地:静岡県浜松市中区
身長:177cm
体重:72kg

▼そんな武田修宏さんのサッカー選手としての経歴を振り返る

中学〜高校時代

少年時代から静岡県内では天才サッカー少年と呼ばれ、浜松市立丸塚中学校2年時には東海選抜に選出され全日本選抜中学生サッカー大会で優勝

サッカー王国の静岡で「天才」と呼ばれるほどの才能だった

中学卒業後は地元の浜松を離れ、静岡県立清水東高等学校へ進学した。当時越境進学するケースは少なく「故郷を捨てる裏切り者」と新聞に叩かれた

中学生ながら、地元の新聞に叩かれるほどの人気者。
地元にとっての宝物だったのでしょう。

清水東高校1年時からレギュラーのポジションを獲得すると全国高等学校サッカー選手権大会静岡県予選では9得点を挙げる活躍で得点王とMVPを獲得。

1年時に出場した高校サッカー選手権では5得点を挙げる活躍で準優勝に貢献、大会優秀選手に選ばれ高校選抜の一員としてヨーロッパ遠征に参加した。

完全にサッカーエリートですね

当時の静岡県選抜でも、FWには武田という絶対的な存在がいたため、中山雅史は本来のポジションではないDFへとコンバートされた

当時の中山雅史に「(対等の)ライバルとしては見られなかった」と言わしめるほどの存在

Jリーグでの活躍時代

Jリーグ創設に伴いヴェルディ川崎では、三浦知良、ラモス瑠偉、北澤豪らと共に中心選手としてチームを支え黄金時代を築いた

当時の武田の年俸は1億2千万円と言われ、Jリーグの人気選手として注目を集めた

当時で1億2千万円、、、凄いです

今やおバカキャラですが、れっきとした元日本代表の武田修宏

これまた武田修宏ゴール集。かっこいいっす。

さすらいのストライカー時代

市原では2年間のリーグ戦で19ゴールと活躍したがチームはJ2降格の危機にさらされるなどの苦難も味わった

その後、海外組として活躍

2000年の途中にはパラグアイのスポルティボ・ルケーニョに移籍

海外に活躍の場を求め移籍。男らしいぜ、武田さん。

パラグアイでは、「日本のマラドーナが来た」と騒がれた

歓迎試合として所属クラブのルケーニョ対パラグアイ代表のゲームが行われた

日本復帰〜そして引退へ

東京ヴェルディ1969へ3度目の復帰を果たし、チームでの活躍と日本代表復帰を目指したが、同年を最後に現役引退

記者会見では、その場にいた報道陣から大きな拍手が巻き起こった。

武田修宏のサッカー人生はまさに栄光と挫折の繰り返しだった。

「小学校からの夢だったワールドカップ(W杯)日本代表の可能性がなくなった今、男のけじめとして引退を決意した」

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