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【長寿にもほどがある】創業1000年以上の、老舗中の老舗企業をまとめてみた

日本という国は長寿が本当に好きな用で、世界最古の企業のうち1位~5位は日本企業が締めているらしい。ここでは創業1000年以上の企業と、その時代近辺であったことをまとめてみました。

更新日: 2013年06月18日

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ねこ魂さん

1位:金剛組

出典bell.jp

(大阪府、木造建築工事業)
蘇我馬子が歴史上に現れた頃に創業。
※馬子は、572年に大臣となって歴史の表舞台へ登場

聖徳太子の命を受けて、海のかなた百済の国から三人の工匠が日本に招かれました。このうちのひとりが、金剛組初代の金剛重光です。工匠たちは、日本最初の官寺である四天王寺の建立に携わりました。重光は、四天王寺が一応の完成をみた後もこの地に留まり、寺を護りつづけます。

2位:池坊華道会

(京都府、生花教授)
587年:蘇我馬子が物部氏を滅ぼし、泊瀬部皇子を即位させ、崇峻天皇とした。

いけばな発祥の地とされる六角堂の創建は、聖徳太子が用明天皇2年(587)四天王寺建立のための用材を求めてこの地に至られた時、霊夢によってここに六角の御堂を建て、自らの護持仏を安置されたと伝えられています。六角堂の北面は、太子が沐浴された池の跡と伝えるところで、この池のほとりに小野妹子を始祖と伝える僧侶の住坊があったので「池坊」と呼ばれるようになりました。池坊の祖先は、朝夕宝前に花を供えてきましたが、ついには代々いけばなの名手として知られるようになりました

3位:西山温泉慶雲舘

(山梨県・旅館経営)
708年:和同開珎の鋳造開始

その昔、藤原真人がこの地方に流浪し「柳が島」に住んでいました。真人は土地の娘をめとり双児の兄弟をもうけました。
名を兄が四郎長磨、弟を六郎寿磨と名づけたといいます。
ある日、真人は狩猟の途中、湯川のほとりにさしかかった時、岩の間より盛んに噴き出している熱湯を偶然に発見したのです。
試みに入ってみたところ、神気爽快、四肢軽快今までの労れもすっかり治ってしまったので大変驚き、また喜びました。
その後、真人は険しい山の中に道を開き、湯つぼを造るなどして、「近隣に隠れた名湯あり」とまで諸村に伝えられるようになりました。
文武天皇の慶雲二年(西暦七○五年)三月のことでありました。

これが、西山温泉の起源と伝えられています。

4位 古まん

(兵庫県・旅館経営)
710年:日本、平城京へ遷都。
712年:古事記の完成が

当館の祖、日生下権守が或る夜の夢に四人の神が現われ、
「自分以後此の地に住まい汝、子孫民衆を守るべし」との
お告げがあった。
直ちに神祠を建て神人をお祀りした。
これが街中にある四所明神である。
そして此の地を開拓し代々神官

5位 善吾楼

(石川県、旅館経営)
718年:東ローマ皇帝レオーン3世、コンスタンティノポリスを包囲したウマイヤ朝軍を撃退。

神のお告げに従って粟津へ赴いた大師はすぐさま村人の協力によって霊泉を掘り当て、試しに病人を入浴させたところ、たちまち永患いが治りました。そこで大師は、それまでずっと身近に仕えていた弟子の雅亮法師(がりょうほうし)に命じて一軒の湯治宿を建てさせ、その湯守りを雅亮法師におかませになりました。

ちなみに雅亮法師は初めて大師を白山山頂までご案内した樵夫・笹切源五郎の次男でございました。

これが『法師』と呼ばれる宿の、四十六代にわたる歴史の始まりでございます。

6位 五位堂工業

(奈良県・非鉄金属鋳物製造業)
794年:平安京へ遷都

当社は古くは奈良時代より大和の地で鋳造業を営み、梵鐘・農機具など生活にかかすことのできない鋳物製品を製造して参りました
現在では、舶用内燃機関を中心に陸用内燃機関・ストレーナなど、多種多様の鋳物を主に製造しております

7位 田中伊雅佛具店

(京都府・仏具製造)
菅原道真公が国政に手をだすちょっと前の時代

仁和年間(885年頃)創業以来、ただひとすじに匠としての心技を磨き、京佛具の本流を受け継いで千年余りの年月を刻んでまいりました。伝統に培われた先鋭の技法によって、新たなる至高の荘厳品を創出し、次の時代へ受け継ぐことが、私どもに与えられた何よりの使命であると認識しております。田中伊雅の歴史は多くのご寺院様に支えられた歴史です。

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